4 日 目  プ ー ケ ッ ト 街 歩 き

 

ラノーンからプーケットへバス移動

  ラノーン2泊目の朝食。前日とは違って団体客がいなくてとても静かだ。温泉のほうから流れてくる川に面した側のテーブルに座って、朝食をいただいた。

 8時にプーケット行きのバスがあることを調べているので、7時すぎにチェックアウトして、バスターミナルに向かった。

 ところが、プーケット行きはバスターミナルじゃなく、少し離れたところのバス会社のオフィス前から出発するということで、少し逆戻り。

 プーケットまでは240バーツ(約700円)。少し待つとバスがやってきた。始発はチュンポンで2時間かけてやてきたようだ。ラノーンを出るときになって、はじめて、チュンポンからラノーンへ大型バスもあったことを知った。

 バスは自由席だったので、適当に座った。あまりリクライニングしないシートであった。

 途中、しばらく停車したところがあった。カオラックのようだ。でも、いつ出発するかわからず、トイレにいきたいわけでもなかったので、バスの中で待っていたら、15分ほどで出発した。

 いよいよプーケット島に入る。タイでは一番大きな島で、島全体がひとつの県になっている。橋のすぐ横で工事がおこなわれていた。橋を方向別にわけるのだろうか、それとも単なるつ けかえか。

 島に入ってからも1時間近く走って、14時にようやくプーケットタウンのバスターミナルに到着。なかなか大きなバスターミナルだ。

 すぐさま、2日後に乗るハジャイ行きの切符を購入した。始発は7時30分だが、これは乗りすごすかもしれないので、8時30分発にした。1等バスで344バーツ(約1000円)。

 プーケットで2泊するのは、プーケット・センター・アパートメント。バスターミナルから10分くらいの距離。

 プーケットではビーチもいいけど、プーケットタウンの街歩きを優先したのと、プーケットを早朝のバスで出発したかったため、プーケットタウンのホテルを選んだ。

 派手な色あいと外観にびっくりするホテルだったが、1階にスーパーがあって便利だし、ホテルエリアに入るには部屋のかぎがないと入れないなどのセキュリティ対策もとられていて安心感もあった。

 部屋はやや広め。簡単なキッチンがあり、冷蔵庫も大きくアパートメントいう名はふさわしい。

 部屋に入るところで靴を脱いで中に入るというスタイル。チュンポンもそのスタイルだった。

 ただし、朝食はついていない。簡単なキッチンもあることだし、自分で何とかしなさいってことのようだ。

 部屋で、少しだけ休憩し、すぐに街歩きに出かけた。

プーケット旧市街を街歩き

 ホテルの窓からは旧市街が見える。でも5階建のホテルの3階のため、見晴らしはよくない。小高い丘がみえるが、これから向かうラン・ヒルである。

 プーケットは今でこそ、タイを代表するビーチリゾートとして知られるが、このようになったのは1980年代からのこと。

 16世紀にはポルトガル人がやってきて貿易の根拠地とした。錫が目当てであった。錫鉱山で働く中国人も多くやってきた。それで、ポルトガルと中国の融合した独特の建築などが生み出されていった。

 マレー半島南部では、中国系とマレー系が融合した文化を、プラカナン文化あるいはニョニャ文化という。この文化が残る代表的な街は、シンガポール、マラッカ、ペナンなどだ。これに、ポルトガルの痕跡もわずかに残っている。

 プーケットはどうか。旧市街地では、タイの他の街では見かけない、中国風であり、ポルトガルの影響も受けているようなコロニアル建築は多く見かけた。

 特徴は、2階部分の窓のところだ。「シノポーチュギー」というらしい。たいていは、1階部分がお店になっていて、2階が住居だ。

 中国とポルトガルの融合という点に限れば、シンガポールやマラッカ以上の見ごたえがある。ただ、シンガポールやマラッカにみられるようなマレー系との融合に相当する、タイ系と中国系の融合はあまり感じられない。

 食事にしても、タイ料理と中国料理が別個にあるって感じだったし、ポルトガルの影響を受けたような料理がないのが残念だった。

 ちょうど中学校が終わったところらしく、生徒が帰るところだった。中国系の学校のようだ。

 小鳥を売っているお店もあった。こういうのは香港とかジョグジャカルタでもあって、似たような光景だった。

 旧市街を歩き終えて、ラン・ヒルに向かう。だらだらした車道を30分くらい上る。

 

