2007.6  金 門 島 +ちょこっと台北

 

  7回目の台湾旅行。今回は、「台湾であって台湾でないところ」・・金門島をメインとした旅だ。

  金門島は、台湾の近くにある島ではない。中国大陸から5kmほど離れたところにある福建省の島なのだ。中国の主要都市である廈門(アモイ)からも5kmほどしか離れていない。下左図の通り、中国大陸の沿岸にある島なのだ。しかし、この島は、馬祖島とともに、台湾政府の実効支配のもとにある。そんなわけで、「台湾であって台湾でないところ」なのだ。台湾からみれば離島だが、中国大陸からみれば沿岸に数多くある島のひとつだ。

  どうして、こんなところに台湾の島があるのか。1949年の中国内戦の最後に、金門島で激戦があり、当時の国民政府側がこの島を死守。さらに、1958年に、当時ほかにもあった大陸沿岸の国民政府側の支配していた島々に対して、大陸側が攻撃。多くの島が大陸側の島になったが、金門島は、馬祖島とともに国民政府側が守り抜いた。 散発的な砲撃は1978年まで続いた。(米中国交樹立で砲撃は中止)

  その後も、この島は、国民政府側の最前線として、観光客の立ち入りはできなかった。ようやく1992年に、民政に移管され、台湾国民は国内ビザなしで訪問が可能になった。また、1994年に外国人の立ち入りができるようになった。2001年には、島の住民に限り、大陸側との通信・通商・通航(小三通)が 解禁された。

  2002年には、福建省にいる台湾人ビジネスマンやその家族にも、小三通が認められ、金門島経由の台北とアモイを結ぶルートの重要度が増した。この間に、大陸側からも福建省の住民などに限り、金門島への訪問が認められるようになった。

  そんなわけで、かつては、内戦の最前線、今は、大陸と台湾の接点になっている金門島を自分の目で確かめてこようというのが今回の旅だ。

  ところで、戦争関係の史跡と、島の現状見学が今回の旅のメインとはいえ、ほかの楽しみある。風獅爺(フォンスイイェ)だ。左上の画像がその一例。風除けの守り神だそうだ。島のあちこちにある。 これだけでも、沖縄のシーサーを連想するが、風獅爺とは別に、入口などには、シーサーとほとんど同じに見える獅子の座った像もある。

  補足:この旅行記は、2007年に行った記録です。その後、2008年からは、金門島経由でアモイと台北を利用するルートが外国人にも開放されています。その点、旅行記の内容が現状に合わない部分もあります。

 1  日   目 関西空港→桃園空港→松山空港→金門島[ 莒光楼等 ](泊)

 2日目前半 金門島[ 乳山故壘、瓊林地下坑道、馬山観測所、山后民族文化村等 ]

 2日目後半 金門島[ 八二三戦史館、古寧頭戦史館、翟山坑道等 ](泊)

 3日目前半 金門島[ 水頭埠頭、九宮坑道、湖井頭戦史館等 ]

 3日目後半 金門島→松山空港→台北(泊)

 4  日  目 台北[ 陽明山 ]→桃園空港→関西空港

 特別企画 「風獅爺たち大集合」・・・・金門島で見た風獅爺をすべてまとめて掲載

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