PART4

1 日 目  ペッチャブリー(ペッブリー)

 

JL033でバンコクへ

 

 

 JALの伊丹発羽田行最終便で羽田に向った。使った航空券は、ソウル発大阪、東京経由バンコク行のビジネスクラス航空券。日本発バンコク行きのエコノミークラスでビジネスクラスにアップグレード可能な航空券よりも安いのでこの航空券を使った。とくに、この旅行をしたのは大型連休中のため、アップグレードできないにもかかわらず、アッグレード可能な航空券しか買えない状態になっていたので、お得感が強かった。
 
 羽田についた後、連絡バスで国際線ターミナルに向った。
 国際線ターミナルに到着後、ショッピングエリアに向った。何度来ても、お江戸風のショッピングエリアは、ここが空港なのかと思わせる。

 ここへやってきたのは、タイのガイドブックを買うためだった。何しろ、タイは頻繁に行くので毎年ガイドブックを買うことはやっていなかった。持っているガイドブックは2008年のものだったので、そろそろ買い替えなくてはと思い、書店を目指した。残念ながら書店は閉店。22時に閉店のところ、22時5分に着いたのだった。ちょっと残念。古いガイドブックも持ってきていなかったので、今回はガイドブックなしで旅行。
 
 ガイドブックが買えなかったので、保安検査場へ。チェックインは伊丹で行っているので、羽田での手続きは不要だ。以前は、羽田では、保安検査場で出発ゲートを記載したレシートのようなものを渡されていたが、廃止になったようだ。もともと不要だと思っていたので、廃止されて、余計な紙を持たずに済み、自分は歓迎だ。

 出国審査のあと、すぐにラウンジへ。一部工事中で、ファーストクラスラウンジは入れず、サクララウンジの一部がファーストクラス向けに確保されていたので、そちらを利用した。食べ物はホテルのビュッフェのようなスタイルでとるようになっていた。
 食事の中身は、以前とほぼ同じだった。もちろん、大好きなビーフカレーもしっかりいただいた。飲物はスパークリングワイン。

 下左  機内食は到着2時間ほど前に出、はじめには軽食が出るだけなので、しっかりいただいておいた。ビジネスクラスを利用する場合は、ラウンジではセーブすることが多いのだが。
 
 下右  食事を終えると、4人待ちであったシャワールームの呼び出しのベルが鳴った。シャワールームに向い、30分ほどかけて利用。
 
 シャワーを出ると、JL033の搭乗まで30分ほどになった。ビュッフェとシャワールームは4階にあったのだが、さらに上の5階にあがってしばらく休憩。すでに、夜行便もどんどん出発し、ガラガラ状態だった。
 
 搭乗時刻になり、ゲートへ。優先搭乗にも長い列ができていた。まもなく搭乗。 
 
 
 搭乗便のビジネスクラスはSS6と呼ばれる新型シート。以前はスカイラックスと呼ばれる旧型シートだったが、搭乗の1ヶ月ほど前に置きかえられた。便の予約をしたときには、旧型シートだったのだが、その後に変わった。
 
 SS6はフルフラットにすることができるので、横になってなられるのが楽しみだ。夜行便なのでとてもありがたいことだ。
 離陸後、ウェルカムドリンクのサービスがありシャンパンをいただいた。そのあとで、軽食サービス。玉子豆腐とオープンサンドイッチ。飲物はアルゼンチン産の白ワインにした。
 
 テーブルは広くて使いやすかったし、前方から引き出すようになっていた。一方、イヤホンの差込口が肩のところにある収納ケースの中にあり、しかも収納ケースの開け方もわかりにくいのが難であった。
 
 
 軽食のあとは、座席をフルフラットにして休んだ。6時間弱のフライトで軽食が終わったのは1時間後、到着2時間前には朝食がはじまるので、休めたのは3時間弱だったが、よく眠れてよかった。
 
 
 
