7 ゴ ー ル
前日は夕方にサファリに行ったので、この日は、朝からゴールに向かうことにした。朝食後、サクラゲストハウスの主人にトゥクトゥクを呼んでもらい、バスターミナルへ。 ゴールへは、コロンボ行きに乗るらしい。やがてやってきたバスは、ほかからやってきたバスらしく、すでにほとんど満員。おそらくカタラガマからやってきたのだろう。 このバスは、片側2人、片側3人がけで中央通路はかなり狭い。なんとか空席を見つけて座った。ゴールまで141ルピー(約160円)。
荷物はトランクに入れたのだが、荷物料金はなかった。ゴールまで3時間半ほど、窮屈な座席だったが、荷物から解放されていたので、ちょっぴり楽なバス旅だった。 途中、いくつかの町では、津波の被害で壊れたままの家の跡などを見た。すでに、被災から1年半以上たっているのに、まだ傷が残っているのだ。 12時に到着。ゴールの停留所は鉄道駅のまん前。翌日の列車の時刻をまず調べてから、この日の宿をガイドブックから選ぶ。
トゥクトゥクでカリッズというゲストハウスへ。1kmほどで、100ルピー(約113円)。 ところが、またもや、別のゲストハウスに案内された。ちょっと様子が違うので、ここはカリッズかと聞くとイエスだと言われるがどうもおかしい。中に入ってから、宿の人に、カリッズかと聞くと、にやにやして答えない。代わりに宿泊費を言われた。 すぐにトゥクトゥクに戻り、カリッズに行くよう命じた。ドライバーはカリッズを知らないようで、何度も人に聞いてやっとたどり着いた。
宿泊費はガイドブックに書いてあるよりもかなり高くて2000ルピー(約2272円)。この値段は、トゥクトゥクで連れて行かれた別の宿の値段と同じ。同じ値段なら、連れて行かれた宿のほうが立派だったのだが、やむを得ない。気分の問題だ。 シャワーを浴びて、1時間あまりベッドに横たわって休む。14時に宿を出発し、ゴール旧市街を見て回る。
ムーン要塞の入口にある時計塔。
ムーン要塞の中から外を望む。
ムーン要塞から見たインド洋。 ムーン要塞は16世紀にポルトガル人が築いたのがはじまり。17世紀にはオランダ人がとってかわり、要塞を拡張した。さらに18世紀には、イギリスがここを攻撃し、オランダにとってかわった。イギリスの東インド会社は、ゴールをスリランカの拠点とし、スリランカ各地の茶やゴム農園を経営した。イギリス支配は150年続いた。 津波のとき、ゴール旧市街は無傷だった。旧市街全体が10mくらいの高さの城壁で囲まれているからだ。 城壁の上を歩いて、旧市街の外側を一周してみた。 ポルトガル、オランダ、イギリスの支配を受けただけのことあって、仏教色の強いスリランカの中では、異色の雰囲気だ。キリスト教、ついでイスラム教の影響を強く感じる。 左は、灯台。
右は、オランダ教会。
ゴール国立博物館。こじんまりとしたもので、植民地時代をしのぶ品々が展示されている。
右の建物は城壁の一部分をなしていて、一階部分には、オールドゲートもある。
ヒストリカル・マンションという博物館があった。内部は雑然としていた。
オールドゲートの外側。この前にスコールに見舞われゲートの中で30分ほど、足止めを食らった。 このあと駅前のほうへも足を伸ばして、周辺を歩いた。駅前の新市街は津波の被害を受けたが、その痕跡はない。
宿にもどって夕食。またカレーだが、その皿数がやや少ない。しかし、味のほうは悪くはなかった。 翌日は、7時30分発の列車に乗る予定なので、早めに休んだ。 前夜のティッサマハーラーマの宿で蚊が室内に入ってくるため、蚊帳の中で暑いのをがまんして、寝付けず、あまり寝てないといこともある。ゴールはその点、海からの風が入ってきて涼しい。ただし明かりは消して、蚊帳に入って寝たのだが。
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