3日目 セ ウ タ
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ロンダのホテルでは朝食はないけれども、代わりに、飲物、フルーツ、ビスケットを置いておくので、自由に部屋に持って行って食べてよいとのこと。 久しぶりにりんごを丸かぶり。これだけでは少し足らなかったので、日本から持ってきたお菓子も少し食べた。 この日は10時の列車で移動で、ホテルから駅へは2kmほどあり、8時30分ににチェックアウトして、駅に向かった。バゲージが届き、それを引っ張っていくので、少し早めに出発した。 |
新市街では、ヌエボ橋からバスターミナルや駅のほうに向かって上り坂になっている。それに、石畳のところが多かったりして、普通に歩く速さの半分くらいでしか歩けない。 ロンダ駅に着いたのは9時20分。すぐにアルヘシラス行きの切符を購入。このような小駅でもクレジットカードで切符を買うことができる。そればかりか、無人駅で自動券売機しかない駅でもクレジットカードで買うことができる。 駅員は、しきりにホームの番号を言ってくれた。ホームに行ってわけがわかった。逆向きの列車も同時にホームに停車するからだ。 |
列車は定刻の10時になってもやってこず20分ほど遅れた。しかも、この駅で20分ほど止まったので、40分遅れで出発。逆方向の列車も止まったまま。その理由は、逆方向の特急(ただしAVEではなかった)と行き違うのだが、それが遅れていたからだ。 乗車した列車の種別はRegional Expressであったが、これは一番下のランクの種別。一部に停車しない駅はあったが、ほとんどの駅には停車した。そして、駅の間隔がかなりある。各駅停車でも急行ってことなのだろうか。 |
車窓は乾ききって、緑の少ない山が連続、ところどころオリーブ畑はみられる。
アルヘシラスに定刻の20分遅れの12時15分に到着。40分遅れをわずかの間に20分遅れに縮めたのはすごい。 アルヘシラスは行き止まりの駅なので、櫛形のターミナルになっている。とはいっても、3本のホームが突き出ているだけの小さなターミナルだ。 |
アルヘシラスの駅舎。ローカル線の終着駅といった静かなたたずまい。ここが、フェリーでアフリカに渡る人たちにとって、ヨーロッパ最後の地になり、アフリカからヨーロッパに渡ってきた人たちにとっては、ヨーロッパの第一歩の地となる。しかし、そんな街だという感じはまったくしない。 この地からは、モロッコのタンジェやスペインの飛び地セウタへ、フェリーや高速船がたくさん出ている。 |
右上の駅舎を撮影した自分が体を180度回転させて、反対方向を撮影すると。この日から2泊するホテル・オクタビアがある。 建物1階の右端がホテルの玄関。1階の左端がバスターミナルの入口である。また、建物のすぐ向こう側がバスターミナルになっている。 このホテルは、ホテルの部屋からバスの車内まで5分以内に行けるようなホテルなのだ。このホテルを選んだ理由はまさにそこにある。 |
12時20分にホテル着。ホテルにチェックインできるかどうかわからなかったので、ダメなら荷物を預けて出かけるつもりをしていた。チェックインはすぐにでき、部屋に入るのも少しだけ待てということで、ほんの5分ほどだけ待った。 12時35分に部屋に入れたので、30分ほどだけ休んで、すぐにフェリーターミナルに向かう。その間に、持参したお菓子で昼食代わり。 港のフェリーターミナルまでは20分ほど。ホテルから海岸に歩いて行くと、すぐにわかる。 |
ここでちょっとした失敗。セウタ、タンジェともいくつかの船会社があって、船会社によって、フェリーの場合と高速船の場合があること。切符を買ってから、そのことに気付いたのは少しうかつだった。 自分が買った切符は、フェリーの会社のだった。しかも往復買ってしまったのだ。フェリーは1時間30分、高速船は45分でアルヘシラスとセウタ結んでいる。ちょっと残念だったが仕方ない。 |
出発時刻の表示を見ると空港を連想する。切符では、そのまま乗れず、搭乗券に変えなければならないのも飛行機に似ている。
自分の乗ったフェリー。 |
フェリーの中には、免税店や飲食物の売店などもあった。モンテビデオからブエノスアイレスまで乗船したフェリーとそっくりの船だった。 セウタは15世紀にポルトガルが占領したが、16世紀にポルトガルがスペインに併合され、セウタはスペイン領になった。17世紀にポルトガルは独立するが、セウタはスペイン領として残された。20世紀に入り、現在のモロッコの大部分はフランス領になったが、北部の海岸部だけはスペイン領になった。1956年、モロッコはフランス、スペインから独立するが、セウタは古くからスペイン領だったので、メリリャとともにスペイン領として残された。 |
15時30分にセウタに到着。20時のフェリーでアルヘシラスに戻るので、19時30分には港に戻るとして、4時間のセウタ滞在だ。 左はセウタのフェリーターミナル。
大通りに出て、旧市街を目指して歩く。街の雰囲気は、スペインそのもので、アフリカにやってきたという感じはまったくしない。 |
