14日目   クライストチャーチ散策
震災の被害と復興を見る
  クライストチャーチは今回訪問する街の中でも一番、訪れたかった街だ。2011年2月に震災があり、日本人留学生も20数名なくなっている。

 2011年2月はしっかり覚えている。どうしてかというと、東日本大震災の3週間ほど前だったから。NZで大地震があったと思っていたら、東日本大震災がおこったから。その関係で、時期まで覚えている震災だ。

 クライストチャーチでの1日目は、震災の被害の跡と復興の現状を見ることを中心にした街歩きをする。
 
 朝食会場。

 ここは朝食込みの部屋代だった。
 ごく一般的なビュッフェ。
 
 デザート。
 9時、街歩きスタート。まずは、宿から2、3分のところの大聖堂の修復現場へ。完成は2027年の予定だという。
 
 (看板の写真を拝借)

 崩壊前の大聖堂はとても大きかったことがわかる。修復工事はあまり進んでいないように思った。特に塔は手つかずだ。

 下   震災直後の大聖堂。
 
 大聖堂の北側には、新しい施設がいくつか完成していた。

 写真は、コンベンションセンター「タ・パエ」。
 図書館「トゥーランガ」。

 このあたり、NZでも英国時代の建物が並ぶエリアだったという。おそらく、レンガを積み重ねただけの建物で、大地震で一瞬で崩れたのだろう。古い建物が失われたのは残念だが、耐震化された再開発された新しい街ができたのもいいことだと思った。
 
 上   被害の激しかった再開発エリアを回るレトロな路面電車が運行されるようになった。


 左   劇場の再建現場。大聖堂の修復工事でも思ったが、ほぼ同時期に震災のあった東日本に比べて、復興が遅れているように思った。
 「The Rress」という会社なので、新聞社かな。

 1、2階の前面は昔の姿をそのまま生かし、背後は新しいビルに建て替えている。
 ニューリージェント・ストリート。

 カラフルな建物が並ぶ商店街、歩行者天国で、路面電車が通る。(左下に線路が見えている。)

 
 (看板の写真を拝借)

 震災前は車の通る道だったようだ。
 再開発された建物に囲まれた広場に、アクリル板の屋根がとりつけられ、路面電車の出発地になっていた。
 
 広場の東側の建物は路面電車の車庫だった。

 ここの路面電車は、観光用で、単線の線路を反時計回りに回る。使いにくくて、料金も高めだったので乗らなかった。
 
 一見すると普通のビルなのだが、よく見ると入口が閉鎖されて、使われていない建物もある。

 英国時代の建物のように倒壊は免れたが、耐震工事をするにしても、壊して再開発をするにしても費用がかかるので、そのまま放置されているのだろうか。
 日本のクライストチャーチ領事館。新しいので震災後、建て替えられたのだろう。

 日本大使館は首都ウェリントンにあるが、ほかに領事館がクライストチャーチとオークランドに設置されている。
 
 仮設の大聖堂。

 屋根や内装の多くがダンボール製というのが特徴。2013年に建てられ、本来の大聖堂の修復が終わるまで使われる。

 設計の建築家は板茂。阪神大震災のあと神戸・長田区の教会をダンボールで作ったということも、今回あわせて知った。今は正式な教会に建て替えられている。
 
 屋根は、筒状のダンボールで骨組みが作られ、その上にアクリル板がかぶせてある。
 
 祭壇も筒状のダンボール作られていた。触ってみると、木と同じ程度の強度があるとわかった。サランラップの芯と同じような感じの筒だった。
 
 玄関上のステンドグラスを中から見る。とてもきれいだ。
 
 この教会の近くには。ビルの倒壊で日本人を含む多数の犠牲者が出たのだが、その慰霊のための碑が聖堂内にあり、折り鶴がかけられていた。
 
 仮設大聖堂から少し南へ行ったところに、日本人28人を含む118人の犠牲者が出たカンタベリーテレビのビルの跡地がある。

 一見すると、ただの広場という感じ。
 
 広場の一角に慰霊碑があり、慰霊を行った。
 
 広場や地震のことを説明する案内板。震災やここでの犠牲者のことを知ることができた。
 
 新設された被災者向けの住宅だろうか。
 
 こちらは完成間近のようだが、やはり復興スピードが遅いと感じだ。
 
 この一帯は工事中。ようやく再開発が始ったという感じ。
昼食と午後の街歩き、夕食
 昼食をリバーサイドマーケットでとろうと行ってみた。

 1つの店で変な日本語発見。「いらっしゃいませ」ではないか。
 
 マーケット内。
 
 まず、魚屋で刺身を仕入れる。
 
 ビールスタンドでビールを入れてもらう。

 下   ビールスタンドのカウンターで、刺身とビールで昼食。
 
 
 追憶の橋。

 第1次大戦時、兵士がこの橋を通って駅まで歩いて出征した。門は1923年に戦死者の慰霊のためにつくられたという。

 オークランドの戦争記念博物館でも感じたが、NZでは、第1次大戦の方が第2次よりも犠牲者が多く、印象が強く残っているようだ。
 
 橋を渡ったあと、エイボン川沿いに気持ちよく散歩。

 下   震災の博物館「クエイク・シティ」へ。
 
 
 大聖堂の塔の先端と鐘。
 
 震災時の写真。

 都心部にあった英国時代の建物は壊滅したが、近代的なビルは無事だった様子がわかる。日本人犠牲者の多く出たビルなどの例外はあるが。
 
 日本のレスキュー隊が倒壊したカンタベリーテレビビルで救助活動にあたる写真もあった。
 
 カンタベリー博物館は、2028年まで休館で、別の場所で規模を縮小して展示をしていた。
 
 展示物は少なく、興味もわかなかったのだが、その中で印象に残ったのは、日本の白瀬隊による南極探検の映画をやっていたこと。どういう意図なのかはっきりわからなかった。
 
 クライストチャーチ・アートギャラリー。

 現代アート専門のいうでどうしようか思っていたが、4月28日まで無料というのにひかれて入館。
 
 現代アートだけじゃなく。古代エジプトの壁画の模写などもあり、そこそこ楽しめた。
 
 アートセンター。

 元はカンタベリー大学の校舎だったところ。ミュージアム的な施設だと思って行ったのだが、コンサート会場やイベント広場、土産物屋などの集合施設で、ざっと歩いただけ。
 
 ハグレー公園。

 ぶらぶら歩き、疲れてきたので、この池のところでしばらく休憩。
 
 続いて、植物園もぶらぶら歩く。写真はローズガーデンにて。
 
 植物園から市街地に戻るとき、エイボン川に沿って歩いた。ボート遊びをする人が多かったが、パンディングという独特の小舟は見かけなかった。
 
 
 上   震災の慰霊碑。真中に文字が見えるが、死亡者名は彫られている。ビル倒壊による日本人の名もあった。

 左   文字の先頭部分。

 下左・下右   NZの歩行者用信号。1つは、見たことがないデザイン。もう1つは、日本と同じようなデザイン。
 
 
 
 17時に宿に戻る。8時間歩き、疲れたので、2時間ほど休憩。そして夕食に出かけた。

 リバーサイドマーケットに行ったが、マーケットの外に「RAMEN RIA」なるラーメン店があり、ラーメンが食べたくなり、ここにした。
 
 店内。

 下   とんこつラーメン23$とビール10$で33$(約3000円)。値段のわりには、美味しくないラーメンだった。
 
 
 ラーメンのあと口にアイスを食べて帰る。
 
 ハワイアンブルーアイス。

 飲物を買って宿に戻った。

 

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