 到着2時間前をきったころから朝食。すでに出発時に、オーダー用紙で和食を頼んである。目覚めた人から食事が運ばれる。飲物はブラッドオレンジジュース。

 朝食後も再び座席をフラットにしたりしてすごした。ビデオは見ずにフライトマップだけをつけておいた。
ペッチャブリーへ
 バンコク到着の前にプレミアムレーンのカードが配られた。ビジネスクラスの場合、乗務員と同じ、一般客とは別の出国審査場を使えるのだ。しかし、早朝で一般客のレーンもほとんど客が並んでおらず、一般レーンを使った。2,3人待っただけで通過。荷物のピックアップで少し待って、税関はスルー。
 
 SIMカードを買うためにDTACのカウンターへ行った。前年はずっとAISでSIMカードを買って、iphoneで使用していたが、今回はDTACにした。AISではテザリングの機能が制限されていて使えなかったのだが、DTACはテザリング機能が解除されていている情報があったからだ。
 
 7日間、インターネット接続無制限で100バーツの通話(国際通話を含む)が可能なものが299バーツであったので購入。すぐにテザリングを試して使えることを確認した。今後もDTACを使うことにしよう。
 5時に到着したものの、テザリングを試したり、サンダルに履き替えたりするのに時間を要したため、6時前の始発のエアポートリンクには間に合わず、2本目になった。

 駅に着くと、何と、4月14日からパヤタイ発着のエクスプレスラインが一時運休になったと画面に表示されていた。”一時”とはいうものの、いつまで運休なのかは何も書かれていない。このまま廃止という可能性もある。マッカサン発着のものは残るようだが、1時間に1本だし使いにくい。
 シティラインでパヤタイまでの切符(といってもプラスティック製のコイン型のものだが)を買ってホームで待つ。間もなくやってきた電車は何とエクスプレスラインの車両だった。
 
 2本目の電車は以前からそうなのか、それともパヤタイエクスプレスの休止と関係あるのかは不明。車両はエクスプレスだが各駅に停車していき、何か得をした気分だ。
 この日はアソークにあるホテルに荷物を預けてどこかに行くつもりだったが、どこに行くか決めていなくて、結局、いくつかあった案のうち、ペッチャブリーに行くことに車内で決めた。

 アソークへは、マッカサンで下車して地下鉄で一駅乗るのが一番近いのが、地下鉄は荷物検査があり、荷物を開けなければならないことが多いので、あえて遠回りだがパヤタイまで行って、BTSに乗り換える。
 
 BTSの各駅にはホームドアが設置されていたが、単にドアの位置を示すために使わている。

 パヤタイからアソークまでBTSで移動。ホテルに向った。ホテルでは荷物を預け、手洗いを使ったあと外出。

 まずはホテル近くのローカルなフードコートで朝食。
 
 お粥をねらっていたのだが、この日はお粥の店はやっておらず、ぶっかけ飯にした。
 ビーフンのようなものと豚肉と野菜を煮たようなものをご飯にかけてもらって45バーツ。

 豚肉と野菜を煮たものがとても辛かった。
 
 下左  あまりに辛いので、BTSの駅に向かう途中の屋台でオレンジジュースを購入。

 下右  一気に飲んで辛さを打ち消した。このあと、画像にも見えているアソーク駅からアヌサワリー駅へ。

 
 アヌサワリーでBTSを下車し、南西側のバンの乗場へ。パタヤを除いて英語はなく、タイ語のみの表示。たぶんこここかと思って、ペッブリーと言う。正式にはペッチャブリーなのだが、略してペッブリーと呼ばれている。ペッブリーという地名もあるので混同しないのか心配だが、ペッブリーと言ってみた。
 
 ペッチャブリー行きの切符。行先は読み取れないが、9時発で120バーツということはわかる。

 しばらく間があったので、水を買いに行ったりしてすごし、10分ほど前に乗り場に戻ってきた。

 どのバンに乗ればいいのかよくわからなかったが、ペッブリー?と尋ねて、ペッブリーに行くバンはわかった。でも、ビッグCで降りて、そこからモトサイで市内に向えという。どうやらペッブリー直通のバンではないようだ。ビッグCっても、市内からどれだけ離れているのか不明だが、やむを得ない。
 出発したのは9時15分ごろ。その後も南東方面に行く道路が混んでいて、なかなか進まない。
 