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少し歩くと、旧市街とその背後にそびえるアチョ山がよく見えた。アチョ山の頂上部には城壁があることもわかる。アチョ山は3kmほどの距離に思え、高さも200mくらいに思った。バスがわかればバスで、無理でも歩いてアチョ山に行ってみようと決めた。 さらに少し歩くと、サン・フェリペ堀があった。ポルトガル時代の城の堀なのだが、水が透きとうっていて、とてもきれいだ。この付近が、セウタの幅が一番狭くなっていて、200mほどしかない。 |
カテドラルがあったが、扉は閉まっていた。
海岸にはヨットがたくさん停泊していた。 |
港から歩いて20分ほどでセウタの中心にやってきた。繁華街なのだが、ちょうどシェスタの時間にあたり、人通りは少ない。
面白かったのは、日陰はまあまあ人が歩いていて、日なたは人がいなかったこと。あたり前だけれども。 |
中央市場。市場は午前中だけなのだろうか。閉まっていた。市場の前の路上が、路線バスのターミナルのようになっていたのだが、アチョ山のほうに向かうバスの乗り場はわからなかった。実は、あとで山から戻ってきたときにわかったが、少し離れた、別の道の路上だった。
謎の像。三角の目だし帽をかぶった人と少年だが、一体なに? |
街中を歩く人たちは、イスラム教徒が多くみられる。セウタの地元民なのだろうか、それとも、一時的にセウタにやっていたモロッコ人なのだろうか。 |
セウタの繁華街は500mも続かない。やがて普通の住宅地のようになるB4/p, 旧市街は迷路状の街路になっていて、道がわかりにくくなったので、港とは逆の側の海岸に出てみた。 海岸は絶壁のようになっていて、しかもアチョ山の方向に向かって、絶壁の高さが高くなっているようで、上り坂がつらい。バスが走っているのか、走っていないのかも不明。 |
1kmほど海岸沿いに歩いて、アチョ山とセウタの先端がよく見えてきた。 この付近にやってくると、路線バスが走っている。どうなっているのか不明だったが、アチョ山からの帰り道に路線バスに乗車して、どうなっているのかがわかった。 さらに歩いて、アチョ山の麓まで行き着いた。ここまでで港から歩いて1時間かかった。 |
5分ほど、坂道を上がると、セウタの市街がよく見えるビューポイントがあった。 セウタは港の付近が一番狭くなった、ひょうたん型をしていることもよくわかった。画像ではよくわからいのが残念。 |
さらに上がれば城壁がある。遠くに見えていた城壁が目の前に見える。 でも、城壁のちょっと下の眺めのよいところまでであがるのをやめた。城壁内は軍の施設になっているので。見張りに見つかるところまで行って、面倒なことになれば大変なので、中腹でストップした。 坂道を下ると、バス停があったので、しばらく待ってやってきたバスにどこ行きかも考えずに乗車。運賃は0.7ユーロ。これはおつりで判明。 |
バスに乗って、路線図を検討。 アチョ山方面は青い系統1本だけ。あとは全部、国境方面への系統だった。 乗ったバス停は、右下のところ。いったん、青線のなかで左下のところまで行って引き返し、さらに、青線のなかで右上まで行って引き返し、中央市場近くの路上に戻れた。この間、15分。 |
中央市場近くの路上が、路線図で青の系統(1番)の終点。バスで行ったり来たりして、街の中心までは、楽に戻ることができてよかった。 このとき、まだ17時30分。2時間でセウタの行きたいところは行き終わった。あとの2時間は食事をすることにしたが、レストランはどこもシェスタ。それでカフェで食事をすることにした。 メニューを見ていたその時。ハトに糞を頭に落とされた。これがセウタの最大の思い出だ。もう夕食どころじゃなくなり、糞を拭いたりして苦労した。 |
まだ時間があったけど、もう食事をする元気もなくなり、港に早めに行った。18時30分にフェリーターミナルに着き、1時間ほど、ぼぉーと過ごした。夕食はアルヘシラスにもどってからとることにした。 セウタからアルヘシラスに行く場合は、国内線でもパスポートチェックと保安検査がある。荷物をあけさせられている人もいた。セウタに行く場合はそんなのはなかったが。 これは、モロッコ人のビザは、EU全域用のものと、セウタ・メリリャ限定のものがあるかららしい。このチェックのために、パスポートチェックがあるとのこと。 |
21時30分にアルヘシラスに帰着。 食事をとりに街の中心のアルタ広場に行った。 屋外のセルベッテリア(ビアホール)でたくさんの人が入っていたところがあったので、そこに入ることにした。 でも、夜でもそんなに涼しくはなかったので、冷房のきいている店内に入った。 |
ビールを飲みながら、料理を考えて注文。 |
左は、トルティーリャ。ジャガイモを卵と一緒に焼いた分厚いオムレツを切ったもの。ジャガイモのほか、みじん切りのタマネギや何か不明だが青い野菜も入っていた。 右は、サルピコン・デ・マリスコ。魚(何かは不明)やカニカマとキャベツをドレッシングで和えたサラダ。 どちらもタパスで注文した。タパスは、1人分だけの皿料理で、1人でもいろいろな種類の料理を試せるので重宝する。 |
カラマーレス・フリート。 イカのからあげ。これはタパスがなかったので、これをメインディッシュとした。 昼間にもやってきていなかったところなので、ホテルに帰りつけるか心配だったが、比較的大きな通りを選んでホテルの方向らしいほうに向かって歩くと15分くらいでホテルの近くに出てホッとした。 ホテルの近くで飲物などを買って戻った。 |