3 日 目 美 濃 と 旗 山
旗山そして美濃へ |
7時に朝食。7時50分に台南站発の自強で高雄に向うので、急いで食べた。 飲物は「養楽多」(ヤクルト)。ヤクルトは小さな容器というイメージがあって、大きな飲物入れからコップにジュースのように注ぐのは変な感じもする。 おかずは前日と少し変えてあり、努力はしているが、似たりよったりというのも事実で、ちょっと飽きる。翌日は最後の朝食だが、ホテルの外へ食べに行こうかと思う。 下左 粥。 下右 フルーツ。 |
美濃は台南の南東にある。高雄から見ると北東にあり、台南と高雄、美濃は正三角形の頂点にような感じだ。だから、台南から美濃に行くのに、高雄に立ち寄って美濃に行くのは距離的には遠回りになる。 しかし、台南と美濃を結ぶバスは便数がわずか。しかもとても遅い。しかし、高雄と美濃を結ぶバスは便数が圧倒的に多いうえ、新左営(高鉄では左営)と美濃を結ぶバスは高速道路を通り、途中、旗山に停車するだけだ。あいにく、都合のよい時間帯には、美濃行きななく、旗山止まりなのだが、旗山で乗り継げば美濃には、台南発のバスに乗るよりも早く到着できる。 1日目に駅前のターミナルで時刻表を検討したときには、台南からバスで旗山そして美濃に向う予定だった。その後、ネットで高雄発の時刻表も検討した結果、高雄まわりに変更した。 そのため、7時50分発の自強で新左営に向かうのだ。7時半にホテルを出発。7時40分に駅に着いて、對號用の自動券売機で切符を購入した。 |
上左 台南站には「臺南」といい駅名標があった。 上右 しかし、全部が「臺南」ではなく、「台南」のもあった。 左 自強が到着。 下左 30分で新左営に到着した。高鉄の左営站の構内を突き抜け外に出た。 下右 美濃・旗山行きのバス停。8時50分発のバスまで20分ほど待った。 |
旗山行きのバス。10人ほどが乗車。 |
40分ほどで旗山のバスターミナルに到着。そこそこ大きなターミナルで冷房もしてあった。 |
20分ほど待って、美濃に向うバスに乗車。高雄站発のバスで一般道を通るので時間がかかるようだ。 |
10分ほどで美濃のバスターミナルに到着。小さなターミナルで、街の様子も旗山より田舎町って感じがする。 バスターミナルには街の案内図が掲げてあったが、イマイチわかりにくく、i-phoneの地図を頼りに街歩きに出発した。 |
美濃を街歩き |
美濃旧橋。日本統治時代にできた橋で、美濃渓両岸の往来が便利になった。現在は写真の左手に新橋ができていて、この橋は歩行者専用になっている。猿の石碑が両側にあり、由来が書かれているが、自動車の通行を禁止する目的もあるようだ。 |
旧橋のたもとに市場があった。美濃は街の中心であるバスターミナル付近を離れると田舎街という雰囲気だったが、市場は活気があった。 |
永安老街。古い民家が何軒かある。 ここでちょっと失敗。台湾で老街というと、日本統治時代かそれより少し前の洋館風の建築が多い。そのために洋館風の建物を探して歩いた。ところが、どんどん歩いて行くと、永安老街への標識の→が、歩いてきた方向を指しているのだ。おかしいと思って戻ると、反対側にあった標識まで戻ってしまった。ここで初めて、老街とは洋館風の建物ばかりじゃないんだって気づいた。それで注意して歩くと、写真のような建物が数棟あった。 |
東門楼。清代に客家の住民によって子孫の出世を祈念して造られた。 |
美濃は中心部でも廃れた田舎町の印象があったが、やがて完全に農村になった。田圃の中を歩いて、中正湖と客家文物館に向った。 |
中正湖。灌漑のために造られた人工湖。 |
客家文物館。客家の文化について展示している施設なのだが、、、ガ〜ン。この日は月曜で休館日だったのだ! |
