日 目 後 半  両 蒋 文 化 園 区

 

  和平路老街を見て昼食をとったあと、慈湖(チーフー)に向かう。慈湖は大渓から6kmほど離れたところだが、蒋介石の墓である慈湖陵寝と蒋介石の銅像を集めた慈湖紀念彫塑公園がある。また慈湖の手前には蒋経国の墓である大渓陵寝もあり、一帯は両蒋文化園区と呼ばれている。

 上左  大渓バスターミナルで慈湖を経由するバスを待つ。

 上右  やってきたバスは何とミニバス。乗れるか心配であったが、ぎゅう詰めになり乗車。さらに奥地の山間部に向かう路線なのでミニバスなのだろうが、立って乗るのは試練。

 左  20分ほどの乗車で慈湖に到着。かなりの客が下車した。運賃22元(約63円)。

 ミニバスを降りてすぐに目に入ったのが、蒋介石の坐像。この奥が駐車場になっている。結構多くの車がやってきていた。

 そばにある案内所に行くと、さらに奥にある後慈湖へ専用バスで行けることがわかった。後慈湖には蒋介石の事務室などがある。しかし今回は時間がなく無理だ。またの機会にしよう。

 慈湖では、最初に慈湖紀念彫塑公園へ。無数の蒋介石の銅像が集められている。

 蒋介石時代には政府施設や学校にあるのが普通だった蒋介石の銅像だが、時代が変わり、不用になってきた。そこで蒋介石の銅像を引き取り、一箇所にまとめて展示しているのがこの公園だ。

 まず入口のところでは馬に乗った蒋介石が出迎え。そして、以下は蒋介石のオンパレード。

 特に巨大だった蒋介石の坐像だが、土台部分はかなり欠落していた。
 孫文も少しだけいた。
  蒋介石の遺体は防腐処理をして大理石の棺に入れられ「慈湖陵寝」に安置されている。

 彫塑公園から1km弱歩いて「慈湖陵寝」に向かった。標識には「謁霊方向」と書いてある。

 蒋介石は、この地が故郷である浙江省の風景に似ているため弁公室(事務室)を設け、この地でも仕事を行った。

 蒋介石は1959年この地に「洞口賓館」を建て滞在した。1962年に慈悲深い母親にちなんで湖を慈湖とし、建物は「慈湖賓館」とした。

 1975年、蒋介石が逝去し、棺が安置され、「慈湖陵寝」とされた。いつから公開されているのかよくわからなかったが、行った日の様子ではかなりの人が訪問していた。
 

 やがて木立の向こうに「慈湖陵寝」が現れた。

 下左  玄関の前にて。

 下右  玄関の両側では衛兵が警護している。衛兵のそばには私服の憲兵がついている。

 

 玄関の階段を上がったところ。これから先、撮影が禁止なのかどうかよくわからなかったが、遠慮した。

 正面の赤い瓦の建物に棺が安置されていた。巨大な黒い大理石の棺があり、その中には防腐処理された遺体がおさめれている。棺に納められているから顔を拝むことはできない。

 棺の前ではお辞儀をしなければならない。私服の憲兵が警備している。棺の前には十字架が置かれ、蒋介石がキリスト教徒であったことを知った。

 玄関を内部から見た様子。
 台湾では衛兵交代が観光の対象になっているところがいくつかある。中正紀念堂、国父紀念館、忠烈祠である。これ らと同じような衛兵交代がここでも行われる。1時間ごとというのも他と同じだ。

 しばらく待っていると、交代する衛兵が現れた。

 さきほどまで玄関横で直立不動だった衛兵が引き上げていく。

 「慈湖陵寝」よりさらに奥には後慈湖があり、湖岸に蒋介石の弁公室や非常時のためのトンネルなどが残されている。2009年から公開されているようだが、事前の申請が必要で、申請して許可された場合に入場券が買えるようになっている。今度は後慈湖を訪問しようと思う。

  陵寝から彫塑公園に戻り、公園のそばにある遊客中心に入った。蒋介石についての写真展示をしている。

 昨今、蒋介石時代を暗黒時代ととらえる考えもかなりあるのを意識してか、”やさしいおじさん”であったことを印象付ける感じがした。宋美齢夫人や息子の蒋経国と家族団らんや毛沢東と乾杯をしている写真などからは、独裁者のイメージはわいてこない。

 蒋介石、蒋経国父子をユーモラスに扱ったものが数々あり、これらも時代の印象をソフトに思わせるのに一役買っているなと思った。

 上左  父子のTシャツ

 上右  父子の笑える銅像

 左  父子を漫画風に描いたパネル

 

 遊客中心の売店で人気があるのが、梅の花の形をしたアイス。なかでもマンゴー味が人気があるというので、ちょっと試してみた。「マンゴ」じゃなく「マソゴ」になっているのはよくあること。

 このあと、1kmほど自然歩道を歩いて、蒋経国の遺体が安置されている大渓陵寝に向かった。

 

