14日目 クライストチャーチ散策 |
震災の被害と復興を見る |
クライストチャーチは今回訪問する街の中でも一番、訪れたかった街だ。2011年2月に震災があり、日本人留学生も20数名なくなっている。 2011年2月はしっかり覚えている。どうしてかというと、東日本大震災の3週間ほど前だったから。NZで大地震があったと思っていたら、東日本大震災がおこったから。その関係で、時期まで覚えている震災だ。 クライストチャーチでの1日目は、震災の被害の跡と復興の現状を見ることを中心にした街歩きをする。 |
![]() ここは朝食込みの部屋代だった。 |
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![]() 崩壊前の大聖堂はとても大きかったことがわかる。修復工事はあまり進んでいないように思った。特に塔は手つかずだ。 下 震災直後の大聖堂。 |
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![]() 写真は、コンベンションセンター「タ・パエ」。 |
![]() このあたり、NZでも英国時代の建物が並ぶエリアだったという。おそらく、レンガを積み重ねただけの建物で、大地震で一瞬で崩れたのだろう。古い建物が失われたのは残念だが、耐震化された再開発された新しい街ができたのもいいことだと思った。 |
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![]() 左 劇場の再建現場。大聖堂の修復工事でも思ったが、ほぼ同時期に震災のあった東日本に比べて、復興が遅れているように思った。 |
![]() 1、2階の前面は昔の姿をそのまま生かし、背後は新しいビルに建て替えている。 |
![]() カラフルな建物が並ぶ商店街、歩行者天国で、路面電車が通る。(左下に線路が見えている。) |
![]() 震災前は車の通る道だったようだ。 |
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![]() ここの路面電車は、観光用で、単線の線路を反時計回りに回る。使いにくくて、料金も高めだったので乗らなかった。 |
![]() 英国時代の建物のように倒壊は免れたが、耐震工事をするにしても、壊して再開発をするにしても費用がかかるので、そのまま放置されているのだろうか。 |
![]() 日本大使館は首都ウェリントンにあるが、ほかに領事館がクライストチャーチとオークランドに設置されている。 |
![]() 屋根や内装の多くがダンボール製というのが特徴。2013年に建てられ、本来の大聖堂の修復が終わるまで使われる。 設計の建築家は板茂。阪神大震災のあと神戸・長田区の教会をダンボールで作ったということも、今回あわせて知った。今は正式な教会に建て替えられている。 |
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![]() 一見すると、ただの広場という感じ。 |
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昼食と午後の街歩き、夕食 |
![]() 1つの店で変な日本語発見。「いらっしゃいませ」ではないか。 |
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![]() 下 ビールスタンドのカウンターで、刺身とビールで昼食。 |
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![]() 第1次大戦時、兵士がこの橋を通って駅まで歩いて出征した。門は1923年に戦死者の慰霊のためにつくられたという。 オークランドの戦争記念博物館でも感じたが、NZでは、第1次大戦の方が第2次よりも犠牲者が多く、印象が強く残っているようだ。 |
![]() 下 震災の博物館「クエイク・シティ」へ。 |
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![]() 都心部にあった英国時代の建物は壊滅したが、近代的なビルは無事だった様子がわかる。日本人犠牲者の多く出たビルなどの例外はあるが。 |
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![]() 現代アート専門のいうでどうしようか思っていたが、4月28日まで無料というのにひかれて入館。 |
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![]() 元はカンタベリー大学の校舎だったところ。ミュージアム的な施設だと思って行ったのだが、コンサート会場やイベント広場、土産物屋などの集合施設で、ざっと歩いただけ。 |
![]() ぶらぶら歩き、疲れてきたので、この池のところでしばらく休憩。 |
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![]() 左 文字の先頭部分。 下左・下右 NZの歩行者用信号。1つは、見たことがないデザイン。もう1つは、日本と同じようなデザイン。 |
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![]() リバーサイドマーケットに行ったが、マーケットの外に「RAMEN RIA」なるラーメン店があり、ラーメンが食べたくなり、ここにした。 |
![]() 下 とんこつラーメン23$とビール10$で33$(約3000円)。値段のわりには、美味しくないラーメンだった。 |
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![]() 飲物を買って宿に戻った。 |
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