3日目前半  阿 里 山

 

  3時50分にモーニングコールがあるのだが、すでに3時すぎに起きて、この日の日程を考えたりしていた。日の出を見に行ったあと、朝食。そして、阿里山の山上の遊歩道を一回り。ホテルを9時30分にでる送迎バスでバス乗場に行き、10時のバスで嘉義に向かうことにした。

  雨は降っていないが、空には星があまり出ていない。曇っているようだ。日の出を見ることはほとんど無理だろう。でも、せっかくだから、祝山線の列車には乗っておきたい。

  モーニングコールののちベッドを出て、冬支度をしてホテル近くの沼平駅に向かった。ホテルの脇を祝山線の線路が通っている。そして、駅に向かう途中には、屋台が並んでいるが、もちろんまだ閉まっている。

  駅にあった高度図によると、沼平は2300m、祝山は2500mの高さだ。

 

 

  列車の時刻は4時30分とのことだったが、どうも阿里山仮駅の発車時間のようだ。沼平発はおよそ10分後。沼平から乗るのは、20人ほどで、全員が自分と同じく、阿里山閣大飯店の客であろう。

  祝山行きは片道100元、往復150元。帰りも午後の列車で、というなら、下山時は歩きも楽しそうだが、10時のバスに乗る関係上、往復、列車にした。

  やがて列車が到着。先頭と真中に機関車がついていて、客車は10両ほどであった。

  前日は雨模様だったし、沼平からの乗客も、ホテルに泊まっている客のうちおそらく4分の1か5分の1くらいの客しかきていないし、列車はすいているだろうと思っていた。

 

 

 

  だが、予想外にも車内は満席。祝山までの20分は立つことになった。祝山線の客車は、ロングシートで向かい合う人の間の幅もあまりない。

 

  祝山着。吐き出された人の波を見てびっくり、こんなにたくさんの人たちが乗っていたとは予想外だった。昨日の森林鉄路の乗客数はさほど多くなかったので、大部分の客は、自家用車か観光バスで来ているのだろう。

  帰りの列車の時刻を確認。6時の1便だけだ。現在時刻は5時、日の出はもし見られれば5時30分ごろなので、日の出のあとすぐに駅に戻らねばならない。  

  日の出を見る場所は、駅のすぐそばにもあるが、さらに10分ほど坂道を登っていくと祝山の山頂があり、そこのほうがおすすめらしい。で、暗い中をハイキング。着いてみると、ここにもたくさんの人がいてびっくり。

  次第に東の空が明るくなってはいったが、日の出を見ることは無理だと思いながらながめていた。5時30分ごろ、予想外の日の出。太陽の光が輝き、歓声があがった。

 

  しばらく感動の余韻にひたろうと、10分ほど山頂に滞在した。台湾の最高峰、玉山も近くに見える。3952mで、日本統治時代には日本の最高峰でもあり、当時は、新高山と呼ばれた。「ニイタカヤマノボレ」のニイタカヤマである。

 

 

 

  下山の列車の発車が近づいてきたので駅に戻った。6時ちょうど発車。

 

 

  帰りは歩いて戻る人も多いようで、座ることができた。

 

 

 

  6時発で、沼平には6時15分着。ホテルに戻り、一休みすると、朝食時間の6時30分になった。

  朝食は、中華風の自助餐(バイキング)。このあと、遊歩道を回るのでしっかり食べておいた。

  いったん、部屋に戻り、すぐに散策に出発。ちょうど7時なのだが、9時に戻るつもりだが、うまくいくかどうかは不明。

 

 

 

  散策コースの出発地点。右側の線路が祝山線、撮影している自分の背後にホテルがある。

 

 

  最初のポイントは、姉妹潭という2つの池。右は姉潭。静かな池である。

 

 

 

  次に、受鎮宮。山の中に突然、左のような中国風の建物が出現し、びっくり。一方、撮影している自分の背後には小学校がある。阿里山の中心部から離れたところに小学校があるのだと、これまたびっくり。

 

  続いて、巨木群桟道。原生林の中を歩く遊歩道で、この道に沿って、巨木が並んでいる。樹林の中を、木道に従って、迷うことなく気軽に歩くことができる。

 

 

 

 

  この遊歩道が整備されたのは1987年のことで、そう古いことではない。それまでは、巨木を見るのは難しかったことだろう。

  巨木には番号がつけられていて、37号までついていた。1本1本の巨木には説明があった。一番、古い木は28号巨木で、周囲13.1m、高さ43.5m、樹齢2000年の紅檜である。

  樹齢1000年程度のものはたくさんある。紅檜は、台湾特有の木で、霧のたちこめる高度1500〜2200mの付近に育つ。くさりにくく、建築材に適しているとのこと。

 

  やがて、森林鉄路の神木駅に出た。阿里山のひとつ手前の駅で、スイッチバック構造になっている。

 

 

 

 

  この駅のそばにも古い木があったのだが、1997年の大雨で一部が倒れ、残りの木も木も危ないので、切り倒された。その残骸が駅のそばにあった。

  この駅から、もう1ルートの巨木群桟道がはじまっていて、そちらも歩いてみた。先ほど歩いたコースは下り道だったが、駅付近が低くて、今度のコースは上り道で少したいへんだ。

  遊歩道を終えると、日本統治時代には、形が万歳をしているようだというので万歳檜と呼ばれ、今は千年檜と呼ばれている檜を見た。やがて、高山博物館。山小屋風の建物だ。日本の統治していた1912年にできたものだが、整備中とのことで中には入れなかった。

  左の樹霊塔は、1935年に、樹木にも霊があり、その供養をしようと日本人が立てたものだ。

  右は琴山河合博士の功績碑。琴山河合博士は1904年に阿里山を調査し、その功績をたたえて1933年に建てられたものだ。 彼は、阿里山鉄道の設計もした。

  日本統治時代のものがいろいろ残る。

  1919年に日本人が阿里山寺を建てた。阿里山が、インドの聖地、霊鷲山に似ているからだという。1945年に、慈霊寺と改称された。

  右は、三代木。倒れた一代目の木から二代目が育ち、さらに三代目が育つ。

  左は、象鼻木。言われてみれば、象の鼻のようにも見える。

  このあと、阿里山賓館のそばを通って、ホテルに戻った。予定通り9時に戻れた。4kmを2時間かかって歩いたことになる。

 

  しばらく部屋で休んでから、チェックアウト。送迎バスが9時30分に出るので、バスの中で待ったいたら、列車の響きが、、、こんな時間に列車がないはずだが、、工事用の列車だった。

  送迎バスに乗ったのは自分ひとり。嘉義行きのバスの出発点まで5分。切符は商店で販売していた。まだ時間があり、ビジターセンターを見学したりして、10時のバスを待った。

 

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