3 日 目  台 南 郊 外 ぶ ら り 旅

 

朝食は伝統グルメで
 台南3日目。この日も、外食で朝食をとり、そのまま観光につなげるつもりだ。エレベータで1階の公共エリアに下りてから、再びホテルエリアに戻って、カギを預けて外出。

 ホテル前から5系統のバスで新光三越の西門店まで。新光三越は台湾のいろいろなところで見かけるが、ここも新しく大きなデパートだ。日系デパートの成功例としてとりあげられることもある。今回はデパートの営業時間外で中に入ることはできなかった。
 朝食をとりにむかったのはまず矮仔成蝦仁飯。9年前にきたときはもっと古い店だったような。でも古い店の写真がない。

 下左  このお店のメインメニューである
(19)蝦仁飯

 下右  
(20)蛤仔湯。ハマグリスープだ。どちらも9年前と同じ味であることを思い出した。
 保安宮。つぎのお店に行く途中にあった廟。廟の前では、生花を販売していた。

 保安路を歩いて、次のお店をめざしたが、その途中、昼食をとりたいと思っている店も確認しておいた。
 上左  阿堂鹹粥。台南グルメの王者、サバヒー粥がメインメニューの有名店。

 上右  調理場。とても賑わっていて、大忙しであった。

 左  (21)虱目魚粥。台南グルメの中でも一番食べたかったサバヒー粥。美味しかった。
 少し歩いて西門近くの赤崁楼へ。向った理由は、ここのバス停から次の訪問地に向うバスがでていたからだが、20分ほど時間があったので、赤崁楼にも入場してみることにした。

 下左  9年前は夜に入場したのでよく見えなかったので、実質的には初めての訪問のようなものだ。

 下右  楼閣の上から見た庭園と門。
零戦パイロットを神として祀る廟
 上左  赤崁楼の前のバス停から3系統のバスに乗って、零戦のパイロットを祀っているという廟に向った。

 上右  バスはガラガラで30分弱、数キロ乗って、同安路口で下車。

 左  バス路線と交差する同安路を東へ数分歩くと、同安夜市の開かれる広場があった。開催日はニ、五、六つまり火、金、土。流動夜市だが、4大夜市と比べると、広場は狭く、10分の1あるかないかの大きさだ。
 同安夜市が開かれる広場は、同安路とそれに直交する道路との角にあるのだが、その交差点で夜市の広場と対角線の位置に飛虎将軍鎮安堂がある。

 何か催事があるのだろうか、堂の前にはテントが張られ、テーブルを出したりする作業が行われていた。
 堂に入るところには、日本から参詣に来る人を歓迎する横断幕も張られていた。
 
 堂の入口の横のポスターが張られていて、12月5日〜7日にはいくつかの催事が行われるようだ。この日は12月6日。テントなどもその準備のようだ。

 
 堂の入口。
 祭壇。

 祀られているのは、飛虎将軍とよばれる、零戦パイロットであった杉浦茂峰。

 下左  祭壇の奥に祀られている像を拡大。

 下右  飛行服姿の飛虎将軍。
 
 日本語パンフレットの内容を要約する。

 1944年10月12日、米軍は台南を空襲。零戦はこれを迎撃して、空中戦になったが、零戦は一機また一機と撃墜されていった。そんな中、一機の零戦は敢闘していたが、ついに敵弾を受けて急降下。その下は、海尾寮という集落。

 パイロットは、”今飛び降りたら自分は助かるかもしれない。けれども、何百戸という家屋は焼かれるだろう。竹や木と土で造られた家屋は、一旦火がつくとすぐに焼かれるだろう。”と考え、すぐ機首を上げ、当時は畑と養殖池であった同安路方面に向った。しかし、零戦は空中爆発。パイロットは落下傘で脱出したが、機銃掃射を受けて、落下傘は破れ、パイロットは地面に叩き落とされ戦死した。

