PART4
1 日 目 ペッチャブリー(ペッブリー)
JL033でバンコクへ
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![]() 羽田についた後、連絡バスで国際線ターミナルに向った。 |
![]() ここへやってきたのは、タイのガイドブックを買うためだった。何しろ、タイは頻繁に行くので毎年ガイドブックを買うことはやっていなかった。持っているガイドブックは2008年のものだったので、そろそろ買い替えなくてはと思い、書店を目指した。残念ながら書店は閉店。22時に閉店のところ、22時5分に着いたのだった。ちょっと残念。古いガイドブックも持ってきていなかったので、今回はガイドブックなしで旅行。 |
![]() 出国審査のあと、すぐにラウンジへ。一部工事中で、ファーストクラスラウンジは入れず、サクララウンジの一部がファーストクラス向けに確保されていたので、そちらを利用した。食べ物はホテルのビュッフェのようなスタイルでとるようになっていた。 |
![]() 下左 機内食は到着2時間ほど前に出、はじめには軽食が出るだけなので、しっかりいただいておいた。ビジネスクラスを利用する場合は、ラウンジではセーブすることが多いのだが。 下右 食事を終えると、4人待ちであったシャワールームの呼び出しのベルが鳴った。シャワールームに向い、30分ほどかけて利用。 |
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![]() 搭乗時刻になり、ゲートへ。優先搭乗にも長い列ができていた。まもなく搭乗。 |
![]() SS6はフルフラットにすることができるので、横になってなられるのが楽しみだ。夜行便なのでとてもありがたいことだ。 |
![]() テーブルは広くて使いやすかったし、前方から引き出すようになっていた。一方、イヤホンの差込口が肩のところにある収納ケースの中にあり、しかも収納ケースの開け方もわかりにくいのが難であった。 |
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ペッチャブリーへ |
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![]() 7日間、インターネット接続無制限で100バーツの通話(国際通話を含む)が可能なものが299バーツであったので購入。すぐにテザリングを試して使えることを確認した。今後もDTACを使うことにしよう。 |
![]() 駅に着くと、何と、4月14日からパヤタイ発着のエクスプレスラインが一時運休になったと画面に表示されていた。”一時”とはいうものの、いつまで運休なのかは何も書かれていない。このまま廃止という可能性もある。マッカサン発着のものは残るようだが、1時間に1本だし使いにくい。 |
![]() 2本目の電車は以前からそうなのか、それともパヤタイエクスプレスの休止と関係あるのかは不明。車両はエクスプレスだが各駅に停車していき、何か得をした気分だ。 |
![]() アソークへは、マッカサンで下車して地下鉄で一駅乗るのが一番近いのが、地下鉄は荷物検査があり、荷物を開けなければならないことが多いので、あえて遠回りだがパヤタイまで行って、BTSに乗り換える。 BTSの各駅にはホームドアが設置されていたが、単にドアの位置を示すために使わている。 |
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![]() まずはホテル近くのローカルなフードコートで朝食。 |
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![]() 豚肉と野菜を煮たものがとても辛かった。 下左 あまりに辛いので、BTSの駅に向かう途中の屋台でオレンジジュースを購入。 下右 一気に飲んで辛さを打ち消した。このあと、画像にも見えているアソーク駅からアヌサワリー駅へ。 |
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![]() しばらく間があったので、水を買いに行ったりしてすごし、10分ほど前に乗り場に戻ってきた。 どのバンに乗ればいいのかよくわからなかったが、ペッブリー?と尋ねて、ペッブリーに行くバンはわかった。でも、ビッグCで降りて、そこからモトサイで市内に向えという。どうやらペッブリー直通のバンではないようだ。ビッグCっても、市内からどれだけ離れているのか不明だが、やむを得ない。 |
![]() 50kmくらいいったあたりで塩田が続いていた。塩の山もたくさんみることができた。 このあたりから道路がすいてきて、遅れをとりもどそうとするのかスピードを上げて進んだ。 |
