(15)カルス
7時にヤトシュさんと待ち合わせて、イサクパシャホテルの近所へ朝食にでかける。菓子パンの朝食。ホテルに戻るとすぐに、車に荷物を積み込んで出発。まずは、ドゥバヤズットから40km、イランとの国境近くにあるメテオホールへ。イランへ入る車が延々と並んでいるその横を通り過ぎて、トルコ側の国境検問所のすぐそばも通っていく。そのため何度か検問があり、ヤトシュさんはそのたびにメテオホールへ行くということを兵士に伝えていた。隕石が落ちてできた穴としては、世界で2番目に大きいというが本当かどうかはあやしい。確かに、直径は30m以上、深さは50m以上ありそうだ。
イラン国境のトルコ側関門
再度、イミグレーションのそばを通って、ドゥバヤズットへ戻り、イサクパシャ宮殿を訪問する。ドゥバヤズットへ戻る途中、車窓からアララト山(5137m)がくっきりと見えた。その近くには小アララト山(3896m)も見える。どちらも山頂近くは雪に覆われている。
イサクパシャ宮殿は、ドゥバヤズットの東5kmほどの小高い丘の上に建っている。イサクパシャは17世紀にドゥバヤズットの領主となったイサクパシャが建てたものである。宮殿と呼ばれているが、一方が攻められにくい絶壁に面していて、城といったほうがよい。建物のなかには、ジャミィ、図書館、食堂、ハマム、ハレムの数多くの部屋、裁判所、監獄などいろいろとあった。ドゥバヤズットの町が手に取るようにわかる。
イサクパシャ宮殿にて
ドゥバヤズットの町の近くにくると、軍の広大な敷地が広がる。ドゥバヤズットの市街地と同じくらいの大きさがあるのではないだろうか。町の中に戻って、一休みして、チャイを飲む。
10時、カルスに向けて出発。カルスまでは220km。森林は少なく、土がむき出しになっている山が続く。右手に、アゼルバイジャンのナヒチェバンへ向かう道路が分岐する。ナヒチェバンはアゼルバイジャンの本土とはアルメニアが間に入るために飛び地になっている。トルコとアルメニア、アルメニアとアゼルバイジャンの国境は閉鎖されていて、陸路の移動はできない。そのため、ナヒチェバンへ行っても、陸路を使ってアゼルバイジャンの本土に行くことはできない。
牛の遊牧 なぜか羊より牛をよく見た
やがて、進行方向右手の山々がアルメニアとの国境になる。トルコとアルメニアの関係も良くなく、国境の山脈にはトルコ軍の監視塔が一定の間隔ごとに設置されていて、その向こう側にはアルメニア軍の監視塔。
13時、カルスのギュンギョレンホテル着。ヤトシュさんはここに泊まるとのことだが、自分はこの日、エルズルム行きの夜行バスに乗るつもりであったので、荷物を車に載せたまま、昼食をとる。その間に、ヤトシュさんはまずバスの時間を聞いてくれた。ところが、カルスからエルズルムへの夜行バスはないとのことだ。また、最終のバスは16時で、これからアニ遺跡に行って戻ってきて乗ることはできない。そんなわけで、自分もこのホテルに泊まることになってしまった。バスは翌朝8時のバスに乗ることにする。バスの件が落着したあと、ヤトシュさんが警察に行ってアニ遺跡の見学許可をもらってくるため、パスポートを預ける。アニ遺跡の見学には、カルスの警察で許可を得なければならないということだ。短時間でヤトシュさんは戻ってきて、一緒に昼食。
14時前、アニ遺跡に向けて出発。出発後、ヤトシュさんは思いがけない通告をする。アニ遺跡の中は写真撮影が禁止されているとのことだ。以前はアルメニア側にカメラを向けないという条件つきで、写真撮影が許されていたが、アルメニア領に向かって写真を撮る者が多いので、全面的に禁止になってしまったとのことだ。アルメニア正教会の内部にはきれいな壁画が残っていると聞くので、撮影を期待してきただけにショックである。一応、現地で撮影させてほしいと頼んでみるが、ダメだと考えておいたほうがよいと言われた。
アニ遺跡の入口
15時前、アニ遺跡に到着。ヤトシュさんは、警備の兵士に撮影してよいか尋ねてくれたが、やはり許可はでなかった。カメラは受付で預ける決まりになっているらしく、預けて入場する。
アニは、10世紀にアルメニア王国の都になり、アルメニアの中心として、シルクロードの中継点として、またアルメニア正教会の拠点として発展した。最盛期は10万人以上の都市であったという。しかし、13世紀以降は衰退し、現在ではぽつりぽつりと点在する一部の建物が盛時を想像させるが、ほとんどは荒地になってしまっている。遺跡の東端にあるグレゴリオ教会は、アルメニア正教会で、キリストの生涯を描いた壁画がきれいに残っている。だが、保存状態はよくなく、いずれ危機がやってきそうだ。この教会のすぐ下を流れている川がトルコとアルメニアの国境になっている。川幅は10m程度で、反対側と話ができそうな距離である。川向かいにはアルメニア軍の監視所も置かれているが、人影はない。だが、川から少し離れて工事をやっている。何をやっているのだろうか。
崖ののように見える谷が国境 遠方はアルメニア
炎天下をところどころ道のない草むらを歩いたり、川の近くでは起伏があったりして、かなり疲労する見学であった。見学を終えて受付まで戻り、カメラを受け取ってから、ヤトシュさんは再度、写真撮影の許可を願い出てくれた。その結果、入口のところからだけOKということになり、写真撮影をおこない、兵士に感謝。
17時、カルスのホテルに帰着。泊まる予定ではなかったが、バスがないというのではやむを得ない。シャワーを浴びて、一休みしたあと、18時にヤトシュさんと待ち合わせして夕食のために外出する。ロカンタで食事したあと、ミネラルウォータなどを購入。そのあとはホテルに帰った。この町も一人では危険だから、外出するときは一緒に出かけるから呼ぶように、と言われる。昨日は、一人で外出したりしたので、今日はヤトシュさんの言うとおり外出はしないでおいた。そのためカルスは町歩きがほとんどできなかった。翌日からの予定をどうするか頭をひねった。しかし結論はでなかった。エルズルム、トラブゾンまで行ったあと、パムッカレ、エフェス回るか、それとも、アンカラ、サフランボルと回るか決められなかった。