特7 桂離宮と修学院離宮 |
桂 離 宮 |
桂離宮と修学院離宮をまとめて1日で訪問する。 桂離宮は10時、修学院離宮は14時に予約が入れてある。 阪急・桂駅には9時過ぎに到着。 写真は桂駅東口。ここから歩いて20分ほど。 |
桂離宮の手前に御霊(みたま)神社があったので立寄り。 祭神は橘逸勢(はやなり)で、嵯峨天皇、空海と並び称せられる達筆家で。この3人が日本三筆と呼ばれる。書家を祭神とするのは珍しい。 |
桂離宮の拝観入口である通用門に着いたが、受付開始にまだ少し早く、しばらく待った。 |
拝観許可のメールを見せて、入場。拝観券1000円を買って、今度は待合室でしばらく待つ。 桂離宮は、1615年から約50年かけて、八条宮智仁親王とその子の智忠親王が造営した離宮。火災などがなく造営当時のままほぼ現存している。八条宮は桂宮になり、現在は途絶えている。 10時になり、15人ほどのグループで出発。 |
御幸(みゆき)門。後水尾上皇を迎えるためにつくられた。 この写真を撮影している自分の背後に、離宮の正門がある。皇族などの来訪時だけ使われるようだ。 |
左左 御幸道。 小石が敷き詰められている。「霰零し(あられこぼし)」という。 左右 小石はただ置かれているのではなく、小石が外れないように固めてある。そして石の上部は削られて、凹凸がなく、現代の舗装に近い感覚で歩ける。 |
外腰掛。 このあと向かう松琴亭の待合所。座って説明を聞いた。 左端に砂雪隠がある、来客が使うことはなかったんだろうな。 |
外腰掛の真ん前にあるのが蘇鉄山。外腰掛に座って見た。 いろいろな樹木がある中でひときわ目立つのがソテツ。島津氏から献上されたものだという。なるほど。 |
直線で切られた大きな石、自然の小さな石がまぜて敷かれた歩道。もともと幾何学的で面白いが、雨が降ったあとは時に美しく見える。 |
手水鉢が、水の代わりに白砂が入っている。これも幾何学的模様なのが美しい。 |
池の真ん中を横切る道があるが、天橋立と呼ばれる。 |
松琴(しょうきん)亭。 茶室の1つ。 |
床の間やふすまにある青白の市松模様がとても斬新。模様の周囲だけ見れば、現代建築であるかのような感じだ。江戸時代の初期の建築とは思えない。 |
キリシタン灯籠。 離宮内に7つあるというキリシタン灯籠の1つらしいが、説明をよく聴いていなかったし、ネット情報もあまりなく、由来など詳しくは不明。灯籠によっては、マリア像や英文字が彫られているらしい。 |
小高くなった丘に上ると賞花亭がある。 離宮内で一番高いところにある茶室。 |
園林堂。 寺院であったが、いまは何も安置されていない。桂離宮の中で唯一の瓦葺。 |
笑意軒。 茶室だが、窓の向こう側が額の中の絵のように見せていることがわかる。窓の下の部分を見ると、白いところがひし形のデザインで現代的な感じだ。 |
笑意軒の額の「笑」の字は笑っているような字体で面白い。額の下の丸い明り取りも珍しい。 下左 襖の引手が矢のような形をしている。こんなのは初めて。 下右 雨のあとなので、敷石の色の違いが鮮明で、赤っぽいのがとてもきれい。 |
左は新御殿、右が中書院、さらに写真の右には古書院が手前に飛び出した階段形で続いている。この一連の建物は非公開。 |
上左 月波楼。池越しに月を見られる茶室。額には「秋月」とある。 上右 襖の模様。これが江戸時代の初期のものだとは思えない現代風の模様だ。 左 天井は舟形になっている。額は船を描いたもので、もとは先ほど立寄った御霊神社にあったらしいが、黒ずんで良く見えない。 |
住吉の松。岬の先端にあり、この先は池なのだが、両側の生垣とともに池を見えなくしているので、衝立の松とも言われる。ここからは景色がイマイチなので見せないのかな。 |
桂離宮の見学は1時間20分ほどで、11時20分に離宮を出た。 桂駅から阪急で京都河原町駅へ。かつての「河原町」駅に比べると初めての人にはわかりやすいだろうな。 |
