3日目後半  台 中

 

  10時発のバスは早くから、乗場に停車していたが、実際に乗れたのは1分前。そのため、少し遅れての発車。乗客は10人ほど。いい時間帯のバスだったので、これだけ少ないとは意外だった。

 

 

 

 

  嘉義までのバス運賃は200元(約740円)で、鉄道の半額。しかも、所要時間は、鉄道の3時間30分に対して、2時間30分。鉄道の席数が限られていることもあり、バスは混んでいるかもしれないと思っていたが、、

  鉄道は人里離れた無人地帯を通っているかのようで、阿里山の山上に着くと大きな集落があってびっくりする。だが、バスで上れば、ところどころの村々を経由して上るので、そんな印象はいだかない。どちらを選ぶか言われたら、景色を楽しむなら鉄道、時間の短く安いのを選ぶならバスだ。  

  阿里山の中腹は茶の産地で有名だ。ここで栽培される茶は、阿里山正露烏龍、阿里山正露金萓などの名で結構いい値がついているのを台北のデパートで見たことがある。

  快適に走っていたバスが突然、速度を落としたかと思うと、火事現場だった。すでに、火は消えていたが、建物は丸焼け。火が出ている間は、バスもストップし ていただろう。

  やがて、大きな町にバスは入った。ひょっとして、もう嘉義? そう、ガイドブックでは、バスの所要時間は2時間30分ということだった。しかし、実際には、2時間5分ほどで嘉義に到着。出発時の遅れと火事騒ぎがなければ、2時間だ。

  予定していた乗車列車は12時59分発の復興だが、幸運にも、12時14分発の自強に乗れそうだ。1時間早く、台中に着ける。

  だが、駅での乗り換え時間は10分もなく、大慌てだった。バスを降りると、切符売場に向かって駆け足。いつもは、切符を買うときに、紙に、行き先と列車種別を書いて見せているのだが、今回は書かずに、売場で、「タイチョン ツーチャン」と言ってみた。ただし、発音が悪くても、台中、自強ということがわかるように、おつりなしの225元ぴった りを出した。通じたようで、切符が出てきた。

  改札を入り、地下道からホームに向かい、車内で食べる駅弁を購入すると、もう列車が入ってきた。ふ〜ぅ、間に合った。

  ホームの案内と列車の出入口横の行き先表示を見て気付いた。前日、嘉義に降りたったときの列車と同じ列車なのだ。どこでわかったかというと、1日1本しかない花蓮行きだから。

  嘉義に着いて、出発するまでちょうど24時間だったことになる。

 

 

 

  発車後、少し落ち着いてから、駅弁を開けた。台湾の駅弁はどれも同じような感じだ。日本で言うと、幕の内弁当的なものだけで、駅ごとの特徴のあるものは 見当たらない。

 

  台中着、13時29分のはずが、台中の少し手前でなぜか臨時停車し13時40分着。着後、すぐに駅の右手にある達欣大飯店に向かった。駅から3分。

  フロントでは日本語は通じなかったが、雰囲気で一番安い部屋を頼み、820元(約2950円)の部屋を確保。部屋に入るとエアコンが効いていて、気持ちいいので、少し休むことにした。何しろ、この日は3時に起きていたので。

 

 

 

  少し休むだけのつもりだったが、すっかり熟睡してしまった。気がつくと、15時30分。1時間半ほど寝ていたことになる。

  台中は今後、何回も来ることになるだろうが、少しは見ておきたいということで、起きてすぐに街歩きに出発。

  まずは、孔子廟に向かった。駅から2kmほどあるので、バスで行くつもりだったが、バス停がよくわからない。歩きながらバス停を見つけようと歩いているうちに1kmほど歩いたため、もうずっと歩こうということにした。

  台北や台南と同じような大きさの廟だが、何だかひっそりしている。本殿を一周したあと、隣にある忠烈祠に行った。

 

 

  なぜだか、忠烈祠は本殿には入れなかった。右の建物を抜けて、その奥に本殿があるのだが、、ここも、台北の忠烈祠を想像していったものだから、誰もいない敷地内を歩くことになり、びっくりした。

 

 

  続いて、宝覚寺へ。大黒様風の大仏がほほほえましい。寺そのものは新しい寺で何も見ず、大仏を見ただけ。

  次に、繁華街である台中一中街へ。台中一中はじめ学校がたくさん集まる地区にあり、若者の多い街らしい。

 

 

 

  ちょうど、授業が終わって下校時間にあたっていたので、高校生が多い。台湾の学生服は、シャツ風のものが多く、胸に学校名と番号が縫いつけてある。

 

  次に、中山公園へ行った。一見、何の変哲もない市民の憩いの場であるのだが、公園の端のほうに、日本統治時代に台中神社があった痕跡があるというので行ってみたのだ。

 

 

 

  日本語の書かれたものが並んでいる。灯篭の台座のようだ。真中の通路は、かつての参道で一番奥に本殿があったのだろう。

 

  かつて本殿があった部分。日本風の石の柵が残っている。本殿の建物があったところには、孔子の像があった。

 

 

 

 

  次に、今も残る日本家屋を見に行った。3軒が並んでいたが、2軒はすでに人が住んでおらず、いつ壊されてもおかしくないような感じだった。

  日本家屋を見たのが18時ごろで、このころ暗くなってきた。さらに中華街夜市を見るために移動。すでにかなり疲れていたので、バスに乗ろうと思ったが、系統がよくわからず、結局、歩いた。

 

 

 

 

  咖哩鶏飯を食べてみた。日本のチキンカレーと同じようなもの。量は結構多かった。

 

  この日は、台中市内を10kmくらい歩いたことになる。市内バスの系統がよくわからず、歩きとおしたためだ。これだけ歩いても、台中の新しい繁華街である港中地区にはいけなかった。

  左は、ホテルの窓から見た台中駅前のバスターミナル付近の様子。翌日の予定を考えながら、1日を終えた。

 

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