 終戦後、何年かたち、養殖池付近を白い服を着た人物が徘徊するのが何度も目撃された。また、夢に出てきたという話もでてきた。海尾朝皇宮の神に尋ねると戦死者の亡霊だということであった。それで、自分の命を犠牲にしたパイロットだと判断され、謝恩をあらわすため1971年、小さな祠が建てられた。
 
 1993年さらに大きな廟に建て替えられた。「鎮安」は、邪気を鎮め民を安心させること、「飛虎」は戦闘機のこと、「将軍」は神として祀られる勇士の尊称である。正殿には本尊「杉浦茂峰」の神像、両側には分身2体が祀られている。

 廟守は、朝夕2回、タバコを3本点火して神像にささげ、朝は「君が代」、夕は「海ゆかば」を流す。
神像の前には、中華民国と日本の国旗がたててある。
 
 最初に建てられた祠。
 
 参拝したあと、バス停に向い、3系統のバスで市内に戻った。
昼食も台南グルメ
 
 上左  バスで赤崁楼まで戻ってきた。赤崁楼の近くにある廟を行くことにする。まずは祀典武廟。台湾でも最も早い時期につくられた関帝廟である。

 上右  次に
大天后宮。海の守り神である媽祖を祀る。

 左  さらに
開基武廟へ。ここも関帝廟なのだが、こちらのほうがまだ古い。祀典武廟が大関帝廟ともいわれるのに対して、こちらは小関帝廟ともいわれる。
 
 続いて西門近くのグルメストリートである国華街へ。食べ物屋がずらりと並んでいて、食欲をそそる。
 
 この日は、春[虫可][口へんに父の下に多]。カキや野菜を詰めて揚げた(22)[虫可][口へんに父の下に多]を1個いただいた。

下左  揚げたて。思っていたより大きく丸い。

下右  半分食べてみたところ。
 
 
 海安路装置芸術村。巨大なアートが道路沿いのところどころに並んでいる。
 
 カフェが多く、各店とも工夫をして、猫のはりぼてなどを置いている店が多かった。
 
 
 上左  阿龍香腸熟肉(23)黒白切。朝、店の場所だけは確認しておいた。こんなに人気店だったとはそのときは思わなかった。

 上右  黒白切は、好みのものを切って皿に載せてもらう料理。材料を指定すると、店員はすばやく切って盛合せてくれる。

 左  自分が選んで盛合せてもらった昼食用の黒白切。ソーセージ、竹輪、タコなど6種類。1種類20元で120元。美味しかったが、ビールがほしかった。日本じゃビールのつまみなのに。
安平の古跡とグルメ探索
 昼食後、朝食をとった阿堂鹹粥がある小西門のバス停で2系統のバスを待った。なかなかやってこず、15分に1本あるはずなのに、30分ほど待たされた。

 しかも、大混雑。ラッキーなことに次の西門で下りる客がそばにいて、座ることができた。30分かけて安平エリアに向った。安平古堡の最寄りバス停で大半の客が下車。ガラガラになったバスでさらに進んだ。
 
 上左  安平の中心部から少し離れている同記安平豆花の本店へ。

 上右  店内は広いが、客が多くかなり混雑していた。

 左  
(24)豆花は何種類かあったが、並んでいて他の客がよく選ぶものを指さしで選んだ。

 下左  安平の中心部へは、入り江の北側の建物がない道路を500mくらい歩いて戻る。
 
 
 上右  安平樹屋。ガジュマルに覆われた古い倉庫の跡である。自然の威力には人間の建築物は及ばないと感じる。

 左  イギリス商社の
徳記洋行。内部は台湾開拓史料蝋像館になっている。歩き疲れたので、この廊下のベンチで長く休んだ。

 下左  
安平古堡。オランダが築いたゼーランンジャ城が起源の城跡。塔も上がった。

 下右  少し早目のクリスマスパレードをやっていた。
 
 
 入り江に沈む夕日がきれいだった。

 下左  ドイツ商社の
徳記洋行。内部には小さな博物館があり、庭はカフェになっている。

 下右  天后宮。17世紀に鄭成功が造ったもので、媽祖をまつっている。
 
 
 