再び、農村風景の中をテクテク歩いた。中正湖を一周したことになる。畑では何やらオレンジ色のものを収穫していた。 |
近寄ってみるとフルーツトマトのようだ。 |
バスターミナル目指してひたすら歩いた。美濃は[米反]條を看板に掲げている食堂が目立つ。[米反]條は、米の麺だが、太い麺で美濃の名物のようだ。バスターミナルそばの「有能[米反]條老店」に入った。 *[米反]は、米へんに反 の1字 |
(13)乾[米反]條。乾といっても、スープが下のほうに入っている。それもかなり濃いめのスープだ。湯[米反]條の場合は、この濃いスープを湯で薄めるのかもしれない。 外観はうどんと変わらないが、米の麺だ。東南アジアでも米の太麺はあるが、外観はきしめんのように平べったいものが多い。この麺は、うどんの形状をしているのが特徴なのだ。麺の上には焼豚が載っている。見た目はうどんに焼豚?って感じだ。 |
(14)冬瓜封。「封」とはじっくり煮込むということ。 写真で、皿の左半分は、大きな冬瓜がしっかり煮込まれて、醤油がしみこんでいて、半透明になっている。口の中に入れると溶けるような感じだ。 皿の右半分はキャベツが煮込まれている。キャベツも溶けかけていて、とても薄くなり、醤油がしみこんでいる。 2品でちょうど100元。2品とも美味しくいただけ、とても得をしたと思った。 |
食べ終わってバスターミナルを見るとバスが止まっていた。急いで乗車。ただし、このターミナルはどの行先のバスも同じ向きに停車するので、「チーシャン?」と声をかけて乗り込んだ。OKだったようだ。 |
旗山を街歩き |
10分ほどで旗山のバスターミナルに到着。 旗山老街へ向かう。途中、旗山のメインストリートである延平路を横断。旗山は美濃と比べると都会だといえる。 |
さらに歩くと、かつて台湾製糖のトロッコ列車の駅であった旧旗山車站に到着。さとうきびの運搬がメインであった鉄道は1982年に廃線となったが、駅舎は保存されている。 下左 かつての切符売場だろうか、土産物店のカウンターになっている。かつての駅事務室は土産物店として利用されている。 下右 駅正面の反対側にはホーム跡。それに面して線路跡を利用した自転車道路があった。 |
土産物店では、旗山名産のバナナを加工したバナナチップを購入。そして、(15)バナナアイスも買って食べた。アイスクリームをバナンチョコレートでコーティングしたものだった。 |
旗山車站のすぐそばに旗米廠があった。旗山で最大の米蔵だ。 |
見学もできるようだが、土日の午後だけの開館だった。この日は月曜だったので、見学できずじまい。 |
旗山車站と旗米廠は中山路の最南端付近にある。このあと中山路を北へと散策。最初に出会ったのは、昔のまま残る亭仔脚。今はカフェになっている建物の軒先が、亭仔脚とよばれるアーケードになっている。建物は日本統治時代のものだろうか。 |
以前は、放置され、通り抜けることもできなかったようだが、訪問時には整備されて、散策できるようになっていた。 |
旗山老街とよばれる中山路を散策。ただ古い建物がずらり並んでいるというわけではなく、一部にかたまってあっただけだ。 |
老街らしく、古い洋館風の建物が並ぶ一帯にやってきた。風格のある建物の1階は店舗で、2階が住居なのだろうか。2階の上には装飾が施されているところが多い。 |
旗山名物のバナナを売る店もちらほらあった。 |
旗山鎮農会。農会とは日本の農協にあたる組織のようだ。老街らしい3階建の建物だ。ここの角を曲った。 |
旗山国小の講堂。表示は何もなかったが、日本統治時代からの建物じゃないだろうか。 |
