台 南  1日目     

 

 これまでの台北中心の台湾の旅と同じく、今回も日本アジア航空の午前便にて関西空港を出発。2泊3日だと、現地滞在時間の長い便を最優先で選ぶ結果、いつもこの便になる。

 水平飛行になってまもなく機内食の時間。いつも思うのだが、JALとほとんど同一の会社であるにもかかわらず、機内食は、JALより良い感じがしている。

 予定通り、中正空港に到着、入国手続、両替をすませ、バス乗場へ直行。

  今までなら、ここから台北市内に向かったが、今日は違う。台中行きに乗車した。 台南に向かうのに、逆方向の台北に行かず、台中を経由することにしたのだ。

 ほかに、空港最寄の桃園行きに乗る方法も検討したが、このルートは帰路で使う予定だ。どうしてかというと、この時に桃園に着いても、いい列車がないのだ。

 さて、台中まで、ガイドブックでは2時間強とあるのだが、これは台中の中心部までの話。

 台中の中心街は駅から数km離れている。途中で何度か停車し、大部分の客は途中で下車していった。

 結局、高速道路を通行中は早かったのだが、台中市内の走行に時間がかかって、台中駅まで2時間50分。 あと20分遅れると、予定の列車に乗れなかった。

 ついでだから、最終目的地のバスターミナルまで行ってみたが、単に各会社の乗場が近くに多いだけで、ターミナルとは呼びにくい感じだ。

 台中駅は、日本統治時代からあるような雰囲気の駅舎である。確か「台中車站」という看板がついている画像を見たことがあるのだが、、

 すぐに台南行きの自強号の乗車券を購入。切符にくわえて、「休息時使用」と書かれた小さい「座位証」も渡される。これは、座席の前に差込があって、そこに入れておくと、検札のときに起こされないですむというためのものだ。

        

 

 

 

台 湾 の 列 車

 2006年はじめの状況で言うと、列車種別は、「自強」「莒光」「復興」「電車」「冷気柴客」「冷気平快」「柴快」「平快」「普通」がある。

 台北-高雄間の西部幹線では、最も早いのが「自強」、次いで「莒光」である。「復興」は通過駅はあるが、速度は各駅停車の「電車」と変わらない。ローカル線から乗り入れている「冷気柴客」が少し走っている。嘉義以南で「冷気平快」がわずかにある。「柴快」「平快」は東部幹線、「普通」は南廻線でみられるだけだ。

 

   運賃は「自強」「莒光」「復興」「普通・平快」の4種あって、「電車」は「復興」と同じ運賃である。「冷気柴客」「冷気平快」も同様。一番安いのは「普通」「平快」 「柴快」である。短距離輸送の主力である「電車」が「復興」と同じというのが特徴だ。

 ちなみに、台中-台南は、「自強」が366元(約1392円)、「莒光」が282元(約1082円)、「復興」が236元(約897円)で、「普 通・平快」の運賃で乗れる通しの列車はない。この区間の距離は160.1kmで、日本のJRでは、運賃が2940円で、特急自由席の場合は1680円または2100円が追加になる。(2006年2月現在)

 
 台中のプラットホームにて。プラットホームは「月台」という。ひとつの「月台」の両側をA,Bにわけている点が日本と違う。 「台中1」とあるのは、そこに1号車が停車するという案内。

  太原、大慶とは、何か大陸を連想する。

 列車が到着。3分ほど遅れていた。全車指定席なので、ゆっくり撮影してから乗車。

 席を探すと、そこには、すでに人が、、、切符を見せたら、すぐに立ってどこかに行った。

 

 「座位証」を差し込んでおいたが、すぐに検札がやってきたので、寝ているときはどうなのか確かめられなかった。

 「座位証」を使っている人は少ないので、そのうち廃止されるかもしれない。

 台南に到着後、すぐに先頭車を撮影。1号車に乗っていたので、先頭まで行く気になったのだ。

 台南の駅舎も日本統治時代からのものだろう。ヤシの木が南国を、入口が丸いことが中国を感じさせる。

 この画像を撮影している自分の近くには、この地で人気の高い、鄭成功の像がある。

 鄭成功は、17世紀に、一時この地を占領したオランダを撃退した人物で、人気がある。

 2泊するのは、駅から歩いて5分の光華大飯店。今回は、飛び込みでレセプションに出向き、一番安い部屋を注文した。1泊680元(約2584円)。日本語のわかる人がいるので、とてもラクチン。

