(19)エフェス

6時ごろ目が覚める。アフヨンの手前であった。まもなく、朝の休憩。アフヨンは、南北と東西の道路が交差する交通の要衝である。丘陵地と小さな町を越えてバスは行く。朝食代わりに、非常用に持ってきた菓子類を食べる。退屈な時間が過ぎていく。手持ち無沙汰で乗客の大部分は眠っている。

11時30分ようやくバスはイズミールのオトガルに到着。23時間30分のバス旅がここに終了。1200kmのバス移動。もうこんなバス旅をすることはないだろう。イズミールのオトガルは今までに見てきたオトガルの中では一番大きかった。これから、さらにセルチュクまで行かねばならないが、どこで切符を買うのかよくわからない。このオトガルは、2階建てになっていて、長距離のバスは1階から発車するのだが、2階は3分の2ほどが長距離バスの到着用になっていて、3分の1ほどが近距離バスの着発に使われていた。それを知らずに、2階から1階に降りて切符売場を探していたのだった。長距離バスを降りて、同じ階で近距離バスに乗り換えられるようになっているのは便利であるが、事情を知らないものにはわかりにくい。

セルチュク行きのバス乗場へ行くとすでにミディバスが止まっていたが、発車までまだ30分くらいあった。待っていると声をかけられた。セルチュクのゲストハウスの客引きであった。ホテル探しも面倒なので、ここでそのゲストハウスに決めてしまった。夕食朝食つきでUS$20(約2400円)とかなり安い。セルチュクでは、オトガルに着く前にゲストハウスの近くでバスから降ろしてくれ、家族のものがそこに待っていて連れて行ってくれるらしい。

オトガル内でケバブサンドを立ち食いして昼食。バスの発車が近づいてきたので乗車。発車すると、小さなバスではあるが、コロンヤと水のサービス。40分ほどでセルチュクの町に入る。やがてバスを下ろされ、そこからは宿の人と一緒に歩いて宿へ5分ほど歩いた。すぐに部屋に入り、シャワーを浴びて一休み。翌日のパムッカレ往復のバスとイスタンブル行きの夜行バスの切符は宿で手配してくれた。

14時前に宿を出て、まずはエフェス遺跡へ向かう。宿から歩いて10分ほどのところにオトガルがあり、その一角から、クシャダス行きのミニバスが出ている。発車したかと思えば、2分ほどでエフェス遺跡の入口に近い停留所に到着。だが、そこから入口までが遠かった。結局、バスに乗った距離と降りてから歩いた距離が同じくらいであった。14時30分ごろ遺跡に入れた。

 大劇場

北入口から入ると、浴場跡などがあり、ついで列柱の並ぶアルカディアン通りに出る。その通りを大劇場まで歩き、大劇場に入る。観客席の最上段まで上ってみた。眺望はよいが、日差しが強く、とても暑い。アスペンドスの劇場に比べると、こちらはやや小さいし、破損箇所も目立つ。

 図書館

マーブル通りを通って図書館へ。2階建てで神殿のような感じである。図書館の向かいには、娼館、公衆トイレなどがある。このあたりでまた休憩。クレテス通りに沿って、ハドリアヌス神殿、トラヤヌスの泉、ヘラクレスの門などが続く。

 クレテス通り

ヘラクレスの門を出るとエフェスの町の高台が広がっていたようだ。ドミティアヌス神殿、公会堂、音楽堂と続き、それらを見ると出口であった。広大な遺跡で一通り見学するのに2時間ほどかかった。

 音楽堂

16時30分ごろ遺跡を出て、その外側を30分くらい歩いて、アルテミス神殿跡に到着。柱が1本だけ残る。このあと、考古学博物館へ。エフェス遺跡からの出土品が展示されている。続いて聖ヨハネ教会へ。ヨハネが晩年をすごした教会の跡である。そして最後にイーサベイジャミィへ。宿に戻ると19時になっていた。この日歩いた距離は10kmくらいになる。

 聖ヨハネ教会

シャワーを浴びてから、宿の屋上で夕食。宿の家族総出で食事の世話を一生懸命しており好感が持てる。トルコでよく飲まれるビールはエフェスビール。遺跡の名をとったものである。旅行中、ビールはあまり飲まなかったが、この日はエフェスビールを飲んだ。

  エフェスビールと宿の食事 

部屋に戻って、宿で泊まるのはこの日が最後であるので荷物を整理。しかし、たくさん歩いたので、すぐに眠くなってきて、整理は中途半端なまま、眠りについた。