(12)ディヤルバクル

4時30分に起こされるのがわかっていたためか、しばらく前に目が覚める。Yさんも同じだったよう。夕方よりは格段に寒くなっている。当初の計画では、ネムルトダゥに来るつもりはまったくなかったので、本格的な防寒用の服装は持ってきていない。長袖シャツとウインドブレーカがすべて。これらは、夜行バスが寒かった場合などに備えて持参したのである。昨夕は、この服装でも十分防寒対策になっていたのだが、今朝はそれではこごえそうである。玄関に行ってみると、部屋から毛布を持ち出してきている人もいて、では我々もということで、毛布を持参しようとした。が、持ち出したとたんにホテルの人にダメと言われ、やむなく不完全な防寒対策のまま出発する。

再度ミニバスに乗って山頂へ。入場券は1回買えば、まる1日使えるのだろうか。買いなおす必要はなかった。頂上には、すでに多数の観光客。キャフタ側からのぼってきた人たちで、トルコ人と西洋人がほとんど。頂上は、風が強いので、ほとんどの人が風よけになる大きなテラス状の石の陰に集まっている。昨夕もいたのだが、笛をふいて、いろいろと指示しているオジサンがいる。何のためにいるのかよくわからなかった。自分らもそこで日の出を待つが、なかなか日が昇ってこない。この間、ずっと寒さに耐えていた。結局、1時間近く待ったので、東の空がほんのりと明るくなるところから、日の出までずっと眺めることができた。

  ネムルトダゥ山頂から アタチュルクダム湖方面

日の出のあと、潮が引くように皆、下山。人が少なくなったところで、写真をとったりして自分らもミニバスへ。ところが、ほかの客のほとんどがいない。どこへ消えたのかと思っていたら、事務所兼売店のような中でチャイを飲んでいるではないか。おかげで、ホテルに戻る時間が遅れ、すでに7時前。ホテルを7時出発しマラテヤに戻るはずだったが、そんなわけには行かず、7時ごろ朝食を大急ぎでとる。そして8時前にホテル出発。

予定より遅れているとあって、帰りのミニバスは、行き以上にスピードを出す。しかも、ネムルトダゥからマラテヤまで休憩を一度も取らずに直行。ルートは昨日、上ってきた道路とは少し違うところも通っていたようだ。結局、マラテヤに到着したのが、定刻の10時。日本人の女性2人はしばらく休んでからオトガルへ行き、カッパドキア方面に戻るというので、Yさんと2人で、ミニバス乗場までいき、客待ちしていたミニバスでオトガルへ。Yさんは12時のバスでカイセリへ、私は13時のバスでディヤルバクルへ向かうのだが、しばらく間があるので、オトガル内のカフェで昼食。Yさんのバスを見送ったあと、さらに待合室で時間つぶし。

13時のバスは、ほかからやってくるバスで、すでにバスは満員状態。隣の席は空いていたのだが、切符のチェックが終わるとすぐに、トルコ人がやってきた。子供づれで、子供の切符はないのだが、子供に一席使わせるために親が席を移動してきたようだ。トルコへきてから長距離バスは5度目であるが、今までは夜行ばかりで、昼間のバスは今回が初めてである。3時間あまりのバスだったが、ほとんど車窓を眺めてすごす。ずっと山岳地帯で、ほとんどが木のない岩山ばかりである。ダム湖だろうか大きな湖のそばも2回通った。

ディヤルバクルが近づくにつれて、兵士の姿が目立つようになり、検問もあった。運転手が何やら紙を見せている。バスの運行予定表なのだろうか。さいわい、兵士が乗り込んでくることはなかった。実は、このあと数日間、何度となく遭遇することになる検問の一発目だったのだ。さらに、ディヤルバクルの町の入口あたりで、またも検問。今度は、バスの下のトランクルームを開けての検査もしている。

16時30分ごろディヤルバクルのオトガルに到着。オトガルの構内に入ってきたとたん、びっくりしてしまう。警官と兵士がたくさんいるのだ。それに、普通の服を着て銃を持っている人もいる。私服警官なのか、特別に許可されている人なのか。オトガルの端のほうには、装甲車が止まっている。軍の装甲車と警察の装甲車で、軍のほうは迷彩色で、警察のほうはパトカーと同じ塗装である。何か事件があったのだろうか、それとも普段から厳しい警戒態勢をとっているのかはよくわからない。

