5日目  ウドバー・ヘイジー・センターなど

 

ジョージタウン街歩き
 ワシントンD.C.もこの日が実質最終日。翌日は郊外のダレス空港からの便に搭乗するので、この日はダレス空港近くで泊まる。4泊したハイアット・アーリントンはチェックアウトし、荷物を預けた。午前中は観光を行い、昼過ぎにダレス空港に向い、午後はウドバー・ヘイジー・センターを見るつもりだからだ。

 ホテルをチェックアウトして、歩いてキーブリッジを渡り、ジョージタウンへ向かった。キーブリッジのあたりでポトマック川は幅が狭くなり、キーブリッジは300mくらいの橋だ。
 キーブリッジの橋上から丘に建つジョージタウン大学の建物群が見える。

 下左  キーブリッジを渡ったところにある公園。フランシス・キー・スコットを記念する公園である。フランシス・キー・スコットは、米英戦争での、ボルティモアのマクヘンリー要塞の戦いでイギリス船に拘束された。その際、夜明けに星条旗がゆらいでいるのを見て、米国の勝利をたたえた詩をつくった。それが、アメリカ合衆国国歌の歌詞になった。キーブリッジも正式には、フランシス・キー・スコット・メモリアル・ブリッジだ。









 上  この星条旗、星が15個なのだ。つまり、国歌の歌詞が作られた当時の国旗なのだ。独立時の13州に加え、バーモントとケンタッキーが加わったもの。
 
 ジョージタウンのメインストリートであるMストリート。

 独立当時の雰囲気が残る街になっている。イギリスの雰囲気と言ってもいい。建て替えられても古い外観を維持しているようだ。
 
 レンガ造りの外観の建物のひとつが、ディーン&デルーカだったので入ってみた。JALの日本発欧米路線で出されるアイスクリームはディーン&デルーカのものなので、気になったのだ。

 中は市場風になっているが、商品がきれいにレイアウトされている。高級食料品店といった感じだ。
 
 チェサピーク&オハイオ・キャナル(略してC&Oキャナル)。

 ワシントンD.Cからポトマック川沿いに300km近く続き、荷物を内陸へと運んだ。両側をレンガ造りの建物が挟む中、運河沿いの小道を歩くのはとても気持ちがいい。
 
 運河には水門もある。低いほうの側の水門を閉じる。高いほうの側の水門を開ける。すると徐々に水面が上がり、船が持ち上げれれていく。閘門式の運河と同じなのだが、水門は人間の手で動かせるものだ。
 
 運河の起点まで歩いたあと、一転して車が途切れなく走る幹線道路を少し歩くと、大きなビル群があった。これが、ウォーターゲート・コンプレックス。

 ウォーターゲート事件の舞台になったところだ。いくつかあるどのビルが舞台になったのかまでは不明。

 右の道を進むと、1kmほどでリンカーン記念館に至るが、今回は左の道を進んだ。
 地下鉄フォギーボトムGWU駅に向かうため、幹線道路から脇道に入った。古い住宅街があった。
 
 ジョージ・ワシントン大学。この敷地内を抜けると、地下鉄フォギーボトムGWU駅。GWUとはジョージ・ワシントン・ユニバーシティの略だ。ここからスミソニアン駅まで地下鉄で移動。
フリーアギャラリーとレーガンビルでの昼食
 スミソニアン駅で下車し、すぐのところにフリーアギャラリーがある。フリーアは人名でコレクションの寄贈者。東洋美術とアメリカ美術のコレクターであったフリーアの寄贈作品を中心に開館した美術館だ。

 小ぶりな美術館だが、地下があって、見て回るにはそこそこ時間がかかる。
 
 孔雀の間。孔雀の絵が正面に描かれ、陶器が並べられている。フリーアギャラリーの有名な部屋である。

 下左  日本美術も多く展示されている。金剛力士像。

 下右  日本の屏風絵。
 
 
 
 フリーアギャラリーの地下と隣のアーサー・M・サックラー・ギャラリーの地下はつながっていて、館外に出ずに移動できる。

 サックラー・ギャラリーは、アーサー・M・サックラーの寄贈した東洋美術と中近東美術のコレクションがもとになって造られた。フリーアギャラーと分野が重複するが、フリーアギャラリーは寄贈者の意思によって、他館との貸し借りを禁止しているいるのに対して、サックラー・ギャラリーは他館と自由に貸し借りができる。

