(14)ドゥバヤズット
ワンは1600m台の標高にある町で、早朝に窓を開けるとすがすがしい。この日の朝食は、前日の朝に振り替えたので、朝食は日本から持参した非常用食料(スナック菓子類)を減らすことも兼ねて、部屋で菓子を食べた。ヤトシュさんと約束していた時間にロビーに降りていくと、彼が食事中。ホテルの人は自分にも朝食をとるようにすすめるので、前日に今日食べる分の朝食を食べてしまってることを説明したが、いいから食べろって感じで、食べるように言われ、ジュース、トマト、フルーツなどだけ食べておく。さらにチャイも。
7時30分のホテル出発予定であったが、20分ほど遅れてスタート。まずは、ワン湖の南岸に沿って、前日立ち寄ったアクダマル島への渡し船乗場も通って、タトワンへ向かう。ワン湖は意外と広くて、琵琶湖の5倍以上の面積がある。だから、ワンとタトワンも150kmくらい離れているのだ。約2時間、ヤトシュさんはしきりに尋ねかけてくる、トルコでの旅行コースから始まって、観光地や料理の感想、日本での生活のことなど。ヤトシュさんは、ガイドなら当然ではあるが、英語がたいへん流暢で、ついていくのが大変だ。フランス語でもガイドできるという。
途中で数回の検問があり、パスポートを出さねばならない場合もあった。検問は、この日、この翌日と頻繁に繰り返されたが、ヤトシュさんのうまい対応でいずれもスピーディーに検問所を通り抜けていった。ヤトシュさんの話だと、ミニバスを使った場合、全員がバスから降ろされてチェックを受け、その間にバスに乗り込んでの検査がおこなわれることもあって、ミニバスの所要時間がとても長くなる場合があるそうだ。
10時前にタトワン到着。街中でチャイを飲む。ヤトシュさんから、彼から離れずに歩くようにと忠告を受けたので、それに従う。この町も悪いことをする奴が多いという。これから向かうネムルト湖で食べるというスイカを購入、ヤトシュさんが買うので、いくらかはよくわからない。
ネムルト湖第5湖 水は青い
タトワンからはワン湖の北西岸にそってのドライブだが、ネムルト湖に向かうため、やがて未舗装の山道に入る。車はどんどん標高を
あげていく。ネムルト湖はネムルト山(マラテヤから上ったネムルトダゥ山はNemurutdagi(gの上にはvの記号あり)、ここのネムルト山はNemurutという綴りである。dagiというのは弱くしか発音しないために、ネムルトダゥもネムルトと日本語では表現される場合が多いが、ここでは二つの山を区別するために別表記にしてある。)というカルデラ式の火山の陥没部に水がたまってできたカルデラ湖である。(火山の山頂部分が何らかの理由で陥没したり、吹き飛ばされたりして、大きな穴があいた状態になったもの。穴の部分がカルデラで、その中に水がたまってできた湖がカルデラ湖。穴をとり囲むようなリング状の山が外輪山。世界最大のカルデラ式の火山は阿蘇山。阿蘇山の場合はカルデラの中にも火山ができている。)
ネムルト湖第4湖 水は緑
ネムルト山の最高部は3000mを越え、カルデラの内部でも2800m以上ある。かなり涼しいので、地元の人たちだろうか、車で繰り出してきている人がかなりいる。でも、ここは公共の交通機関がないので、旅行者が訪問する場合は、車をチャーターしなければならない。遊牧民のキャンプ地にもなっていた。ネムルト湖は5つの湖からなりたっていて、水の色が微妙に異なっている。真っ青な湖と緑がかった湖がある。大きさもかなり大きなのもあるし、池といってよいのもある。一番奥の湖で休憩し、スイカを切って食べる。食べきれないので、近くにいた若者にも食べてもらう。イスラエルからやってきたとのことで、ちょっと意外な感じがした。
ネムルト山の外輪山と遊牧民のテント
ネムルト湖をあとにして、ついで向かったのはアフラット。ネムルト山の外輪山を越えて、再びワン湖岸に戻ってきたあたりにアフラットの集落がある。その近くに、古い墓が立ち並ぶところがある。15世紀から17世紀ころの墓で、墓によって墓標に書かれている文字が違っていて、アルメニア文字のものが多いようだが、何文字かよくわからないものもある。