旗山国小の斜め向かいにあった武徳殿。 下左 さらに少し歩くと旧鼓山国小。旗山国小は台湾人のための学校であったが、こちらは日本人のための学校であったようだ。 下右 内部にはカフェなどもあったのだが、月曜は休業のようだ閑散としていた。 |
大きな階段があり、上がると旧鼓山公園(現在は中山公園)があるはずだ。孔子廟もあるらしかったが、歩き疲れて上がるのはパス。 下左 バスターミナルに戻る途中、冷たいお茶を売る店を発券。 下右 (16)バナナアイスティーを飲んで元気を取り戻した。 バスターミナルに戻り、高鉄左営站行きのバスに乗り込んだ。 |
夕刻の台南をぶらぶら |
旗山から高速道路経由のノンストップバスに乗車し、高鉄左営に到着。この日は高鉄の駅を横切って、その先にある台鉄の駅に向った。写真で手前は高鉄の駅で、電光表示の向こう側が台鉄の新左営だ。 これまで高雄や台南なので、対号(指定席)列車の券売機を使っていたが、新左営にはなく、窓口に並んだが、乗車しようと思っていた直近の列車の席はないという。それで、英語で座れなくてもよいと伝えた。「自願無座」をどう発音するかわからなかったので。すると、席がないので、乗れない列車だという。仕方がないので、直後に出発する区間車に乗車することにした。 |
ホームに降りると、すぐに直近の対号列車がやってきて、事情を飲み込めた。「観光列車」であったのだ。1日に1往復、台北から高雄さらに花蓮までを往復している。 萌えキャラ塗装が目を引く。 下左 外側を向いた席がある展望車。 下右 サロンカー。ただ、復活したと伝え聞いていた食堂車は見当たらなかった。 |
ホームでさらに少し待って、やってきた区間車に乗車。 下左 岡山。日本の岡山を連想してしまった。 下右 台南に戻ってきた。 |
台南站では動物たちがお出迎え。ホテルには戻らず、夕食を少し外食し、ホテルへも少し持帰ってビールを飲むことにした。 |
民生緑園へ。多くの道路が集まるロータリーになっている。ここにやってきたのは、2014年2月に孫文像が引き倒されたという情報を得ていたので、それを確かめるためだ。台湾独立派によって倒されたらしい。 2014年12月に台南を訪問しているし、民生緑園もそばを歩いたのだが、気づかなった。確かに、台座は残されているが、その上に建っていた孫文像はなくなっていた。 |
民生緑園のロータリーに面した消防局。日本統治時代からの建物である。ずっと現役でがんばっていたのだが、今回、フェンスで囲まれていた。修復するのだろうか。外観はそのままで、内部を修復するというのであればいいんだが、、消防車は道路わきに止めてあった。 |
上左 卓家汕頭魚麺へ。魚麺はグルメの豊富な台南でも珍しい食べ物だ。 上右 (17)魚麺。エソという魚のすり身でつくった麺。太めのちぢれた麺で、一見、そぼろのように見えるが麺になっている。湯麺と乾麺があり、乾麺にした。乾麺といっても、茶碗の底には濃いスープが入っている。湯麺は、湯でスープを薄めるのだろうか。 左 (18)魚冊。エソのすり身でつくったロール状のつみれ。こちらも湯と乾があり、乾にした。 |
左左 ホテルでは朝食券に替えて、ビールを飲めるので、つまみを買って帰ることにした。まず、店名は不明だが、焼肉刈包の屋台へ。注文を受けてから肉を焼いてくれるうえ、注文してから他に行っている人もいて、しばらく待った。 左右 小籠包などの店へ。日本人向けの店なのか、カタカナ書きも多く使われている。 |
上左 朝食券で引き換えた台湾ビール。 上右 (19)刈包。焼肉を蒸しパンにはさんである。 左 (20)小籠包。ホテルに近い店だったので、あまり冷めないうちにいただけてよかった。 以前から気になっていた美濃と旗山に行けて満足な1日であった。 |