1 日 目  金 門 島 へ

 

  今回は、キャセイ航空の台北経由便を利用した。キャセイ航空は、定時運航をする信頼性の高い会社で、今回はそのことに期待している。なにしろ、国内線に乗り継ぐから。

  

  旅行中、天気は曇りがちのようだ。雨が降っても困るし、快晴であっても日焼けが心配なので、ちょうどよさそうだ。

  機内食はフィッシュを選んだら、あなごご飯だった。ほどよい味付け。茶碗蒸し風のものがついていたのもいいことだ。

  キャセイ航空の香港・日本間の便では、デザートにアイスがでていたので、今回も期待していたが、短距離であるためか、アイスはなし。

  2時間少々で台北に到着。ほとんどの客は、台北で降りるようだ。ごく一部の客が、香港に向かうようで、ゲート待合室へ行った。

  預け荷物がないので、入国審査、両替をさっと済ませて、バス乗り場へ。

  いつも使う国光客運だが、今回は、はじめて松山機場行きを利用。

 

 

 

 

 

  運賃は、台北車站行きと同じ125元(約500円)だが、座席は格段に違う。片側2人、片側1人で、リクライニングもよくきく。客は数人だけだった。

  40分ほどで松山機場に到着。すぐに切符売場へ。

  国内線は、立栄、復興、遠東、華信の4社が運航している。金門行きもこの4社が入り乱れて運航。

 

 

 

 

  だから、4社の切符売場を回り、一番早く出発する便の会社を選んだ。直近の出発は、復興航空だったので、そこで切符を購入。2128元(約8590円)。

  立栄(UNI AIR)は、国際線を運航する長栄(EVA AIR)の子会社のようで、親会社と同じくシンボルカラーは緑で、ロゴも同じデザイン。復興、遠東、華信は、いづれも、国際線も少し運航しているようで、復興は、澳門行きを運航していた。

  搭乗便は、14時55分発の復興239便。その一つ前の、14時10分発の便が、遅れていたので乗れたはずなのだが、切符は売ってもらえなかった。

  

  14時55分発の便も遅れて、15時10分発だとか、、実は、15時30分の出発になってしまった。

  

  台湾では、国内線搭乗時には、ゲートで身分証明書のチェックが行われる。地元客は、カード式のIDを携帯しているようだ。

  ゲートから飛行機までは歩いて向かう。

  飛行機はアジア各地でおなじみATR72。台湾でも国内線にはよく使われているのだろうか。

 

 

 

 

  機内はがらがら。何と客は8人だった。だからといって、いつもすいているのではなく、台北に戻るときは、混んでいたし、便によっては満席の表示がでていたりもした。

  飛行機は、台湾西海岸を台中と台南の間あたりまで南下し、向きを90度変えて、澎湖諸島上空を通り、金門島に向かう。台湾海峡を最短距離で横断するようになっているようだ。

 

 

 

 

  16時30分に金門・尚義空港に到着。飛行機からターミナルへは歩いて向かう。

  ターミナルにはいると、まず、ここは中華民国だということが強調される。

  すぐにセキュリティエリア外に出る。出発ロビーのほうに行って、帰りの便の時間を見ておく。

  たくさんの便があるので、予約はしないでおく。そのときの状況に応じて、すぐに出発する便に乗りたいからだ。ただ、最終に近い便は避けよう。満席なんてことになっていたら、困るので、、、

  右は、空港内の郵便局の前に掲示してあった郵便番号表。金門県は6つにわかれているが、このうち、金沙、金湖、金寧、金城の4つの郷や鎮が金門島にある。金寧だけが郷で、あと3つは鎮。(郷とは村、鎮とは町に相当する。)

  烈嶼は小金門にある郷。烏坵は金門島より南にある小島である。ここは自由にいけるのかどうか不明。

  金門県の下に連江県があるが、これは馬祖列島だ。1つの島が1つの郷になっている。

  その下に南海諸島が書いてある 。あまり知られていないが、南シナ海の東沙諸島は台湾が実効支配している。また、遠く離れた南沙諸島にも台湾が実効支配している島がある。ただし、民間人は行けない。

  さらに、釣魚台烈嶼(尖閣諸島)は、実効支配していないが、郵便番号がつけられている。

  タクシーで、島の中心である金城のホテル、金門旅館へ。ガイドブックから探し、ドライバーに見せて送ってもらった。200元(約800円)。10分ほどで到着した。

 

 

 

 

 

  予約していなかったが、空きがありすぐにチェックイン。1泊、1080元(約4300円)で2泊。1時間弱、部屋で休憩。

  金城中心部を徒歩で見て回ろうと、ホテルを出発。左は、ホテルの前の通り。

 

 

 

 

 

 

  まずは、天后宮。航海、漁業の神様とされる媽祖の廟。福建省や台湾の各地にある。

  続いて、莒光楼へ。

  1953年に、中国への反抗の拠点として建設された建物。

  切手の図案にもなっていたようで、切手が展示されていた。その他、内部にはいろいろな展示がおこなわれていた。

  最上階からは、金城の街がある程度、見渡せるが、木々に邪魔をされて、見づらい。

 金門を守った将軍の展示。

  建物の前にある、鄭成功の軍が使ったという大砲。鄭成功は福建省での活動を行ったが、うまくいかず、金門島に追い詰められていた時期があったのだ。彼が、台湾に向かいオランダ勢力を駆逐するのは有名だが、その前には、金門島を拠点にしていたのだ。

 

 

 

 

  莒光楼の前にあった電話ボックス。ほかの観光地でも同じボックスがあった。なかなか面白い。

 

 

 

 

  中国では禁止されている法輪講が活動をしていた。実際のところ、どのような宗教なのか気になる。

  次に、模範街へ。

  1925年に建設された洋風の長屋建築。

  アーチ型になっている部分が美しい。1階には、いろいろな店舗がいまでも入居している。

  2003年に歴史建築の指定を受けた。

  そろそろ夕食タイム。金城の繁華街らしきところを歩いていたら、にぎわっている街中に、邱良功母節孝坊があった。

  その下のところには、シーサーのようなのが4体置かれている。

 

 

 

 

 

 

  そして、清金門鎮総兵署。中に入ったら、すぐに追い出されてしまった。

  さて、夕食は、金門で有名な、蚵仔麺線。

  カキのたくさん入ったそうめんだ。

  あと、手工水餃も注文。あわせて85元(約340円)。 

  金門の夜は早い。食事を終えた20時30分ころには、ほとんどの飲食店は店じまいしていて、繁華街も人出が少なくなっていた。ネットカフェもなく、コンビニで飲み物を買ってホテルに戻った。ホテルで翌日、1日、タクシーをチャータすることを頼んでおいた。

 

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