4日目 マウントバーノンとアーリントン墓地
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ペンタゴンとマウントバーノン |
4日目はバージニア州側(ポトマック川の西側)を見て歩くことにした。最初は地下鉄ブルーラインでペンタゴンへ。この日は日曜日だった。日曜日の早朝はきわめて本数が少なく、ロザリン駅で20分ほど待たされた。 |
駅を出て地上に上がり、屋根のないところに出ると、ペンタゴンが目の前に見える。ペンタゴン駅の近くにある建物はペンタゴンだけで、ペンタゴンに行く人たちのための駅だ。 ペンタゴンは撮影禁止だ。至るところにNo Photograph の表示がある。そのため写真なし。 2001年の同時多発テロの際には、ハイジャックされた航空機がペンタゴンに激突し、184人の犠牲者が出た。その慰霊碑を見にいった。地中から出たような板が慰霊碑で、犠牲者の名が彫られ、これが184基ある。この慰霊碑だけは撮影OKだった。 |
ペンタゴン訪問後、イエローラインで終点のハンチントンまで30分ほど。下車後、マウントバーノンに向うフェアファックス・コネクターバス101番に乗車。平日は30分に1本なのだが、この日は日曜で1時間に1本だ。それでも待ち時間は15分ほどだったのでラッキーだった。 バスに30分ほど乗車してマウントバーノンに到着。バスには10人ほどの乗車だったが、現地に着くと自家用車、それにすごい数の観光バスがきていて、大混雑。入場券を買うのも10分ほどだがならばねばならなかった。 |
マウントバーノンは初代大統領ジョージ・ワシントンの邸宅と農園だ。ワシントンD.C.の南25kmほどのところにあるが、自然の中の邸宅という感じだ。 邸宅への入場は時間が指定されていて、時間になれば並んで入った。邸宅内は撮影禁止であった。 |
邸宅の裏手からはポトマック川が見える。ワシントンD.C.で見るポトマック川より幅が広く、周囲に建物がなく、自然の中を流れている。 下左 鍛冶の実演をやっていた。農園では鍛冶も自前でやっていたようだ。 下右 ジョージ・ワシントンの使った馬車。 |
ジョージ・ワシントンの墓。敷地内の森の中にある。 |
奴隷記念碑。この付近に奴隷が埋葬されていたらしい。 |
広い農場の中の道を歩いた。のんびりと歩くのは気持ちよかった。邸宅を見てから、ぐるっと散策して、最後にミュージアムを見て30分少々。 |
敷地内のカフェで昼食。ツナサンドとチリスープ。バスの時刻が気になって、大急ぎで食事。食べ終わるとバス乗り場に急ぎ、バスで地下鉄ハンチントンへ。 |
アーリントン墓地 |
上左 地下鉄ハンチントンはイエローラインの終点駅。周辺は住宅街。日曜の昼下がりでガラガラの電車だった。 上右 途中、ブルーラインに乗り換えて、30分強でアーリントン墓地駅に到着。 左 駅から10分ほど歩いて墓地へ。写真は墓地の玄関で、徒歩で墓地を見て回るなら玄関から入場する。今回は、墓地内を巡回するバスに乗車するので、写真の左側にあるビジターセンターに行った。 |
ビジターセンターで墓地内の巡回バスのチケットを購入。9ドルだったが、ここでは、日本から持参したクレジットカードが全部使えなかった。原因は不明。ワシントンD.C.ではほぼすべての支払いはクレジットカード払いにしたのだが、屋台のホットドッグと自動販売機の飲物とここの支払いだけが現金払いだった。 |
墓地内には延々と白い墓標が並んでいる。アーリントン墓地には戦死者のほか英雄とされる人たちが眠っている。 戦死者は、古くは独立戦争、米英戦争、南北戦争、最近では湾岸戦争、イラク戦争など、独立以来、米国がかかわったすべての戦争の戦死者を対象にしている。ただし、ほかの墓地に埋葬される人もいるので、全員というわけではない。 |
アーリントンで埋葬されている英雄の中でも、一番人気があるのがジョン・F・ケネディだ。巡回バスは途中で3度停車し、そのまま乗っていてもいいし、一旦下車して、見学のあと、次にやってくるバスに乗ってもいいのだが、3ヶ所のうちケネディの墓地だけはすべての乗客が下車した。 手前がJ・F・ケネディ、向こうがジャックリーヌ夫人の墓。写真には写っていないが、左に弟のエドワード・ケネディの墓がある。ロバート・ケネディの墓も少し離れたところにあるが、行かなかった。 |