 50kmくらいいったあたりで塩田が続いていた。塩の山もたくさんみることができた。
 
 このあたりから道路がすいてきて、遅れをとりもどそうとするのかスピードを上げて進んだ。

 2時間30分で到着するというネット情報もあったが、結局2時間45分かかり、ペッチャブリーのビッグCの前には12時少し前に到着した。バンはさらに南のチャアムかホアヒンに向うのだろう。
 
 ペッチャブリー行きのバンもあるはずで、バンを下車したところから帰りは乗ればよいと思っていたが、そういうわけにはいかなくなった。帰りはペッチャブリーのバンコク行きのバンの乗場を探さねばならないことになった。
ペッチャブリー街歩き
 i-phoneの地図で調べると、ビッグCはペッチャブリーの街の中心から南へ行ったところだ。縮尺ははっきりわからないが、2、3km南に行っていると思う。バンのドライバーにはモトサイをすすめられたが何とか歩ける限り歩くことにする。

 手洗いを使い、飲物を買い、i-phoneの地図を頼りに、ネットで場所を調べてきたプララーム・ラチャニウェートに向う。その判断はあまりよくなかった。結局30分以上歩くことになったのだ。
 プララーム・ラチャニウェートは何と軍施設の敷地内にあった。最初はそのことがわからなくて、軍施設の門を行き過ぎて、数百メートル歩き、入口がないので逆戻り。
 
 軍施設の門から中をのぞいてみると、プララーム・ラチャニウェートらしき高い塔が見えていた(画像でもちらりと写っている)のでこの中だとわかった。車は憲兵の検問を受けていたので、何か言われるだろうと中に入ると、観光客然とした格好だったからか何も言われずに中には入れた。
 ここはラーマ5世によってつくらられた離宮だ。ラーマ5世は日本のほぼ明治時代にあたる約40年間が治世で、英仏に国土を一部割譲させながらも、独立を維持した当時の国王である。白亜の洋風建築である。

 下左  玄関は閉ざされていて裏手の入口から入場。洋風建築だが履物は脱いで入る。内部は撮影禁止であったので、写真は撮らなかったが、調度品や内部の装飾も洋風であった。

 下右  結婚式の記念撮影が行われていた。ロマンティックなムードの感じられる建築だ。
 プララーム・ラチャニウェートを出たあとは、門の前からはじまる北に向う道を北上した。門を出てすぐのあたりは、街の郊外って感じで住宅地が多く、人通りはまったくない。この道を20分ほど歩いた。
 
 いよいよ街の中心部まで歩いてきた。中心部ってもビルは少なく低層の木造建築が多い。
 
 ペッチャブリーの名物にカオ・チェーがある。カオ・チェーはご飯を氷水につけてあるもので、お茶漬けのお茶のかわりに氷水というものだ。それで、食堂を見つけるたびに尋ねてみたが、カオ・チェーを出す店は皆無だった。宮廷料理なので本格的なレストランで主に出されるのだろう。翌日、バンコクで探してみよう。カオ・チェーを探していたので、この日の昼食は食べずじまいだった。
 ワット・マハタートに到着。ここにはとても高いチェディがある。街の観光案内板でも、このチェディが街のシンボルとして大きく描かれていた。

 下左  本堂。仏像の裏手に出口があり、そこからチェディに向える。

 下右  チェディのそばまで行ったっが、周りの大理石の床が猛烈に熱く、やけどしそうで、すぐに陰に逃げて入った。
 
 今度は街の西側にあるプラナコンキリーに向った。30分ほど歩いたが、途中でカオ・チェーがないか聞いて回ったっが、結局、収穫なしだった。

 やがて小高い丘の上にチェディが見えてきた。ここがプラナコンキリー。
 
 下左  さらに少し歩くとケーブル乗り場があった。入場料150バーツとケーブル50バーツ、合わせて200バーツ。
 
 下右  タイでケーブルに乗るのは初めてだ。暑い国だけあって、開放的な車体だ。
 
 ケーブルを下りてから、さらに少し歩いて上がらなばならず、すでにかなり歩いていた身にはこたえた。

 プラナコンキリーは丘の上の一帯の公園で、メインになるのはラーマ4世の建てた宮殿。ここの洋風建築だったが、一部にはタイ風の雰囲気も感じられた。やはり履物を脱ぐのだが、手に靴をもって持って参観する。内部は撮影禁止。

