5 馬見丘陵公園、法隆寺 |
馬見丘陵公園 |
![]() スタートは近鉄、五位堂駅。どことなく、歴史的な感じの駅名だ。 |
![]() 馬見丘陵公園は、住宅地として開発された中、丘陵の一部が開発されずに残され、都市型の公園になったという感じだ。 |
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![]() ナガレ山古墳だけは木が伐採され、元の古墳の姿を露出させ、埴輪も並べている。前方後円墳でわことがわかる。 左 後円部から前方部を見る。後円部のほうか高くなっている。 |
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法隆寺と斑鳩散策 |
![]() バスの待ち時間は25分で、王寺駅で昼食にするには微妙な時間なので、昼食は法隆寺の門前でとることにした。 |
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![]() 法隆寺は4回目の訪問。初訪問は小学生の遠足で当時はまだ世界遺産ではなかった。 |
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![]() 下 有料エリア内の金堂と五重塔。 金堂。飛鳥時代の建築だが、創建年は不明で、7世紀と思われる。1949年の火災で壁画の大半が失われた。 五重塔。607年に創建された塔は670年の落雷で全焼。現在の塔も、鎌倉時代に落雷で火災にあうが、消火されたという。 |
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![]() さまざまな宝物が保管されている。とくに飛鳥時代の玉虫厨子や百済観音像が見られたのはよかった。 |
![]() 本尊の救世観音像は長らく開帳されなかったが、明治になって見られるようになった。 |
![]() 創建は7世紀といわれるが、現在地より500mほど東にあり、あとで寺の跡を訪問する。 戦国時代に炎上し、法隆寺の一角である現在地に移転した。1968年に改築されたので、現代風の感じがする本堂である。正面からの撮影は不可で、斜めから撮った。、 |
![]() 10世紀の創建と古く、明治の廃仏毀釈のさい、法隆寺境内にあった神社がここに移されたという。 |
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![]() 山背大兄王は法輪寺、法起寺を創建したと伝えられるが、643年に蘇我入鹿に攻められ、滅亡。この2年後に大化の改新があり、蘇我氏が滅亡。 |
![]() HPを見ていて、気づいたことがある。1つは、1995(平成5)年に日本最初の世界遺産の1つとして、法隆寺とともに法起寺も登録されていたこと。今回ま全く知らなかった。 もう1つは、法起寺のHPは法隆寺のHPの1つのコンテンツとして扱われていたこと。法隆寺の一部みたいなのだろう。 |
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![]() 左 中心部に金堂の跡地が高くされ、柱の位置に石が設置されていた。ここが整備されたのは2018(平成30)年とかなり最近だ。 |
![]() この日は、馬見丘陵公園と斑鳩を合わせて10qほど、猛暑の中を歩いた。 近鉄筒井駅から帰宅。 |
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