6 飛 鳥 |
キトラ古墳 |
朝、急に思いついて飛鳥を散策することにした。 ネットでハイキングのコースマップを探し、印刷し。近鉄の時刻表を検索して出発。 近鉄は橿原神宮前から吉野線で3駅移動し、壺阪山で下車。近鉄もローカル線の無人化が進んでいて、この駅も窓口に板が打ちつけられ、無人になっていた。 |
まずは、キトラ古墳をめざして歩く。駅から1、5qほど。 飛鳥を歩くのは約40年ぶり。今回歩くのはほとんどが以前行ったとkろだ。でも、初めてのところが1ヶ所ある。 それがキトラ古墳だ。40年前、キトラ古墳が発見されて大きなニュースになっていたが、一般人が見学できる施設はまだなかった。だから今回が初めての訪問だ。 |
キトラ古墳に到着。思っていたよりも小さな古墳だ。 この古墳の石室に彩色壁画があるのだが、現在では壁からはぎとられ、古墳の下の方にある保存施設で保管されている。 下 保存施設にやってきた。 |
施設の前の看板を見てびっくり。 保存されている壁画が、公開中だという。見学には予約が必要なのだが、予約のことはおろか、公開中だということすら知らなかった。 よく読むと、予約に空きがあるなら当日申込もできるということ。それで、当日申込で見学しようと思い立った。もし予約で満員であっても、見学施設だけ見学しよう。 下 見学施設の入口。9時30分に開くのでそれまで待った。 |
9時30分になり入場し、すぐに当日受付へ。 当日受付で最初に入場できのは11時だということ。11時でも、入れるのはありがたい。 |
11時までの間に、まずは展示施設へ。石室のレプリカがあったので入ってみた。壁画も描かれている。 写真の下の白い部分は、古墳本体では下の壁になっているが、レプリカでは客が動きやすいよに立って歩けるようししてある。 今回の公開は、この写真で左側になる西面「白虎」の壁画だ。ほかの面も、定期的に公開されているようだ。 |
展示を見たあと、ビデオを見てすごす。 |
この札をつけ、10時55分に集合。 |
壁画の保存されている部屋は階段をあがったところ。10分間の見学。 |
保存室内は撮影不可なので、この写真は先に入ったレプリカで撮影したもの。 |
高松塚古墳のあと赤米昼食 |
キトラのあとは、文武天皇陵に立寄り、高松塚古墳に向かう。 1.5kmほどで、前半は、国営飛鳥歴史公園内の散策路を歩いた。 国営飛鳥歴史公園は、キトラ、高松塚、石舞台、甘樫丘、祝戸の5地区からなり、飛鳥の主な観光エリアが国の管轄だとわかる。 2016年にできたもので、同じ年にキトラの展示施設「四神の館」もオープンした。四神の館のあと、公園内を歩いて、高松塚方面へ向かった。 |
文武天皇陵。 天皇陵とされて発掘が行なわれていないためなのが、森にしか見えない。高松塚古墳の北にある中尾山古墳が真の文武天皇陵という説が有力だ。 |
いちご栽培のビニルハウスなどの間を抜けて歩く。この道の先端を右折すると、高松塚古墳があらわれる。 |
高松塚古墳。上に上り、周囲を一周した。 かつて訪問したときには壁画の保護のため空調をつけていたのだが、その後、カビが発生したため、壁画ははぎとられ、修復施設に移設された。修復施設の公開もあるようだが、この日の前日に公開が終ったうえ、当日受付はないようだ。 |
古墳の下にある壁画館へ。現状模写と破損した部分を修復した模写の2種類が展示してあった。写真は現状模写の有名な女子群像の部分。 また、石室のレプリカもあった。この施設は、40年前の訪問時にすでにあって、入館している。 |
上 高松塚壁画館、石舞台古墳、亀形石造物の共通券を購入。 左 壁画館のあと中尾山古墳に向かうつもりだったが、道を間違えた。 国営飛鳥歴史公園館の近くに下りてしまい、再び丘を上がるのが面倒になり中尾山古墳は省略。 この歴史公園館は無料だが、たいしたことなかった。 |
鬼の雪隠。 |
鬼の俎板。 鬼の雪隠は古墳の石室の上部の石の一部、鬼の俎板は石室の下の石で、もともとは一体だったたらしい。石室は欽明天皇陵の石室といわれていて、どちらも宮内庁が管理している。 |
天武持統天皇陵。 天武天皇とその皇后で皇位を継承した持統天皇の合葬陵。八角形の陵だが、樹木で覆われ見た目にはわからない。 |
亀石。 謎の石。亀に似ているのかもよくわからなかった。 |
上左 「聖徳太子御誕生所」という碑があり、行ってみることに。 上右 田んぼのなかにある橘寺だった。火災などで伽藍は変わっているが、ここで聖徳太子が出生とは古い寺だ。 左 二面石。1つの石の左右に善人、悪人の顔が彫られている。1人が善人でもあるし悪人でもあるってことかな。 |
明日香川を渡る。飛鳥時代もここを流れていたんだろうな。なお村名や川は「明日香」が使われている。 |
