3日目 ゲ ル ニ カ
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バスク鉄道でゲルニカへ |
上左 前日に買っておいたパンで朝食。ホテルは朝食なしだが、早朝に出発するので、かえって便利だ。 上右 7時30分にホテルを出発。ゲルニカに向う。気温は16℃。この旅行では主に長袖を着ることになったが、旅行前にはそんなに涼しいとは思っていなかった。 左 前日乗った路面電車に乗車。前日に下車したグッゲンハイム美術館を見ながら進み、8時に終点のアチューリ駅に到着した。 |
上左 ゲルニカへは私鉄のエウスコ・トレン(EUSCO
TREN)で向かう。アチュ−リ駅の改札とホーム。次の電車までしばらく待った。バスク語ではバスクはエウスカディ(Euskadi)という。エウスコ・トレンとはバスク鉄道ということだ。 上右 電車の車内。最初はガラガラだったが、ワンボックスに1,2人くらいの状態だった。 左 この私鉄はフランス国境まで通じているが、ゲルニカへは支線の終点である港町のベルメオ行きに乗る。50分ほどでゲルニカに到着した。 |
ゲルニカ駅。 ゲルニカは1937年、スペイン内戦中に、フランコ軍の支援のためにドイツ空軍が爆撃した。その様子を描いたピカソの絵画「ゲルニカ」は有名だが、絵画はマドリードのソフィア王妃芸術センターにある。この旅の終盤に訪問するつもりだ。ゲルニカ爆撃の痕跡はほとんど残っていないが、この日は、絵画で名高い街を訪問しようとやってきたわけだ。 |
ゲルニカ街歩き |
ゲルニカについたのは9時すぎ。まだ見学箇所も開いていなかったので、市場に行った。この日は日曜で市場はガランとしてたのだが、2,3の店がでていた。それも八百屋であった。画像はその中の一軒。 下左 ガランとした市場。 下右 ゲルニカの街角。日曜だったこともあるが、人通りも少なく、閑散とした街だった。 |
ゲルニカはバスクの象徴的な街だ。ビスカヤ県の県庁はビルバオにあるのだが、県議会はゲルニカに置かれている。 その県議会だが、ゲルニカ空襲にも耐え、現在でもその議事堂を見ることができる。議事堂に着いたのは見学開始の10時少し前。すでに20人程度の人が待っていた。 下左 すぐに中に入るころができた。内部は豪華な内装だ。 |
上右 天井のステンドグラスに描かれている木はオーク。 左 議事堂の前には今もオークの木がある。でも、ゲルニカ空襲のときの木は2004年に枯れて、今はその後に植えられた新しい木だという。 ところで、なぜオークの木なのか。バスクでは議会はオークの木の下で開催されたという伝統からだ。バスクでは議会による自治の象徴としてオークの木が大切にされているともいえる。 |
市庁舎の前にゲルニカ平和博物館がある。この撮影している自分の背後に市庁舎はある。 展示の最初の部屋で、ゲルニカ空襲の夜を追体験できる。部屋に入ると、明かりが消え、飛行機の音、そして爆撃音。真っ暗な中での爆撃の追体験は真に迫るものがあった。 |
ピカソの「ゲルニカ」を縮小した模造品。 下左 ゲルニカ空爆で破壊された建物のがれき。 下右 スペイン内戦時、フランコ反乱軍に対抗した、人民戦線政府軍のポスター。 |
ゲルニカには空爆の痕跡はあまりなかった。街の中心の広場で一休み。 このような美しい街が破壊されたのはどうしてか。やはりバスクの象徴的な街であるからだろう。産業面での打撃を与えることに重きをおけばビルバオのほうが効果が大きのだが、バスクの自治を破壊するということに重きをおけばゲルニカということになったのだろう。 このあと電車で再び50分ほどかけてビルバオに戻った。 |
再びビルバオ街歩き |
50分ほどかけてゲルニカから再びビルバオのアチューリ駅に戻ってきた。まだまだ時間があるので、前日に引き続きビルバオを街歩きする。 |
まずは市場に行ってみた。きれいで明るい市場だ。魚売場も臭いがしなく、清潔な感じだ。 下左 果物、野菜も豊富できれいに並べられている。 下右 市場の建物。古い建物の外観を残してリニューアルしたようだ。 |
昼食はピンチョスの店へ。 ピンチョスとは、パンを小さく切って、いろいろな具材を少しづつのせた食べ物だ。具材とパンを串で刺したものが多く、串を意味するピンチョスが語源のようだ。今は串で刺していないものもピンチョスというようだ。 下左 具材は豊富で、いくつかを指さしで選び、盛ってもらった。 下右 飲物はビールにした。 |
このあと、生ハムの店へ。ここでサンドイッチが食べたくて、さきほどのピンチョの量は少なめにしておいた。 生ハムが天井からぶら下がっているさまは壮観だ。店に中ハ生くさいハムの臭いが充満している。 |
ここで生ハムのサンドイッチを買って立ち食い。いやぁ、うまい。 |
上左 丘の上にあがるエレベータがあり、上がってみた。入口の奥にエレベータの扉が見える。 上右 上に上がってエレベータから降りたところ。 左 エレベータを下りた後は長い通路を通って丘に達する。 |
丘の上からの市街。 エレベータに乗って下りるのも面白くないので、歩いて下ったが、ジグザグの道路で結構時間がかかった。 |
下りたところが市庁舎だったが、その前には謎の制作物があった。日時計なのかな。 |
引き続きビルバオグルメ |
ビルバオはかつて栄えた鉄鋼業などの重工業が衰退したあと、アートの街として再開発が行われてきた。その再開発が進んでいるのがビルバオ川沿いである。その中心がグッゲンハイム美術館であるが、ほかにもさまざまな巨大アートを川沿いでみることができる。橋も変わったデザインのものが多い。 下左 展望台へのフニクラ(ケーブル)駅は高層住宅の下にあった。 下右 フニクラで展望台へ。 |
展望台から見たビルバオの市街。別方向を眺めると海も見えるが、少し離れていて、盆地といったほうがよい。地図で見ると海岸の街のような感じがするのだが。 スペインの夕食タイムは遅いので、20時ごろまで丘の上で休憩して時間つぶしをした。20時になってもまだ明るい。 |
上左 前日にも行った「リオ・オハ」へもう一度行ってみた。 上右 ハウスワインの赤を注文。 左 アンチョビーの酢漬け。魚の間のは赤ピーマン。 |
ビーフシチューを注文したのだが、なんだか肉じゃがのようなものが出てきた。これがビーフシチューなのか、うまく伝わらなくて別の料理がでてきたのかは不明。どちらにしてもおいしかったので構わない。 翌日はサンタンデールに向うのでビルバオはこれでおしまいだ。バスクの雰囲気を味わいながら旧市街を歩き、路面電車でホテルに戻った。 |