 写真はガネーシャ像。
 
 サックラー・ギャラリーの地下と隣のアフリカ美術館の地下もつながっていて、アフリカ美術館へも館外に出ずに移動できる。

 アフリカ系のオバマ大統領を記念する織物もあった。国の色分けが何か意味があるのかは不明。

 下左  アフリカ美術館の地上部分の外観。

 下右  アフリカ美術館と線対称の形でサックラー・ギャラリーが建っている。
 
 
 スミソニアン城。
 
 内部はスミソニアン系のミュージアム全体のインフォメーションになっている。
 
 12時前に昼食のために、ロナルド・レーガンビルへ。何の変哲もないオフィスビルで、出入りには保安検査がある。検査が面倒なのだが、地下のフードコートを利用したくてやってきた。
 
 レーガンの展示コーナーもあった。
 
 地下のフードコート。かなり広い。 
 
 料理名はよくわからなかったのだが、チキンや野菜をライスの上に載せたものを食べた。熱々のトルティーヤと飲物つき。飲物はコーラにした。
ウドパー・ヘイジー・センター
  昼食後、地下鉄でいったんホテルに戻り、預けていた荷物を受けとり、再びロザリン駅へ。今度は地下鉄ではなく、地上のバス乗場に向った。

 13時30分ごろのメトロバス5Aに乗車。都心とダレス空港を結ぶバスで、途中、ロザリンにも停車する。ホテルの場所をロザリンに選んだのはこのバスの利用も考えてのことだ。
 
 空港バスの位置づけだが、荷物置場はなく、ちょっと不便だ。スマートリップも利用できる。
 
 40分ほどでダレス空港着。空港にかなり近いところまで地下鉄シルバーラインが伸びていることを確認した。どうせならもう少し伸ばして空港に乗り入れればいいんだけれども。

 下車したところで、航空宇宙博物館の別館であるウドパー・ヘイジー・センターへのバスに乗り換え。本数が少ないので30分近く待った。フェアファックス・コネクターバス983番に乗車。こちらもスマートリップが使える。
 
 10分ほどで、ウドパー・ヘイジー・センターに到着。15時少し前で、17時30分の閉館まで楽しもうと思う。
 
 大きなカバンをゴロゴロさせていたので、保安検査でカバンを開けさせられたが、無事に入場。カバンを引いて歩くと大変だったが、入場してすぐのところにロッカーがあったので、預けた。自分の場合はロッカーに入ったが、超大型のカバンだと入らない。0.25ドル入れないといけないが、荷物を出す時に戻ってきた。
 
 カマボコ状のドームの中に数多くの飛行機が並んでいる。
 
 最初に、スペースシャトル、ディスカバリー。39回の宇宙へ旅だったが、機体のタイルは色が変わったりしているのを見ると、飛行の困難さを感じずにはいられない。
 
 日本の夜間戦闘機「月光」。第2次大戦末期に活躍した。
 
 特攻機「桜花」。実戦には使われなかった。
 
 潜水艦搭載攻撃機「晴嵐」。洋上で10分以内に組立て、奇襲攻撃を行う目的で造られたが、実戦には使われなかった。
 
 B29「エノラゲイ」。広島に原子爆弾を落としたのがこの機。
 
 コンコルド。1976年、パリ、ニューヨークとパリ、ワシントンD.C.の両便の第一便として利用された機体。エールフランスから寄贈された。
 



  
  F14D「トムキャット」。1970〜90年代の主力戦闘機。可変翼が特徴。

 上 尾翼のフェリックス・キャット。
ダレス空港で食事してホテルへ
 ウドバー・ヘイジー・センターに17時まで滞在したあと、バスでダレス空港に移動。夕食をダレス空港でとっていくことにした。制限エリア外にはレストランは少なく、数少ない1軒に入った。

 下左  ビール。

 下右  サーロイン添えのサラダ。
 
 
 食事後、マリオット・ダレスエアポートの送迎車でホテルへ。
 
 この日は、マリオット・ダレスエアポートに泊まった。玄関は2階にあり、2階建てだ。そのかわり4棟があり、自分が泊まった部屋は玄関からかなり歩いた。建物が低いのは、空港の敷地内にあるからだろう。ターミナルビルから直線距離では500mほど、経路に沿った距離で1kmほどにあるホテルだ。ダレス空港に一番近いので、このホテルを選んだ。
 
 泊まった部屋。4泊したハイアットよりもワンランク上の部屋だった。値段もハイアットの2泊分だったが。18時すぎに部屋に入り、特に何もすることもなく、早めに休んだ。

 

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