バスを降りると、ほかにも今までのトルコとは違うムードが漂っていることに気づく。女性の黒づくめの姿が目立つのだ。そんなに多くはないのだが、どちらを見ても1人くらいは視界の中にはいってくる。トルコへやってきて以来、イスラムの伝統的なこの衣装はトルコではもう過去の遺物になっていると思っていた。ディヤルバクルにきてはじめて、わずかの人数だとはいっても、たいへん目立つその姿を目撃。トルコ東部では、イスラム教の旧来のしきたりが残っていると感じた。さらに、オトガルの建物が、かなり古く、時代がかっている。新しいオトガルをみてきただけに、トルコの東西での経済力の差を象徴しているかのように感じた。

この日は、ディヤルバクルに泊まるつもりをしていた。が、オトガルの厳重な警戒をみて、この町に長くいないほうが良いと感じた。この町で一泊し、翌日マルディンなどの訪問するという計画は中止し、夜行バスでワンに向かうことにした。それで、すぐにワン行きの切符を確保。出発は23時で、6時間あるので、町の中心部の見学だけはおこなうことにした。

オトガルは市街地から何キロか離れたところにあることが多いが、ディヤルバクルも同じ。町の中心は、ターカプという城門らしく、そこまでミニバスで向かう。だが、ミニバス乗場がよくわからない。よくわからずうろうろしているのは目立つようで、警官から見られている。何か言われるかもしれないので、先手を打って、こちらからミニバス乗場を尋ねる。すぐにミニバスはやってきて20分ほどでターカプに到着。ディヤルバクルはトルコ一の酷暑で有名。天気予報で最高気温が42,3度ということはわかっていたが、やはり暑い! むせ返るような暑さだ。

  ターカプの水売り

ターカプから、ディヤルバクルの中心街を歩いてみる。歩き出したとたん、10mおきくらいに警官や兵士が銃をかまえていてびっくり。装甲車も止まっていて、しかもその上では、機関銃をいつでも撃てる態勢で兵士が待機している。町の風景の写真を撮るのも一苦労である。

  スイカを売る屋台が並ぶ

だが、厳重警戒という点をのぞけば、この町はアジア的なムードが漂っていて気に入っている。延々と路上に台が並べられて、農産物が売られているのだが、アジア諸国のバザールの農産物売場の雰囲気だ。バザールの建物もあって、衣料品とか日用品とか電化製品とか、なぜだか自動車やバイクの部品とか売られているが、現地の人向けの店舗で見ているだけで楽しい。広場では、おじいさん達が集まって、チャイを飲みなら談笑したり、ゲームを楽しんだりしている。こういった光景は、トルコにやってきて以来、ほかの町では目撃することがなかった。

  ウル・ジャミィ

ウル・ジャミィ、4本足のミナーレなどを見に行ったが、そのそばでも、現地の人たちが集まっていて、観光地といった雰囲気ではない。現地の人たちの生活の中に、ガイドブックに掲載されている名所がとけこんでいるといった感じである。ウル・ジャミィは、もともとキリスト教会として建造されたものというが、キリスト教会とも思えないような感じの建物である。4本足のミナーレは、塔の下を4本の石柱で支えている珍しい構造である。

さらに、メインストリートを歩き続けると、ターカプとは反対側の城門であるマルディン門に行き着いた。このあたりまでやってくると、商店はなく一般の民家だけにある。歩いている人もほとんどいなくなる。警官や兵士もこの付近ではみかけない。あまりに、人通りが少ないので不気味である。このあたりの城壁を上ればチグリス川をながめられるらしいのだが、城壁の上で賊に襲われたりしたら逃げ道がないので、上に上るのはやめた。

  チグリス川

それでも、チグリス川は見てみたいので、もっと人通りの多いところから眺めてみることにした。メインストリートを引き返し、町の北東の端のほうにある内城のあたりから見ることにした。引き返す途中で日没。早くしないと何も見えなくなってしまうので、急いで内城のそばにある公園へ。確かにチグリス川は見えたのだが、それは私たちがイメージする大河チグリス川ではない。水がかろうじて流れているだけのか細い流れである。

ターカプへ戻って、ロカンタで夕食。ゆっくりと食事をしたが、まだ20時。すぐにオトガルに戻って同じ場所で長く待つのはつらい。それで、ターカプそばの広場で時間をつぶす。だが、まともに座る場所がないし、なぜだか電灯などの設備も少なく不気味な感じであったので、早々と引き上げ、オトガルに向かう。退屈ではあったが、夜行バスの出発までオトガルで時間をつぶした。警官の姿は昼間より少なく、兵士は引き上げていた。