 ラン・ヒルからプーケットタウンをみたところ。高層ビルはあまりないことがわかる。

 丘の上の幹の太い木には、しめ飾りがしてあった。信仰の対象になっているのだろうか。

 ワル猿もいた。近づかないようにして、上ってきた道を下山。

 丘を降りた後は、上がってきたときとは違うルートを歩いてホテルに戻った。

 福州公所。福州出身の中国系の人たちが集まる場である。○○公所ってのが、いろいろとある。

 上で、タイ系と中国系の融合はあまり感じられない、と書いたが、そんな中でも、これなどはタイ風と中国風の建築がある程度融合しているような感じではある。

 さらに歩くと。まだできて半年ほどしかたっていない華人の博物館があった。しかし、17時までの開館のために、もう閉館している。翌日は パトンビーチでのんびりする予定だが、ここも訪問してみよう。

 車の上部だけを集めたところがあり、これは売り物なのだろうかとびっくり。

 ホテルには戻らず、このまま夕食に向かう。

はじめてのタイスキ

 プーケットタウンでも、昔ながらの建築の残る旧市街地とショッピングセンターなどのある新市街地の境界のあたりに時計塔がある。

 さらに進むと街路には電飾がならんでいた。この形に何か意味があるのかな。

 当初、夕食をとろうと考えていたレストランはタイ料理の地元民に人気のあるレストランだった。ところが行ってみると、年末年始は休業だった。それで、通ってきたさいにあったショッピングセンターに入ってみることにした。フードコートがあればいいなと思ったからだ。

 オーシャンショッピングモール。クリスマスは過ぎているが、まだクリスマスツリーが飾ってあった。海外ではよくあることだ。

 フードコートはなかったが、2階にレストランがあった。スキ・サム・ミート。どんな料理があるかとみていたら、タイスキのレストランであった。

 メニューをみていたら、中に入るように勧められ、勢いでここでタイスキを食べることにした。今まで、タイスキは1人では入りづらくて、食べたことがなかったので、この際、どんな食べものか挑戦してみることにした。

 セットが何種類かあり、その中から選ぶか、あるいは具を1つ1つ指定して注文するかであったが、手っとり早いセットにする。

 何種類かあったセットのうち一番高いシーフードセットにした。運ばれてきた具をみると魚やエビ、カキなどで肉類はない。

 飲物はシンハービール。

 鍋のつゆが煮たってきたら、具を入れて煮る。日本の沖すき、魚すきに近い。具が肉だとしても、だし鍋、ちり鍋などと言われるものに近く、すき焼きとは似ても似つかぬ鍋料理と判明。 

 
 自分が入店した時はほかの客はいなかったのだが、次第に客がはいてきた。ほかの客をみていたら、3人や4人組でも、セットを1つ注文した上に、好みの具をいくつか注文し、さらに、単品の料理を2,3皿注文しているようだ。

 1人で食べる場合は、セットを食べるとあとはもう食べられないって感じだ。それでも、自分の場合は、だしを使って、”おじや”を食べないか勧められ、食べてみることにした。

 日本の”おじや”と同じで、だし汁の残りに、ご飯、生卵、ネギを混ぜて煮る。 

 できあがりは、日本の”おじや”そのもの。

 鍋も”おじや”も美味しくいただけた。日本の鍋料理にとても似ている。”スキ”という名前が入っているところからしても、日本の料理の影響でできた料理でないかなぁ。ただし”スキ”は、すき焼きじゃなく、沖すきとか魚すきからとった”スキ”なんだろうけど。

 あと、よくみていたら1人で食べている客もいたし、1人で入店するのも不思議なことではなさそうだ。辛いタイ料理にあきたら、タイスキもいいものだと思った次第。

 ホテルに戻る途中、デザートを食べにちょっと寄り道。

 オレンジ色のがバナナのアイスで、グリーンのはお茶。タイでも抹茶があるのかな。

 入った店は、バナナ・バライティという、バナナのアイス店。

 時計塔のライトアップをみて、ホテルへ。これで1日が終了。

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