 下左  丘の最高所にあるチェディ。

 下右  展望台。 
 
A
 
 展望台からは別の丘の上の寺がよく見えた。ここへ行くためにはいったん丘を少し下って、また上がらねばならず、かなり疲れていたので断念。

 ペッチャブリーでは、あとカオルーン洞窟に行こうと思っていたが、この時点ですでに16時前になっていて、洞窟は17時まで開いているが、あまり長く滞在できず、またバンコクまでの帰りに要する時間も考え、ペッチャブリー観光はこの辺で切り上げることにした。
 ケーブルを下りた後、歩いて街の中心まで行くつもりだったがソンテウが止まっていた。

 バンの乗場がわからないので、ロットゥステーションと言ったら、60バーツだという。そうか、乗り合いのソンテウだと思っていたのだが、そうじゃなくタクシー代わりのソンテウだったのだ。しかし、バンの乗場に行けるということで乗車した。
カントンの飲茶と屋台食持ち帰り
  貸切のソンテウは10分ほどでバンの乗場に到着した。さきほど訪問したワット・マハタートの少し北東のほうだったっが、自力では見つけられなかったかもしれないので、ソンテウ利用は正解だった

 バンの窓ガラスには今行ったばかりのプラナコンキリーの絵が描いてある。窓は蜂の巣状の金属板が入っているのだが、それに描かれている。一目でペッチャブリー行きのバンだとわかる。
 行先はアヌサワリーと言ったら、すぐ前のバンに乗れと言われた。16時15分に発車。

 切符にもプラナコンキリーの写真が描かれている。運賃は100バーツ。行きの別会社で別行先だったものは途中下車で120バーツだったので、行きもこの会社のバンを見つけられたらよかったのに、って思った。

 
 帰りのバンは順調に走行し、ネット情報の通り2時間30分で到着できると思っていたが、バンコク市街の少し手前でLNGガスの補給があり20分ほど停車したため、行きと同じく2時間45分かかり、19時に到着。
 
 戦勝記念塔の北東部分に到着したので、この会社の出発もこの付近なのかもしれない。
 BTSでホテル最寄りのアソークで行き、ターミナル21で夕食をすませてからホテルに行くことにした。

 ターミナル21では4階がレストラン街になっていて、直行。この日はカントンに行ってみた。
 
 
 ところが、ビールを注文したら、ビールがないという。売り切れてしまったのか、あるいは閉店まじかなので出さないということなのか。

 仕方なくジュースを注文。ビールより安上がりだったが、これでは頼りない。この店では、ある程度食べて、あとは屋台でつまみを買い、ホテルでビールを飲むことにした。
  ここの飲茶はなかなかおいしい。1品20バーツだが、22バーツのものが1品だけまざっている。どれだかは忘れてしまったが。ジュースは35バーツで、合計137バーツ。安くすませられるが、ビールが飲めなかったのが難。
 ターミナル21は散歩しているだけでも楽しいが、ホテルのチェックインをまだしていなかったこともあり、ホテルに向った。
 ホテルは定宿となった、ジャスミン。そのすぐ前の道路に串焼きの屋台が出ていたので、4本注文。50バーツ。10バーツの串が多いようだが、海産物のは20バーツなのかな。
 
 さらにコンビニで飲物を買ってホテルに向った。
 朝、預けていた荷物を受け取りフロントへ。チェックインして、部屋に入った。今回はここに3泊する。
 屋台食が冷めない間にいただく。もっとも冷めても電子レンジもあるので問題ないのだが。

 串焼きは細かく切ってくれていて、辛いタレがかけてある。皿やフォークも部屋に置いてあるので利用した。
 予約したホテルのプランにはシンハビール2缶がついていたので、そのビールを飲んだ。

 ビールを飲みながら、翌日はどうしようかと計画を考えた。
 

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