2 日 目  太 魯 閣 ・ 花 蓮

 

   2日目は6時に宿を出発し、台北車站に向かった。6時42分発の「自強」で花蓮まで乗車券を購入。さらに、朝食用の軽食をコンビニで仕入れた。

 地下に降りると、台湾高鉄の改札がまず目に入った。台湾高鉄(高速鉄道 日本の新幹線に相当)は、2007年1月5日に仮開業(板橋−左営)し、3月2日に正式開業(台北−左営)した。この日は、3月9日なので、高鉄・台北站が開業してから、まだ1週間だ。  

   乗車券購入の際、ファーリェン、イーチャンと告げたところ、時刻を尋ねられたのだろうか、何か言われたけれども意味不明だった。

 出てきた切符は、午後の便、それで、紙に6:42と書いて見せると、切符が作り直された。それで、「刷 換」と書かれている。

  

  台鉄ホームから、高鉄ホームが見える。台鉄と高鉄のホームい各"つ並んでいる。かつて の台鉄ホーム4つ中2つが高鉄に回されたわけだ。

  発車5分前にやってきた自強号は、気動車。東部幹線は、花蓮までが電化されているが、花蓮から先は非電化だ。ただし、乗車した車両など大部分は花蓮どまり。一部の車両が、知本まで行く。

 発車すると、駅内コンビニで買った肉まんとちまきで朝食。

  このあと2時間以上の道中は、翌日のプランニング。どこに行くか悩んだ結果、宜蘭と礁渓温泉に決定。

  

  9時37分到着のはずだったが、何と5分も早着。大部分の乗客はこの駅で降りる。

  まず、翌日の時刻を調べる。8時10分発の列車で宜蘭に行くことにしよう。その後は、その都度考え、16時ごろに台北に着きたい。

  次に、太魯閣に向かうバスの時刻調べ。しかし、太魯閣ツアーの売り込みの激しいこと。落ち着いて、時刻調べもできないほど。

  10分前に9時30分発のバスが出たあとだった。次のバスは1時間後、10時40分。

  上の花蓮駅舎は、バス乗り場付近から撮影。この撮影も、ツアーの売り込みを受けながらの撮影だった。

  花蓮−蘇澳の開通は1980年のことで、それまで花蓮−台東はほかの鉄道とは切り離された軽便鉄道であった。この開通のさい、花蓮の駅の位置も大きく変わり、市街の中心部から、2kmほど離れた現在の駅になったのだ。

  このあと、ホテル探し。ガイドブックで駅前にある手ごろなホテルを目星つけておいた。ところが、現地にやってくると、そのすぐそばに、よりきれいなホテルを見つけ、まずそちらに入ってみた。

  青葉大飯店。この日は平日で1400元(約5040円)。土曜日は1500元、春節などの連休時は2600元のようだ。目星をつけておいたホテルはもう少し安いかもしれないが、こちらに決定。6階の中央付近の部屋に泊まった。

 