アフラットの墓標
アフラットのあとは、ワン湖の北西岸をひた走る。この間、ヤトシュさんからトルコ語を少し教えてもらう。英語を使って、ほかの言葉を教えてもらうという経験ははじめてである。あいさつとか数の数え方とかであったが、何とか通じる程度にまでなった。もっとも、帰国後しばらくたった現在では、ほとんど忘れてしまっているが。この間にも、検問は何回かあり、パスポートを見せることもあったが、問題なくドライブを続ける。ほかに走っている車はほとんどなく、ハイスピードで走る。
ムラディエの滝
アフラットからワン湖の北端のムラディエまで150km。14時30分ごろムラディエの近くにある滝に到着。吊り橋を渡ると、滝がよく見え、そこのレストランで遅い昼食。メニューは決まったものしかないようだ。滝は高さは20mくらい、横幅は水の多い時期であれば200m以上になりそうな感じであったが、行った時は水が少なくて100mくらいであった。昼食後、滝の水が流れ出している近くまで行ってみたが、岩の割れ目から水がでているようだ。
国境の山々
このあと、車は北上を続ける。ドゥバヤズットまで100kmほどである。途中で小さな火山の火口の近くを通り、そこでは溶岩なのだろうか、黒く輝く岩石の広がる一帯があった。ドゥバヤズットの近くまでやってくると、進行方向右手の山々はイランとの国境になっていた。山頂近くにはトルコ軍の陣地や見張り塔が一定の間隔で立ち並んでいた。天気が良いと、車の前方にアララット山が姿を現すはずだとのことだが、この日はアララット山を眺めることはできなかった。
17時前にドゥバヤズットに到着。イランと陸路で行き来するときは、ワンかドゥバヤズットが玄関になるのだが、この町はワンに比べると町の規模はずっと小さい。ヤトシュさんの行きつけなのだろうか、イサクパシャというホテルに泊まることになる。どこに行きたいのかと尋ねられたので、バザールに行くというと、一人では危ないので、一緒に行くから17時30分にロビーに集まるということになる。部屋にはいって急いでシャワーを浴びておく。
ドゥバヤズットのイランバザール
ホテルを出ると目の前に警察署があって、ポリスがたむろしている。パトカーの代わりなのだろうか、警察の装甲車も止まっている。ホテルから5分ほどのところにバザールがあった。閉店時間が近いのだろうか、客はほとんどいなくて活気が全然ない。一通り、バザールの中を歩いて、すぐそばにある、イランバザールへ。イランから流れてきたものを専門的に扱うバザールである。ペルシャ風の金属製水差しとか、アラビア文字で書かれている洗剤の箱などから、イランがすぐそばにあることが感じられた。夕食はどうするかと尋ねられたので、今はおなか一杯だと答えておく。本当は食事したかったのだが、この分だと、ヤトシュさんと一緒に食事をして、一緒にホテルに戻るということになりそうだったので、そう答えておいたのだ。一人歩きをしてみたかったのと、常に英語で対応するのに疲れてきたためだ。代わりに、チャイを一緒に飲んでホテルに戻る。
町に出るときはヤトシュさんを呼ぶようにと言われていたが、しばらく部屋で休んだあと黙って食事に出た。市街地の端のオトガルにもよってみたが、閑散としたオトガルであった。それもそのはず、ドゥバヤズットから出るバスは午前中に集中しているためである。町外れなので歩いている人も少ない。ドゥバヤズットのメインストリート、といっても閑散とした通りであるが、ここで夕食をとる。トルコ風のピザである、ピデの店があったので、はいってみる。その店では、ピザもやっていたので、ピザかピデかよく聞き取れなかったらしく、何度も確認しあってようやく注文できた。ピデはピザよりもかなり生地が分厚い。味はそこそこであった。
20時ごろホテルに戻るとロビーにヤトシュさんがいて、食事に行こうといわれる。自分を待っていてくれたようで申し訳なかったが、もう食べてきたことを告げると、外出するときは自分と一緒でないといけない、危ないからもう外出しないようにと言われる。このあと、部屋で荷物の整理とか、翌々日からの行動予定を考えたりしてすごし、知らぬ間に眠りについた。