交番も周囲の民家に溶け込むように配慮されている。 |
すでに14時でお腹も減っている。明日香夢の旬彩館の中にある「ポカフレール」で昼食。 |
プレ―トランチが4種類あり、右上の部分のおかずを選べる。ハンバーグにした。 左上は赤米、下左は紫キャベツの冷いスープ。右下は茹で野菜。ポテトサラダに見えるのはおからサラダ。 40年前にきたとき、古代の赤米の栽培に成功して、食堂で出されるようになり、その食堂を探して昼食を食べた記憶がある。いまは赤米がこの地では一般化したのかな。 |
セットのアイスコーヒー。 |
店内。 壁に地元の写真が掲示されていて、その中に棚田があった。行きたくなって、予定にはなかったし、以前の訪問時にも行かなかったが行くことにした。 |
石舞台古墳、岡寺、飛鳥宮跡、甘樫丘など |
石舞台古墳へ。 巨大な石があるが、これは古墳の石室の蓋。ここは古墳の墳丘がなくなり、石室が露出し、石室内にも立ち入れる。 墳丘がないのは自然になくなったのか、整地のため、あるいは蘇我氏を罰するために壊されたのかとか、いろいろ考えられる。 |
巨大な石室には歩いて入れる。被葬者は蘇我馬子といわれている。 下 周囲には濠があるが、昭和8年の調査で濠の存在や墓の形がわかり、濠の位置にあった道路の経路も変更されたという。 写真は濠の外側から撮影。石室の入口も写っている。 |
このあと棚田を見るために、石舞台から南へ向かう。 途中、都塚古墳に立寄り。石室はのぞくことができ、石棺もあった。石舞台よりは小さいが、石室に歩いて入れる大きさ。 |
マラ石。男性器を形どったといわれるが、詳細は不明の謎の石。 下 棚田。飛鳥で棚田が見られるとは知らなかった。日本の棚田百選に入るという。 |
棚田から石舞台に戻るのに1.5km、石舞台から岡寺へ1km。しかも岡寺の手前は急坂を上がらねばならない。 岡寺は初めて。日本最初の厄除け寺だという。創建は飛鳥時代。 |
上 奥の院へ向かう階段やその横の川にはあじさいがきれいに置かれていた。 左 奥の院の石窟寺院。 |
三重宝塔。 寺に来る途中、下から見ると、はるかに高い位置に塔が見え、あそこまで上がるのかと思ったが、何とか上がれた。ここからの展望は、木が邪魔をしてよくなかった。 すでに16時を回っていた。入場の時間制限がありそうな施設の訪問を急ぐ。 |
亀形石造物。丸い鉢の部分が亀の形になっている。 下 亀の部分を拡大したが、うまく撮影できていなかった。 全体として何なのかよくわからなかった。共通券の3ヶ所を制覇できた。 |
亀形石造物のすぐ北側にあるのが奈良県立万葉文化館。歴史全般の展示。やや子供向けの感じもする。17時を回り、閉館かと思っていたら、17時15分まで入れ、30分閉館だった。 いまいちだったが、建設中に発見された飛鳥池工房遺跡が館内の通路から眺められた。 |
亀形石造物の南側の丘に上がり、酒船石を見る。 これも謎の大石。 |
飛鳥宮跡。 645年、蘇我入鹿が中大兄皇子、藤原鎌足に殺され、大化の改新がはじまったのがここ。歴史的大事件がおこったこの地も静かに田んぼに囲まれている。 40年前の訪問時には、伝飛鳥板蓋宮跡と呼ばれ、皇極天皇時の宮とされていた。 その後、天武持統天皇時の飛鳥浄御原宮など複数の宮が同じ場所にあったということで、平成28年と最近だが、飛鳥宮跡に名称が変わった。 40年前には、別の場所にあった伝飛鳥浄御原宮跡にも行ったが、今はどうなっているか気になる。 |
飛鳥寺。蘇我馬子の発願で建てられたが、現在の建物は幕末のもの。 日本最古とされながら、補修されているためか国宝にはなれないという仏像がある。 行ったときには17時15分を回り、すでに参観が打ち切られ、扉は閉ざされていた。40年前には参観しているはずだが、仏像のことは忘れた。 |
景色に溶け込むように置かれている茶色のポスト。 |
蘇我入鹿の首塚。入鹿の供養のためのものだが、現在のものは鎌倉時代のものだという。 首塚の向う、田んぼの先に見える丘が甘樫丘。 下 甘樫丘の麓まで行き、階段を上って、展望台へ。 |
甘樫丘を下りて、少し離れたバス停へ。このとき18時3分。 時刻表を見る。橿原神宮前駅行きバスが何と18時0分に行ってしまっていた。仕方ないので30分歩き駅に向かうことにした。 このとき、バスがやってきた。遅れていたのだ。ラッキーと思い、乗車。 |
最後の2kmはバスになったが、壺阪山駅からキトラ、高松塚、石舞台、棚田、岡寺を経て甘樫丘まで約15q歩いた。 壺阪山駅から歩き始めたのが8時40分。橿原神宮前駅に着いたのが18時10分。9時間30分歩き回った飛鳥散策も終了。 |
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