8  山の辺の道
大神(おおみわ)神社へ
 先日、飛鳥を歩いたのだが、その関係で山の辺の道も歩きたくなった。全長15kmだが、起点まで行くのに2km近くあり、見学箇所へ行くのにルートを外れたりすると全長20kmほどになりそうだ。そのため、今回は南半分10kmを歩くことにした。

 近鉄JR共同の桜井駅を8時40分スタート。
 1.7km歩いて、仏教伝来地の碑に到着。ここが山の辺の道の南の起点だ。
 
 碑の付近の大和川。この地が倭国の中心地であった時代、物資はこの付近まで船で運ばれてきた。仏教の経典もここの港で陸揚げされたということから、この地が仏教伝来地とされている。

 下   小さな観音堂や道端の石仏を見たあと、今回楽しみにしていた「喜多美術館」へ。個人のコレクションを公開しているのだろう。

 でも、5月22日から6月8日は休館だと。
 
 
 
 
 
 上   崇神天皇時代の宮跡。伝承だけなのか、実在したのかのか不明。

 左   平等寺。創建は聖徳太子のころ。関が原のあと、島津義弘がここに逃げのび、しばらく滞在したという。
 
 
 上   大神(おおみわ)神社を参拝。

 左   なでうさぎ。

 このうさぎをなでるとご利益があるという。特に手足の痛みをとってくれという。
 
 狭井(さい)神社。大神神社の境内にある摂社の1つ。

 三輪山は大神神社のご神体で、三輪山に上る場合はここで許可を得て上る。
 
 三輪山への登山口。

 この門の中は、撮影禁止。頂上も展望がきかない、荷物もロッカーに入れておかないといけないということで、登山はしなかった。もし行けは、往復で2時間ほど要する。
 
 万病にきくとされる薬水をいただく。「狭井」の語源でもある井戸。

 ボタンを押すと水が出る。紙コップは使えるようになっている。
 
 三島由紀夫の筆を彫った碑。三島が大神神社を訪問して、三輪山に上ったり、神事に参加したりしたのが、割腹する4年前。ここで取材したことか遺作「豊饒の海」に生かされている。
三輪そうめん
 まだ昼前だったが、三輪そうめんの昼食。何店か候補を決めていたが、流しそうめんが食べられる「三輪そうめん流し 乾製麺所」へ。
 
 店内。各テーブルには水槽が設置されている。

 そうめん流しと釜めし、天ぷらのセットにした。
 
 そうめんの吸物、製麺のときにでたかすの部分、豆腐。
 
 そうめんがやってきた。水槽は回転し、そうめんを入れる。
 
 そうめん流し中。すいくいあげるのが面白い。こしのあるそうめんで美味しい。
 
 天ぷら。
 
 そうめんの天ぷらは初めて。
 
 釜めし。あさりか鶏かといことであさりにしてもらった。

 これで1580円。足らなければそうめん1束160円で追加できるが、じゅうぶんに満腹。
三輪から柳本へ
 三輪の少し北にて。街道の両側には古い民家が並び、道路の両端には水路があり、水が流れている。
 
 箸墓古墳。卑弥呼の墓という説もある前方後円墳。巨大すぎて横を歩いていてもただの丘という感じ。

 下   古墳の北側の池越しに見ると、なんとなく前方後円墳らしい感じがする。
 
 
 このあと景行天皇陵、崇神天皇陵を見学したが、あまりに巨大で、前方後円墳ということもわからなかった。

 柳本駅近くの黒塚古墳へ。池を挟んで、左が前方、右が後円だとわかる。ここは皇室には関係ない古墳のようで、自由に入れる。、
 
 内部は公園になっていた。後円部の頂上は削られて、平坦にしてあり、石室が見えるようにしてあった。

 石室は盗掘されていない状態で見つかったとのこと。
 
 航空写真も置かれていて、前方後円墳であるとわかる。
 
 近くにある黒塚古墳展示館へ。石室は盗掘はされていないが、崩れ落ちた状態で発見されたとのこと。復元した模型や発掘品が展示してあった。
 
 JR柳本駅に到着。山の辺の道の南部は歩き終えたのだが、まだ15時前だったので、天理で途中下車して、天理参考館を見学することにした。

 下   天理で下車。天理教関係の施設が入居する巨大な建物があり、その一部が参考館になっている。
 
 
 参考館は世界の生活文化の展示をメインにしていた。写真はパプアニューギニアのもの。

 下   特別展として近鉄電車展をしていた。参考館を訪問しようと思ったのは、この展示があったため。あと5日間だけだったので見ておきたかった。
 
 
 上  天理教教会本部。外観だけ見た。

 左  教会本部から駅まで1kmほど商店街になっている。門前町的なものだ。

 下  天理駅。左がJR、右が近鉄。山の辺の道は北半分も歩きたいので、そのときは天理にまたやってくることになる。
 



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