JFKの墓のすぐ下では、遠足で訪れた学校だろうか、記念撮影をしていた。遠方に見えるのはリンカーン記念館。 下左 JFKの墓から、次にやてきた巡回バスに乗車したのだが、今度はレトロな路面電車風のバス。 下右 次に無名戦士の墓で下車。バスを下りると、まず記念野外劇場がある。慰霊式典などが行われるようだ。無名戦士の墓はその向こうのようだ。 |
無名戦士の墓。24時間、ライフルを構えた衛兵が守っているが、たまたま衛兵交代の時間だったので、しばらく見る。 見ごたえがあるが、観客が多くて、見にくい。でも私服を着た、たぶん兵士が自分の横を開けさせたので、見やすくなった。横を兵士が通るのかと思ったが、通らなかった。儀礼面で開けさせる必要があったのだろう。10分ほど時間をかけて、衛兵が交代した。 |
巡回バスを待っていたら、待っている場所から、他とはちょっと違う墓が見えたので、見に行った。 1986年に発射直後に爆発したスペースシャトル・チャレンジャーの乗組員7名の記念碑であった。 2003年に地球帰還時に空中分解したスペースシャトル・コロンビアの乗組員7名の記念碑もそばにあったはずなのだが、気づかなかった。 スペースシャトルは5機(試作機を入れると6機)つくられ、135回飛行しているが、うち2機が事故を起こしたことや、135回中2回ということを考えると、かなりの危険性があったと改めて思う。残りのスペーシシャトルだが、ディスカバリーは翌日、ウドバー・ハジーで見ることになる。エンデバーはロサンゼルスのカリフォルニア科学センターで、アトランティスはケネディ宇宙センターで展示されている。試作機のエンタープライズはNYのイントレピッド博物館で展示されている。なんか、全部見てまわりたくなってきた。 |
再び巡回バスに乗車し、アーリントンハウスで下車。すでに16時ごろだったためか、下車しない客が大部分だった。 南北戦争のときに南軍の指揮官だったリー将軍の邸宅だ。墓地の土地もリー家の所有だった。もともとジョージ・ワシントンの孫が建てたのだが、その娘がリー将軍と結婚し、リー将軍がここに住んだ。その後、南北戦争がおこり、リー将軍はここを去り、北軍が占領。邸宅は没収され、北軍兵士の墓が作られた。戦争後、リー家に返還されたが、墓があったので、リー家は政府に売却し、現在に至る。 |
邸宅に入るには20分ほど待った。中は南北戦争当時の家具などが置かれている。 このあと巡回バスでビジターセンターに戻った。アーリントン墓地では、3ヶ所での見学とバス乗車を合わせて3時間ほど滞在した。 |
硫黄島記念碑とラーメン |
アーリントン墓地から硫黄島記念碑へは歩いて行くことにした。アーリントン墓地の外周の外側の道を歩いた。 やがて、オランダから贈られたカリヨンの塔があった。上部に鐘がたくさんついている。上に上がれば景色がすばらしいらしいが、上がる気力がなくて通過。 |
硫黄島記念碑(海兵隊戦争記念碑)。 1945年2月、第2次大戦の末期、米軍は日本本土空襲のため硫黄島を占領しようと、島を死守しようとする日本軍が激戦を繰り広げた。結局、米軍が島を占領し、星条旗を島に立てた。 その様子を従軍記者が撮影し、ピューリッツァー賞を獲得した。その写真のままの姿を彫刻家が銅像にしたもの。力強さとともに、過酷な状況が伝わってくるような像だ。つくられたのは1954年。 台座にはさまざまな戦争名が書かれていて、各種の戦争での海兵隊の戦死者を慰霊する碑であり、日本に対する勝利を記念するものではないようだ。とはいえ、日本の島を占領する姿の像を見ると複雑な気分になり、素直に慰霊する気持ちにはなれないものがある。 |
硫黄島記念碑からさらにロザリンの方向に歩いていくと、泊まっているホテルの前にでた。なるほど、道はそのようになっていたのかと感心。このとき17時ごろだったのだが、いったんホテルの自室に戻って休んだ。 |
上左 夕食をどこでとるか考えた末、ガイドブックにのっていたラーメン店、大鍋屋(だいかや)に行ってみた。地下鉄で、前日にも行ったチャイナタウンに出向いて店を探した。 上右 生ビールを注文。銘柄は不明。 左 餃子。 |
塩ラーメン。 日本でも最近食べていなかったラーメン専門店でのラーメンと餃子。久しぶりに食べて美味しかった。完全に日本の味だった。値段は日本で食べる2倍くらいだったが。 |
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