2 日 目

 

 

  朝食は前夜に買っておいたチキンロール。これは、意外とボリュームがあって、これだけで十分満足いくものだった。

 朝食後、ホテル近くのバス停からThe Busでパールハーバーに向かった。バスの行先表示は、ARIZONA MEMORIALになっている。

 距離のわりに所要時間がっかり、1時間20分ほどかかってARIZONA MEMORIAL到着。

 パールハーバーは戦史公園になっており、その中心が戦艦アリゾナの沈没した真上につくられている記念館と、東京湾上で第2次大戦の終結の署名がおこなわれた最後の巨大戦艦ミズーリ。

 公園に入る前に荷物を預けねばならない。かばんや袋は持って入れないのだ。カメラや本などは手で持つか、ポケットに入れなければならない。

 入口を入ると、まずアリゾナ記念館に行く船のチケットをもらう。無料だが出発時間の書いたチケットが必要なのだ。

 上左 戦艦アリゾナの巨大な碇。

 上右 We will never forget この言葉は日本人にはぐさっとくる言葉だ。ここでしばらく立ちどまり、この言葉をかみしめた。

 左 真珠湾奇襲攻撃でなくなった人たちの名前を書いたプレートが並んでいる。(1100人以上の戦艦アリゾナ乗組員は別)

 残念だったのは、海中から引き揚げた遺品などを展示するアリゾナメモリアルセンターが工事中で見学できなかったこと。

 上左 アリゾナメモリアルに渡る船。海軍の船であった。

 上右 アリゾナメモリアルの外観。

 右 アリゾナメモリアルの内部。

 アリゾナメモリアルへは10分ほど。このメモリアルはミュージアムではなく、なくなった乗組員を鎮魂する厳粛な場所でした。沈没した戦艦アリゾナを跨ぐように作られている。戦艦には亡くなった乗組員の遺体も残されているとのことで、一種の墓地ともいえるものだ。

 上左 アリゾナの大砲の台座が水面上に出ている。

 上右 滞在していたわずかな間にアリゾナから浮いてきた重油。

 左 ほど近い場所で公開されている戦艦ミズーリ。この船上で日本が降伏文書に署名をしたことは有名だ。戦争の始まりといえるアリゾナのすぐ近くに戦争の終わりであるミズーリを置くことで、無言のうちに、米国の正当性、優位性をアピールしているようだ。

 ホノルルに行けば、まずアリゾナメモリアルに行こうと以前から思っており、それれ実行したわけだが、一般には日本人がそれだけ訪問しているのだろうかと気になる。

 15分ほどメモリアルに滞在ののち、船で正門の近くに戻った。

 続いて、潜水艦バウフィンへ向かった。かなり大型の潜水艦だ。

 

 左左 潜水艦の上部。本来はないが、木が敷かれていて安全に歩けるようにしてある。

 左右 幅50cmほどの中央通路。

 下左 計器室。ここが潜水艦の心臓部のようだ。艦内の区画を分断しているハッチは小さく、通り抜けるのに一苦労。

 下右 寝台。ここで寝泊まりするには息苦しそうで大変だ。

 次に、戦艦ミズーリに向かった。シャトルバスからの写真撮影は禁止されていた。

 ミズーリは1944年に就役したが、米国海軍で最後に就役した戦艦だった。最初に出動したのが太平洋戦争で沖縄へ出撃。その後、1945年9 月2日に東京湾上で第2次大戦終結の署名がなされた。

 さらに朝鮮戦争では艦砲射撃などを行った。その後しばらくは使われず、退役が近付いてきたが、電子機器類の現代化が実行され、湾岸戦争に参加した。

 上左 ミズーリに到着。

 上右 司令塔付近。このあたりで、日本語のオーディオガイドの機器を借りた。無料だが、パスポートを預けなばならない。

 左 ミズーリの先端部。

 左 階段を上がって、甲板に到着。

 下左 湾岸戦争のときにはこの砲台からも砲撃が行われた。

 下右 289とは湾岸戦争のさい、この砲台から撃たれた放弾の数。

 日本の降伏の署名がされた机のあった場所。記念碑が埋め込まれているところが署名用の机の置かれていたところ。

 下左 署名が行われた机のあった場所に埋められているプレート。

 下右 署名のコピー。

 左 艦長室。室内には入れず、ガラス越しで撮影した。

 下左 沖縄へ派遣されていたとき、特攻機の攻撃を受けた。そのときの写真が展示されていた。

 下右 特攻機が当たったのはこの付近。

 右 テントの下は、朝鮮戦争のときにはヘリコプターの発着場だったが、湾岸戦争のときには無人飛行機の発着場になっていた。

 下左 トマホークの発射台。

 下右 司令塔の外部で艦長が指揮をとるところ。

 

 上左 司令塔内の艦長席。意外と簡素な椅子だ。

 上右 談話室だが机は緊急時には手術台になる。

 ミズーリを見た後は再びシャトルバスで公園の入口に戻った。

 このあと、1時間余りかけてワイキキに戻った。

 右 ようやくワイキキのビーチに出ることができた。

 上左 デューク・カハナモク像。サーフィンの神様とも言われる人物だ。

 上右 ワイキキの魔法石。超自然の力が宿るという伝説のある石。

 左 モアナホテル。1901年にはじめてワイキキにできたホテル。

 上左 ロイヤルハワイアンホテル。1927年に建てられたホテルの内部。

 上右 ワイキキのメインストリートであるカラカウア通り。

 右 カラカウア王像。

 

  

 この日の夕食はアラモアナセンターという巨大なショッピングセンターでとることにした。

 フードコートではいろいろ料理をやっていたが、ハワイのローカルフードのお店は1店だけだった。

 ローカルフードの盛り合わせにした。

 トレー外 左 ハウピア・・・ココナツのプリン

 トレー外 右 ロミサーモン・・・サーモンとトマトなどをあえたもの

 左上 カルアピッグ・・・豚肉を蒸し焼きにしたものをほぐしたもの

 左下 チキンロングライス・・・ロングライス(春雨)と鶏肉を味つけてあえたもの

 

 右下 ラウラウ ・・・豚肉をタロイモの葉で包んで蒸したもの

 ちょっと失敗したのは、主食を何にするか聞かれて、ライスにしてしまったこと。

 タロイモをペーストにしたポイがあったことを後で知りました。ポイにすればよかった。

今度ホノルルに行った時には、ポイ、それに、ハワイ風の刺身でしあるポケなどをいただきたいと思っている。

 ABCストアに立ち寄って、ホテルに戻った。

 

 

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