 上左  陳家[虫可]捲に入店。

 上右  このカウンターで注文し、代金も支払うと、番号札が渡される。番号が電光表示されるので、番号札を持っていき、料理と交換する。

 左  メインメニューは[虫可]捲なのだが、9年前にいただいているので、今回は別のものをと
(25)[火考][虫可](焼カキ)にした。

 下左  
林義豊冬瓜茶へ。

 下右  
(26)冷冬瓜茶
 
 
 周氏蝦捲(27)蝦捲

 下左  9年前とはかなり違った建物だったが、改築されたのか、前回とは別の支店だったのか不明。

 下右  2系統バスで戻る。安平地区も2度目だったが、今回は夕方近くから回り始めたので前回ほどたくさん回れなかった。
 
流動夜市は武聖夜市へ
  3日目は武聖夜市に行く計画だ。武聖夜市は、比較的、バス停に近いところにある。午前中に乗車した3系統のバスのバス停からすぐのところにあり、午前中に乗車した時にも、利用するバス停の位置を確かめて準備していた。

 ただ、安平からの帰りに乗った2系統から3系統への乗継が不便そうで、結局、2系統の経路の中で、武聖夜市の場所に比較的近づくところがあり(といっても2kmほど歩かねばならないのだが)、そこから歩いた。でも、人通りの少ない区間もあり、少し心細くなった。それでも、i-phoneの地図を駆使して、夜市に迷わずにたどりつくことができた。
 
 
 上左  歩き続けて、武聖夜市の看板を見つけたときにはヤッターという気分になった。

 上右  すでに訪問した花園、大東と同じく、広い空地に屋台が並び、のぼりが立っているのが特徴だ。大きさは、花園より少し小さいかもしれないが、大東とは同じくらいで、結構広い。

 左  花園、大東と少し違うと思ったのは、飲食、雑貨、ゲームの各コーナーがはっきりと区分されていなかったこと。ちょっとごちゃまぜ感があった。ゲームでは、弓矢があったが、これは花園、大東では見なかった。
 
 上左 (28)旗魚黒輪の屋台。「旗魚」はカジキ、「黒輪」はオーレンと読んで、”おでん”のこと。カジキの練り物をおでん風にしたものだ。屏東の東港の名物らしい。

 上右  アツアツの旗魚黒輪をほおばった。

 左  
(29)港式焼売。焼売の屋台は珍しい。今まで見たことがなかった。10個買ったのだが、ホテルにもって帰って食べることにした。冷めるのは仕方ない。ビールを一緒に飲みたいからだ。

 
 
 ソフトクリームの屋台があった。花園、大東では見かけなかった。

 花園と大東は両方にでている屋台を多く見かけ、夜市もなんとなく似ている気がした。武聖はその点、違いを感じた。花園、大東では見なかった屋台をいろいろ見たからだ。

 下左  この屋台は武聖、同安、樺谷、茄定と屋台をだしている。

 下右  この屋台は小北、武聖、花園と屋台をだしている。
 
 
 武聖が花園、大東と違っている点はほかにもあり、夜市の広場と道路を隔てたところにある常設の店舗も道路に張り出して営業をしてるいること。こうした店舗も含めると、武聖もかなり大きな夜市となる。

 下左  10分ほど歩いて、大通りに出たところにあるバス停から3系統のバスに乗って、台南駅まで戻った。

 下右  台南駅はライトアップされているのは、ホテルの窓からわかっていたが、どのような飾りがあるのかなどは、このときにわかった。
 
 
 
 上左  クリスマス用のトナカイの装飾。

 上右  正月用の装飾。

 左  駅前のロータリーの中もライトアップされていた。写真をみると、ロータリーでパフォーマンスしている人がいたようだ。

 台南駅では翌日乗車する高雄までの切符を買っておいた。
 
 ホテルに戻り、夜市で買った焼売をいただいた。
 
 ホテルの1階にあるコンビニでビールを買い、焼売とともに飲んだ。

 

2日目   台南のトップ  ユーラシア紀行のトップ  4日目