 自然歩道が終わり、街中に出たなと思ったらそこが蒋経国の遺体が安置されている大渓陵寝の入口であった。

 大渓陵寝はもともと「頭寮賓館」といい、総統府の書類の置き場であった。1988年、蒋経国が逝去したあと、大渓陵寝と改名され、蒋経国の遺体が安置されることになった。いつから公開されているのかはよくわからなかったが、せっかくの機会なのでここも訪問した。

 

 入口から100mほど歩くと大渓陵寝の玄関。両側に直立不動の衛兵が立っている。
 この奥の正面にある建物に棺が置かれている。内部を撮影していた人もいたが、気分的なこともあり遠慮しておいた。

 棺は大理石でその中に防腐処理された蒋経国の遺体がおさめられている。お辞儀をしなければならないのは慈湖陵寝と同じ。

 ここでも1時間ごとの衛兵交代が行われているので、見学した。
 中正紀念堂などでの衛兵交代は見物客が多くて見にくいが、ここは客が少なくとても見やすい。とはいっても、前日に国父紀念館、ついさきほど慈湖陵寝で見たので、少し飽きてきた。
  大渓陵寝の入口の近くに大渓遊客中心がある。おそらく慈湖遊客中心と同じように、蒋介石父子の展示が中心の施設なのだろうが、行ったときは工事中であった。またの機会には訪問しようと思う。

 下左  大渓に戻るバスを待ったバス停。背後に有刺鉄線がついた壁に囲まれた建物が見えるが、これが大渓陵寝。

 下右  ここで「台湾好行 慈湖線」というバスがあることを知った。休日日中は30分ごとに運転されている。

 やがて「台湾好行 慈湖線」のバスがやってきた。それで「タージィ ラオジェ」と言って乗り込もうとしたが、中国語か台湾語で何か言われて乗せてもらえなかった。

 どうしてかわからなかったのだが、帰国後調べて何となくわかった。まず「台湾好行」とは台湾各地で観光地に行くバス路線があちこちに新しく作られれていて、その総称だ。太魯閣や阿里山など各地で運転されている。その路線のひとつが慈湖線だ。台鉄の中[土歴]站と慈湖のさらに奥を結んでいる。注:慈湖線は2012年3月31日までの運転になっている。

 乗車券は100元で1日乗り放題。中[土歴]のバスターミナルか車内で売っているらしい。推測だが、大渓老街(タージィ ラオジェ)まで一区間でも100元(約280円)いるので、親切心から乗せてくれなかったのじゃないかと思う。

 さらに30分ほど待ち、結局1時間くらい待ってようやく満員のミニバスがやってきて乗車した。こちらは22元(約62円)。このバスに立って20分ほどで大渓バスターミナルに戻った。

 すでに18時近い。夕食を大渓で食べてからバスで台北に向かうことにした。

 行った店は「百年油飯」。店の名前になっている「百年油飯」の有名店。”肉おこわ”なのだが、歴史があるので「百年油飯」と呼ばれているのだろう。かなりの行列ができていて、美味しい店だとわかる。10分ほど並んだ。

 いただいたのは「百年三宝」というセット。「百年油飯」「肉羹湯」「肉捲」で110元(約310円)。食べながら掲示を見て気づいたのだが、「hタjy年油飯」は30元、「肉羹湯」と「肉捲」は40元なので、セットにしても割引はないのだった。

 上左  百年油飯(肉おこわ)

 上右  肉羹湯(豚肉のスープ)

 左  肉捲(豚肉ロール)

 上左  再び和平路老街へ。

 上右  デザートに豆腐花を食べることにした。老街の店に入る。

 左  いただいた豆腐花。

 豆腐花を食べていたら、台北行きのバスの出発時間が近づいていることに気づき、バスターミナルに行った。まもなくバスがやってきて乗車した。かなりすいている。

 

 桃園までバスで行き、台鉄に乗ると、乗継が面倒な上、台鉄に座れないかもしれないと思いバスにした。

 しかし、バスにしたのは間違いだった。このバスは高速を通らず、一般道だけを通るので時間がかかった。しかも、途中、MRTの永寧を通ることに。そのバス停についてから気づいたが、すでに台北までの運賃を払っていたので、最後まで乗ったのだが、これは間違い。MRTならわずかの時間のところ、30分くらいかかってしまった。

 さらに終点でバスを下ろされたのだが、そこがどこなのいかわからなかったのだ。東呉大学という大学があったのだが、MRTではどの駅の近くなのかとかまったくわからなかった。

 それで、どの方向に向かてちるのかもわからないまま歩いて、しばらくして見覚えのある建物のそばにやってきた。見覚えのある建物は総統府。やっと、自信を持って歩くことができた。このあと台北車站まで歩き、MRTでホテルに戻った。

 

 2日目前半    大渓+台北のトップ  ユーラシア紀行のトップ   3日目