(4) タシケント
タシケント初訪問時(1999年)の写真はこちらにあります。
以下の写真は初めてのタシケント訪問時(2001年)の写真です。
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ナボイ劇場。 第二次大戦後、日本人捕虜によって 建設された、この劇場は大地震にもたえ タシケントを代表する劇場として、今なお この町の文化の中心として機能している。 |
ちょうど日本の劇団が「夕鶴」を上演する 直前であった。 |
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「夕鶴」の練習を少し見せてもらった。 |
ウズベク工芸博物館。 この国の伝統的なドッペ(帽子)、ラギャン (ブロフ用の皿)、スザナ(刺繍のある壁掛 け) | ![]() |
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タシケント駅。 |
鉄道技術博物館。 | ![]() |
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ツムデパート。 |
ザンギー・オタ廟。 14世紀に建てられたスーフィー教団の 聖人ザンギー・オタの廟。 |
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アクルガン郷土博物館。 タシケントから南へ70km。 シャフルヒヤからの出土品などを展示。 |
シルダリア川。 シャフルヒヤ遺跡はシルダリア沿いにある。 |
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シャフルヒヤ遺跡。 モンゴル軍により破壊されたが、ティムール 時代に再建された。ソ連時代から調査中の 遺跡で今なお未知の部分が多い。 |
日本人墓地。 第二次大戦でソ連軍の捕虜となった 日本人の墓。 |
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日本人抑留者の記念館。 個人で運営している小さな記念館。 ![]() |
ハシュト・イマーム。 ソ連時代、イスラム教は抑圧されていた が、第二次大戦に際し、国内のイスラム 教徒の支持が必要で、また戦後、イスラム 諸国を自陣営に引き止めておくため、 表面的ながらもイスラム保護の政策が とられた。 |
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カフリ・シャーシ廟。 16世紀建造の聖人の廟。 |
バラク・ハーンのマドラサ。 16世紀にバラク・ハーンによって建造。 ソ連時代から中央アジアのイスラム管理 局がおかれていたが、現在はウズベキス タンのみの管理局になっている。 |
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イマーム・アリ・ブハリ学院。 かつてはモスクがあったが、現在は 神学校になっていて、400人が4年間 学ぶ。 |
ジュマ・モスク。 ここの図書館には世界最古のコーラン (7世紀のオスマンクラーン)が保管さ れている。 |
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クカルダシュ・マドラサ。 16世紀にタシケントを支配していた クカルダシュによて建設。 ソ連時代は倉庫として使用。 独立後修復され再び神学校に。 |
人民友好宮殿。 1981年に建てられたコンサートホール。 |
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アブドゥール・ハシム・マドラサ。 現在は民芸品の工房になっている。 |
チャルスー・バザール。 再訪問だったが、あいかわらず人が 多い。ここからホテルへは久しぶりに 地下鉄に乗車。 |
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