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![]() ペッチャブリー行きのバンもあるはずで、バンを下車したところから帰りは乗ればよいと思っていたが、そういうわけにはいかなくなった。帰りはペッチャブリーのバンコク行きのバンの乗場を探さねばならないことになった。 |
ペッチャブリー街歩き |
![]() 手洗いを使い、飲物を買い、i-phoneの地図を頼りに、ネットで場所を調べてきたプララーム・ラチャニウェートに向う。その判断はあまりよくなかった。結局30分以上歩くことになったのだ。 |
![]() 軍施設の門から中をのぞいてみると、プララーム・ラチャニウェートらしき高い塔が見えていた(画像でもちらりと写っている)のでこの中だとわかった。車は憲兵の検問を受けていたので、何か言われるだろうと中に入ると、観光客然とした格好だったからか何も言われずに中には入れた。 |
![]() 下左 玄関は閉ざされていて裏手の入口から入場。洋風建築だが履物は脱いで入る。内部は撮影禁止であったので、写真は撮らなかったが、調度品や内部の装飾も洋風であった。 下右 結婚式の記念撮影が行われていた。ロマンティックなムードの感じられる建築だ。 |
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![]() ペッチャブリーの名物にカオ・チェーがある。カオ・チェーはご飯を氷水につけてあるもので、お茶漬けのお茶のかわりに氷水というものだ。それで、食堂を見つけるたびに尋ねてみたが、カオ・チェーを出す店は皆無だった。宮廷料理なので本格的なレストランで主に出されるのだろう。翌日、バンコクで探してみよう。カオ・チェーを探していたので、この日の昼食は食べずじまいだった。 |
![]() 下左 本堂。仏像の裏手に出口があり、そこからチェディに向える。 下右 チェディのそばまで行ったっが、周りの大理石の床が猛烈に熱く、やけどしそうで、すぐに陰に逃げて入った。 |
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![]() やがて小高い丘の上にチェディが見えてきた。ここがプラナコンキリー。 下左 さらに少し歩くとケーブル乗り場があった。入場料150バーツとケーブル50バーツ、合わせて200バーツ。 下右 タイでケーブルに乗るのは初めてだ。暑い国だけあって、開放的な車体だ。 |
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![]() プラナコンキリーは丘の上の一帯の公園で、メインになるのはラーマ4世の建てた宮殿。ここの洋風建築だったが、一部にはタイ風の雰囲気も感じられた。やはり履物を脱ぐのだが、手に靴をもって持って参観する。内部は撮影禁止。 下左 丘の最高所にあるチェディ。 下右 展望台。 |
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![]() ペッチャブリーでは、あとカオルーン洞窟に行こうと思っていたが、この時点ですでに16時前になっていて、洞窟は17時まで開いているが、あまり長く滞在できず、またバンコクまでの帰りに要する時間も考え、ペッチャブリー観光はこの辺で切り上げることにした。 |
![]() バンの乗場がわからないので、ロットゥステーションと言ったら、60バーツだという。そうか、乗り合いのソンテウだと思っていたのだが、そうじゃなくタクシー代わりのソンテウだったのだ。しかし、バンの乗場に行けるということで乗車した。 |
カントンの飲茶と屋台食持ち帰り |
![]() バンの窓ガラスには今行ったばかりのプラナコンキリーの絵が描いてある。窓は蜂の巣状の金属板が入っているのだが、それに描かれている。一目でペッチャブリー行きのバンだとわかる。 |
![]() 切符にもプラナコンキリーの写真が描かれている。運賃は100バーツ。行きの別会社で別行先だったものは途中下車で120バーツだったので、行きもこの会社のバンを見つけられたらよかったのに、って思った。 |
![]() 戦勝記念塔の北東部分に到着したので、この会社の出発もこの付近なのかもしれない。 |
![]() ターミナル21では4階がレストラン街になっていて、直行。この日はカントンに行ってみた。 |
![]() ![]() 仕方なくジュースを注文。ビールより安上がりだったが、これでは頼りない。この店では、ある程度食べて、あとは屋台でつまみを買い、ホテルでビールを飲むことにした。 |
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![]() さらにコンビニで飲物を買ってホテルに向った。 |
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![]() 串焼きは細かく切ってくれていて、辛いタレがかけてある。皿やフォークも部屋に置いてあるので利用した。 |
![]() ビールを飲みながら、翌日はどうしようかと計画を考えた。 |