  30分ほど休憩して、さっそく食事と夜の散歩に出発。

  以後、食事のメニューと店名は赤太字(番号は食事順 )、通常の観光地は青太字、日本統治時代からの建築物は緑太字であらわす。

    台南の中心にある民生緑園に面して、旧台南政庁(現台湾国家文学館と国立文化遺産保存中心 、数年前まではここが台南市政府だった)があった。ライトアップされて美しい。日本統治時代からの建築の中でも一番、気に入ったのがここ。

  こちらも、民生緑園に面している、旧台南合同庁舎(現台南消防局)。

  台湾も消防は119。日本統治時代のままなのだろう。建物の左手1階部分には消防車がはいっていた。

  旧台南政庁とはメインストリートの中正路をはさんで向きあっている。台南のメインストリートは、民生緑園を境に、東が中山路、西が中正路と名が変わる。(中山は孫文、中正は蒋介石の号)

  台南での食事、一発目は、民生緑園の近くの度小月の担仔麺をねらっていたのだが、あいにく、超満員。ここは翌日回しにして、別の店へ。

  同じく民生緑園近くの再発号(1)肉粽(50元)を食べた。注文すると、ちまきの竹皮をあけ、だしをかけて出してくれる。先が二われした、特別なものを使って食べる 。

  民生緑園の近くに、ライトアップされた教会があった。1864年からある長老派の大平境基督教会だ。

 続いてチャレンジしたのが、左上画像。汕頭魚丸湯(2)魚麺(35元)である。魚をすりつぶして作った麺に、辛いスープがかけられ海苔がかけられている。台湾版の魚そうめんといえる。大小の別があったので、他のものを食べるため、小にした。

 さらに、西門広場近くの阿鐵炒[魚善]魚([ ]の中は2字で1字)で、(3)[魚善]魚意麺(60元)を食べた。[魚善]魚とは、田うなぎで、意麺は、やや太目の麺で料理名でなく麺の種類だ。この場合は、田うなぎのあんかけの意麺である。

  食後の腹ごなしを兼ねて、西門近くの赤崁楼に行った。台南で第一の名所といえば、ここか安平の城であろう。

  17世紀、オランダは台湾の南部を占領した。1653年にオランダの拠点として作られたのが赤崁楼である。

  その後1661年に鄭成功は、オランダを台湾から追い出すことに成功した。

  

 赤崁楼も、中国風のものになったが、19世紀の地震で倒壊。その後、たてかえられたりして、現在にいたっている。だから、土台以外は、19世紀以後に建てられたものである。

 土台の一部には、オランダが城を建てたときのものが残っていた。

 

  台南にはいたるところに廟がある。赤崁楼の近くには、関羽をまつる祀典武廟があった。
  同じく近くには、大天后宮があった。こちらは、媽祖をまつっている。

  媽祖は、中国南部や台湾の沿岸部で、航海、漁業の守護神として信仰されている女神。澳門は、この廟の名前が語源となっている。

 食べ歩きはまだまだ終わらない、西門広場から2kmほど離れたところに、小北夜市があるので行ってみた。

 台南を代表する夜市であるが、大きな敷地のあちこちにすでに撤退した屋台の跡地があり、思ったよりも寂しい。

 

  すでに満腹に近かったものの、ちょっと歩いたりしたので、少し食べてみることにした。

 まずは、(4)官材板(40元)。これは、揚げたトーストの中にクリームシチューを入れたもの。画像は、シチューが見えているが、運ばれたきたときには、蓋がついている。蓋もトーストである。蓋を食べてから、撮影したのだ。

 ところで、官材板とは、本来は棺桶という意味なのだ。つまり、カンオケトースト。

  しめくくりに、小北夜市の中に支店がある小林木瓜牛奶(5)木瓜牛奶(50元)を注文。

  パパイヤのまざったミルクはなかなかいける。西瓜牛奶とかいろいろな種類があるので、次回訪問したときには別のものを試してみたい。

  これで、1日目の食べ歩き終了。台南に着いたのは、18時ごろだったが、4時間くらい歩き回ることができた。これで、台南の街の概略もわかった。

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