特12 醍 醐 寺 |
上 醍 醐 |
![]() 下左 醍醐寺へは歩いて行くつもりだったが、コミュニティバスを利用できるようで、乗車。 下右 すぐにバスがやってきて、10分で醍醐寺に到着。醍醐駅〜醍醐寺の臨時バスは10分ごとと本数が多い。 |
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![]() 門を入ると左に三宝院があるが、午後回し。まっすぐ進む。仁王門につき当たり、門を入ると五重塔などがあるが、これも午後回し。 |
![]() 有料区域の外側を歩いて、上醍醐の登山口に向かう。途中、満開の桜を見る。 |
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![]() この右手に上醍醐の参拝券売場があり、600円払う。 |
![]() 愛宕山と同程度の道だが、愛宕山の半分くらいの距離。愛宕山はロープウェイ跡や茶店跡などがあって楽しめたが、そういったものがなく単調。 下左 最上部を20丁として、途中に何丁という碑がたっていて、どのくらい歩いたがわかる。 下右 日があまりささず、うす暗いのだが、街灯がたてられている。 |
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![]() 最初に現れる建物が清龍宮拝殿。 |
![]() 左の提灯の右下に醍醐水という地下水がでてくる蛇口がある。少し飲んでみた。 |
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![]() 途中、上がるときには見逃していた「豊太閤花見跡」を発見。山道を上ったところで花見をしていたことにびっくり。いまは桜の木は見当たらないが、かつては桜の木があったのだろうか。 |
醍 醐 寺 |
![]() 入場券を買ってすぐに霊宝館エリアに入場。すでに昼をすぎていて、霊宝館エリアの有料区域にあるフレンチカフェで昼食をとるためだ。写真右下の看板がカフェの看板。 |
![]() 名前を書いて待つのだが、どのくらい待たねばならないか聞いてみたら、30分ぐらいとのこと。 それで、先に霊宝館を見学。20分くらいで見られるだろうし、ちょうどいい。 |
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![]() 左 入口左側の木が特に美しい。 館内は撮影禁止。20分でじゅうぶん見学できた。展示品の数が少ないのだが、説明を読んだり、細かいところまで見たりして楽しむことができた。 |
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![]() 青白赤のフランス国旗の色の重箱に入れて運ばれてきたのでびっくり。面白い演出だ。 下左 ドリンクは赤ワインにした。 下右 ス−プは茶碗に入れて運ばれてきた。 |
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![]() 赤がチーズケーキ、白がミニ大福、青がショコラのケーキ。 ゆっくりいただけたのだが、寺の見学時間が少なくなり、このあと駆け足見学になった。 |
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![]() 951年の建造で、京都の木造建築物では一番古い。地震に耐え、火災にあわず、今までよくもちこたえてきたと思う。国宝。 |
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![]() 醍醐寺の本尊はここに置かれ、本堂である。国宝。 |
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![]() 2008(平成20)年、西国札所である上醍醐の准胝観音堂が焼失すると、ここに札所が移され、観音堂となった。 |
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![]() 両側に菊、中2つに桐の紋章。桐は今も菊とならんで国章として扱われているが、多様されたのは秀吉時代ではないかな。門の内側にも同じ紋章がある。近年、修復されたので、とても美しい。 |
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![]() 右側の部分が国宝の表書院だが、外から見ても特徴などはわからない。 |
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![]() コミュニティバスとはいえ、30分間隔で運転され便利だ。14時44分発のバスに乗車。これに乗らないと、後の予定がうまくいかないので、三宝院の特別拝観はパスしたのだ。 |
随心院、名神高速着工開始地点、勧修寺 |
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![]() 上右 5分ほどで随心院に到着。 左 入口の横には小野小町の歌碑がある。 小野小町は晩年をこの寺で過ごした。生没年などは不明。 |
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![]() 下 小野小町の一生を描いた襖絵。最近のもの。 表書院、奥書院の歴史的な襖絵は撮影禁止。 |
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![]() この付近に小野小町の屋敷があり、彼女が顔を洗ったりするのに使ったとされる井戸。 |
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![]() そこに「名神起工の地」の看板がある。日本の高速道路の建設工事はここから始まったのだ。 上右 5mほど離れて「旧東海道線 山科駅跡」の碑がある。この碑の真上を名神高速が通っていて、駅の痕跡はまったくない。 左 大きな案内板があり、この場所が名神起工の地で同時に旧山科駅跡であることを説明している。 |
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![]() もともと旧東海道線の用地のほとんどが名神高速として再利用されたのだ。 左 名神高速は旧山科駅があったこの工区から起工された。日本の高速道路の建設開始第1号だ。景色が写真に写りこんでしまった。 歴史的なことをまとめておく。 1880(明治13)・・・旧東海道線開通 1889(明治22)・・・東海道線全通 1914(大正3)・・・新トンネル建設開始 1922(大正10)・・・新線に切り替え 1958(昭和33)・・・名神高速起工 1964(昭和39)・・・名神高速開通 |
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![]() 宸殿は皇族が住職をつとめたことがある格式の高い門跡寺院にだけある建物。勧修寺でも一番大きな建物で、どことなく御所の紫宸殿に似ている。 宸殿がある寺は、ほかの門跡寺院でも見ているが、勧修寺がまわりに木がなく、一番見やすい。 |
![]() 由緒ある建物なのだが、明治時代の一時期は小学校としても使われたという。 |
![]() 水戸光圀の寄進によるもので、この形の灯籠を勧修寺灯籠というようだ。 |
![]() 昭和6年に再建されたもので新しい。この周辺に桜が多く、満開になっていた。 |
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![]() 小野は、小野小町のほか小野妹子で有名な小野氏の地盤地であることからついた地名、駅名だ。 |
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