7 桜 井 、橿 原 |
談山神社 |
![]() まず、八木から桜井に向かう。今や、大阪線で数少なくなった「快速急行」で松阪行きという長距離列車。しかも10両とは珍しい。 |
![]() どんな団体が乗るんだって思い、先頭部へ。 なんと1両目は鮮魚電車だった。かつては行商人用の専用列車だったが、行商人が減り、専用列車はなくなり、一般列車に鮮魚電車が併結されているとは聞いていた。 でも、まさか、その鮮魚専用電車が見られるとは思ってもみなかった。 |
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![]() 左 内部は一般のロングシート車で、鮮魚を入れるためのトレイがあちこちに設置されている。 ドアは開くが、一般人が乗車できないようにテープが張られていた。 |
![]() 桜井発8時7分の上本町行き快速急行が鮮魚電車をつないでいるようだ。 この電車は、6時44分松阪発、7時37分名張着の急行が、名張発7時43分、上本町着8時45分の快速急行にかわるものだ。折返し、上本町発8時54分、松阪着10時50分の快速急行で戻るようだ。この戻りの列車の一部区間に乗車できたようだ。 |
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![]() 行きは、名張で急行から快速急行になるが、そのときにロング4両が増結されるのだろう。 クロスシートに座るが5分で桜井着。 |
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![]() 自分以外には、地元客の利用が3人ほどあったが、観光客はなし。談山神社で見かけた観光客自体、数人だった。 |
![]() 1つ前の多武峰(とうのみね)から登山道を歩くルートもあったが、バス道でさえかなりの傾斜があり、1kmほどあったので、歩くのは大変そうだ。でも、積雪時はバスが多武峰までになり、歩くしかないようだ。 |
![]() この日、回るのは全部初めての訪問だ。なかでも、談山神社はずっと気になっていた。 中臣(藤原)鎌足と中大兄皇子(のち天智天皇)がここで密談し、大化の改新の相談をしたという言われは知っていたからだ。 |
![]() 神廟拝所(旧妙楽寺講堂)へ。大化の改新のあとまもなく、妙楽寺として創建された。 明治の廃仏毀釈で寺から神社になり、仏像は安部文殊院へ移された。そのため藤原鎌足の肖像画を拝む。 |
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![]() 廃仏毀釈のとき、この仏像だけは地下に隠されたので、この神社に残った。この仏像を参拝すると、足腰の病によいという。 |
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安倍文殊院 |
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![]() 上右 安倍文殊院の入口に到着。 左 本堂。本堂と浮御堂が、別個に拝観券が必要。 |
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![]() 本尊の国宝、渡海文殊群像。とても変わっていてびっくり。 本堂とつながる釈迦堂には、妙楽寺(廃仏毀釈で談山神社になる)から移された釈迦三尊像もあった。 |
![]() 下 お札を渡される。堂の前で願い事を唱えて時計回りに一周し、お札を1枚、お札入れに入れる。そのあと、同じことを7周目までくりかえす。 |
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![]() 安倍仲麻呂、安倍晴明の像が安置されているのだが、驚いたのは、その右側に、安倍晋三元総理、父の安倍晋太郎、安倍家先祖代々の位牌が置かれていたこと。政治家の安倍一族も、安倍仲麻呂以後の安倍家と関係があるのだろう。 |
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![]() 埋葬者は、安倍文殊院の創始者、安倍倉梯麻呂らしい。われる。倉梯麻呂は当地とは別のところに645年に安倍寺を創始し、鎌倉時代に現在地に移ったとのこと。 |
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![]() このほか、東古墳なども見学。 下左 安倍文殊院バス停。 下右 コミュニティバス(運行は奈良交通)で桜井駅に向かった。 |
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![]() 八木駅はよく乗換はするのだが、外に出ることはめったにない。外に出て気づいたのは、「大和八木駅」の大きな表示はなく(小さいのはあったのだが)、かわりに「近鉄八木駅名店街」という大きな表示があったこと。 |
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![]() 上右 店内。 左 暑いので、冷麺にした。汁がほんのわずかで、マレーシアでは、ドライと言われることもある麺だった。麺と汁と具はよく混ぜてから出された。日本でお目にかかったのは初めてで、美味しかった。 |
藤原宮跡、橿原考古学博物館、神武天皇陵、橿原神宮 |
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![]() 資料室はJA施設の2階に間借りで。たいしたことなかった。目的は資料室じゃなく、藤原京跡なので、資料室は1分で退出し、藤原京跡に向かった。 |
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![]() ここは太極殿の院南門だったところという。 |
![]() 自分以外に訪れる人はなく、広大な土地を独り占めできたのはよかった。 |
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![]() 陶棺は、岡山で多く出土し、畿内は余り多くない。円筒型の足がついているのが特徴。 |
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![]() 参拝後、車道に出る短絡ルートを歩いた。途中、畝傍陵墓監区事務所があった。奈良県などいくつかの県の天皇陵はここが管轄している。 車道に出て橿原神宮に向かった。車はたくさん通るものの森の中の道でいい雰囲気だ。 |
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