京都河原町駅から京阪の祇園四条駅まで、いったん地上に出て四条大橋を渡る。 かつての「四条」駅よりはわかりやすいだろうな。このあと、出町柳で叡山電車に乗り換え、修学院離宮最寄の修学院駅に向かう。 |
修 学 院 離 宮 |
上左 叡山電車、修学院駅で下車。この近辺で昼食をとっていく。 向かったのは「ラーメン魁力屋」本店。全国的になったラーメンチェーンだがその本店。 上右 店内。 左 「特製醤油全部のせラーメン」。 焼き豚は通常の倍、煮卵、写真ではわかりいくいが丼の上に飛び出して海苔。味はあっさりした醤油味。ネギは自由に入れられるので盛ってみた。これで880円は安いと思う。 |
修学院離宮の通用門に到着。まだ入場できないようで、しばらくこの前で待った。 |
参観許可のメールを見せて入場。修学院離宮は訪問時点では無料だった。 桂離宮に比べるとずいぶん簡素な待合所でしばらく座って待つ。 14時になり20人ほどのグループで出発。 |
修学院離宮は、1653年から59年にかけて、後水尾上皇が造らせた離宮。傾斜地に、下離宮、中離宮、上離宮がある。 写真は下離宮に入る御幸門。 |
下離宮は低い場所にあるが、その中にも高くなったところに壽月観がある。 |
壽月観の「一の間」。3畳分、高くなったところが天皇、上皇の御座所。 |
下離宮は小さく、すぐに出て、中離宮に向かう。 修学院離宮全体としては広大な敷地だが、その中に下、中、上離宮があって、それ以外の敷地は田畑になっている。田畑は宮内庁が農家に耕作を委託している。収穫が目的ではなく、景観の維持のためだという。 |
中離宮へは500mほど歩く。 松並木の道は明治天皇の行幸のさいに整備されたもの。 |
中離宮の表門を通って楽只軒へ。右に少しだけ見えているのは客殿。 屋根は工事中で、上部が瓦があるが、下部はまだ瓦がとりつけられていない。 |
続いて客殿。 桂離宮で見た市松模様を思い出した。こちらは茶色と白の市松模様。 棚は霞棚といい、桂離宮の桂棚、醍醐三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚という。桂離宮では見忘れたって、思ったが、帰宅後、調べると非公開の新御殿にあり、見ていなかったのだ。 |
鯉の描かれた襖。網が描かれているのが特徴で、網の破れているところまで表現されている。鯉の作者は不明だが、網は円山応挙らしい。 |
中離宮から上離宮に向かう。農村風景は広がるが、この畑も農家に耕作を委託しているもの。 このあと、松並木の中の道を歩き上離宮へ。松並木は緩い傾斜のある道で、500mほど歩いた。 |
御成門から上離宮に入ると、まもなく京都市街がよく見えた。 市街の左の方に見える緑の部分が下鴨神社の南の糺(ただす)の森。 |
隣雲亭。ここに座って京都市街を見た。 |
座っているところの足元。いろいろな色の小石がちりばめられている。 |
千歳橋。 |
窮邃亭(きゅうすいてい)。 |
落ち着いた雰囲気の室内。 |
浴龍池。その向こうには眼下に京都市街が見える。 |
傾斜地の棚田の向こうに上がってきた松並木が見える。 見学は終わり。松並木を歩いて入口へ戻った。 日本に残る2つの離宮を同じ日に見て、建築や庭園の美しさでは桂に軍配があがるが、自然との調和という点では修学院が優れていたと思った。 |
修学院離宮のすぐ北側の赤山禅院へ。 延暦寺の別院の1つである。千日回峰の修行のさいには、100日間毎日、赤山禅院へ下りるのだという。 |
福禄寿殿。都七福神めぐりの1つである。 |
曼殊院。 創建は最澄の時代にさかのぼるが、桂離宮の造営にあたった八条宮智仁親王の第2皇子の良尚法親王が入山し、そのころ今の形になったという。 |
拝観の最後に庭園を見た。 |
駅に戻る途中、鷺森神社に立寄り参拝。 |
修学院駅から叡山電車で出町柳駅に出て帰宅。 ラッキーなことに、やってきた電車が展望電車の「きらら」だった。 |
片側は窓を向いて座れるようになっている。窓向きの席が開いていて、出町柳まで乗車。 |
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