  部屋は改装されて間がないようで、かなり新しい。バスタブもついていて結構広い。まずは、20分ほど一休みする。  

   バスの切符を買おうとすると、もういなくなっていると思っていたツアーの売込みが、再び現れる。

  切符売場に貼ってある地図を使ってツアーの訪問地を案内し、無視していた自分が運賃を出そうとすると、今日はバスは運転されていない、なんていうじゃないか。  

  一瞬、びっくりしたが、無視して、切符を購入。まさか、台湾にこの手の商売人がいるなんて、、運賃は155元(約558円)。

  そばに、かつて走っていた軽便の車両が置かれているので、見てまわった。台数は結構あるが、ただ置いてあるというだけなので、すぐに見終わる。

  バスはというと、なかなかやってこない。5分ほど遅れて、天祥行きのバスがやってきた。

  このバスは、かつての花蓮駅付近にある総站からやってきて、再び総站の近くまでもどって、天祥に向かう。

  天祥まで乗ったのは、自分以外には一家族3人だけだった。ほかには、2,3人乗ったのだが、いずれも、花蓮市内から少し郊外に行ったところまでの短区間を乗車しただけ。

  路線バスで太魯閣に行く客は少ないようだ。なお、自家用車や観光バスで来る客は平日でもかなりあった。  

  途中、太魯閣バス停で10分ほど休憩。太魯閣バス停といっても、ここは太魯閣の入口にすぎない。ここから峡谷に入る。

  布洛湾景観站というバス停は、メインルートから2kmほど別の道に入ったところにある。わざわざ、このバス停に立ち寄っていくので時間がかかる。海が見えるのだろうか。

  12時35分に天祥に到着。山奥の小さな集落だ。帰りのバス時刻を確認。15時40分発がある。これに少し歩いたバス停から乗る。

ここで腹ごしらえ。竹筒飯60元と関東煮50元。

  13時前にハイキング開始。バス停から少し歩いたところにつり橋がある。渡って、少し上ると塔があるので、行ってみることにした。祥徳寺だ。本堂はとても新しい。

  道路に戻り、徐々に山を下る。祥緑隧道というトンネルがあった。このトンネルは、歩行者用の一段階高い部分があり、また照明もついていた。

  しかし、山を下るにつれて、トンネル内の歩道や照明がなくなっていった。このハイキングコース、落石も怖いが、それ以上に怖いのは、道路、特にトンネルを歩くことだ。

  自家用車や観光バスで来る客はかなり多く、車はひっきりなしに通るのだ。先ほどの路線バスの乗客数からは予想できなかった。

    いたるところに落石注意の看板。落ちる石がリアルな看板だ。地震などがあると、とても危なそうだ。

  しばらく歩いた緑水には展示館があり、東西横断道路の工事の困難さなどの展示がされていた。

 

  

    岩を削ってひさしのようになっている箇所や、岩をくりぬいたトンネルと工事の大変さを物語っている。

  右の画像のように、普通には行けないような場所に堂が建てられているところもところどころにある。

 

  一番、風光明媚とされる九曲洞。左上はその起点。川沿いを行く旧道がハイキングコースになっている。トンネルが新道。右上は地震でできたらしいがけ崩れのあとで、

  曲がる箇所が多く、洞窟のように岩をくりぬいた部分が連続し、九曲洞と呼ばれる。 この箇所の入口まで、観光バスやタクシーで来て、反対の入口で拾ってもらう人も多いが、自家用車の人は途中で引き返す。

  九曲洞を過ぎると、高さ200mくらいの垂直な壁が現れる。錐麓大断崖と言われている。太魯閣で最大の絶壁だ。

  顔を上に向けなければ、よく見えないような景色で、画像も撮影しづらい。右は上部だけで、実際には、縦はこの3倍くらいの長さになる。

  ここの空の形は台湾の島に似ているといわれるが、どうに似ているというのか、はっきりわからなかった。  

    さらに車道を進むが、ますますハイキング客にとっては難関だ。たくさんあるトンネルの照明がないからだ。

  幸い、懐中電灯を持ってきていたが、自分の足元を照らすのには役立つが、ドライバーに歩いていることを知らせるには出力不足だ。

  恐ろしい思いをしながら、最終区間を歩き、15時30分に靳珩橋に到着。8kmを2時間30分で歩いた。

  歩いていたハイカーはごく少数だった。やはり、車で来る人が大部分だからだろう。少数のハイカーのための交通安全対策が不足しているので、ここを歩くのは楽しいが、おすすめはできないと思った。

  靳珩橋では、20分あまり休憩し、花蓮行きのバスに乗車。花蓮まで128元。

  やってきたバスは客は乗っていなかった。天祥から靳珩橋まで8kmは空気を運んでいただけだ。靳珩橋からは、自分以外に、若者ハイカー3人組が乗車。

  再び、布洛湾景観站に立ち寄り、太魯閣バス停で10分休憩というのは行きと同じ。

  太魯閣バス停を過ぎたあたりで、渓谷が広い河原を持つ川になっていた。ここから1時間、居眠りしながら花蓮に向かった。

  花蓮が近づいてくると、学校から帰る生徒などでようやくバスは満員状態になった。17時前に、花蓮の中心に近いあたりで下車。

 

 

 上は、中山路と中正路の交差点。この2つの通りは、台湾の多くの街で重要道路につけられている。

  まずは、排骨麺を食する。麺はうどんのような感じの麺であった。50元(約180円)。

  次に、扁食。ワンタンスープのことで花蓮の名物のようで、いたるところに、扁食の看板があがっている。右のは、肉入りワンタンが10個入っていた。こちらも50元。

  かつて軽便鉄道が走っていた区間の一部分は、線路が残され、若者向けの店が立ち並んでいて、にぎわっていた。

  左の画像には、レールが写っているのだが、わかるだろうか。

  左端に写っている木の建物は駅の待合室を模したような感じだった。

  

  花蓮にも夜市が何箇所かあるようだが、一番いきやすい街の中心部の夜市を訪れた。

  小籠包のせいろが20個くらい積まれているのをはじめて見た。

  何か食べようかとも思ったが、腹が受付そうになかったので、冷やかしてみて回っただけ。

  このあと、かつての花蓮駅跡の広場へ。

  ここに駅があったことは、記念館でわかる。再び花蓮を訪問したときに入ってみよう。

  噴水の向こう側には、花蓮客運の総站(ターミナル)がある。

  このあと、夜の花蓮市内を2kmほど歩き、駅前の宿に戻った。かつては街外れにあったと思われる今の駅もすっかり市街地になっている。

  宿には8時に戻った。翌日の予定などを確認して早めに休んだ。

 

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