4 山の辺の道北部、環濠集落 |
山の辺の道北部 |
1ヶ月半前に、山の辺の道の南部を歩いた。この日は北部を歩き、そのあと郡山近郊の環濠集落を見て歩く。 スタートはJR長柄駅。無人駅だ。 |
最初に向かうのは大和(おおやまと)神社。 南へ100mと書いてあるが、実際は400mほどある。 |
拝殿。この奥に本殿があり、拝殿より参拝。 この神社は、戦艦大和の守護神になっていた。堂本印象作の大和神社の絵画が艦長室にかけられていた。 戦艦大和は特攻に出撃するが、その際、大和神社の絵画は江田島の司令部で保管された。 戦後、江田島は米軍の管理下に入るが、その前に宮島などに移された。米軍の管理が終わったあと、江田島に戻された。この絵画は、堂本印象美術館に行ったさい、たまたま特別に展示されていて、見ることができた。 |
祖霊社。ここには、ほかの神々とともに戦艦大和の乗組員が祀られている。 下左 戦艦大和展示室の内部。 下右 戦艦大和ゆかりの神社の碑。 大和神社の境内にも星塚古墳という古墳があった。 |
萱生(かよう)環濠集落。 環濠の一部が、魚の養殖池になっていた。 |
集落内には蔵をもつ古い民家もみられる。 |
西山塚古墳。 前方後円墳の前方部分。木が伐採されていて、前方部が階段状になっていることがわかる。 殆どの古墳は木に覆われていて、形がよくわからないが、例外的によくわかる事例だ。 |
この付近は古墳がとても多いエリアだ。 |
竹之内環濠集落へ。ごく一部だが環濠が残っていた。 |
竹之内環濠集落の内部。 |
夜都岐(よとぎ)神社。 屋根が茅葺だ。 |
綿を栽培している農家があり、自由に見学できた、 |
開花していた和綿。 下 夏なのに柿をつるしているのかと思ったが、近くに寄ってみると玉ねぎをつるしていたのだった。 |
内山永久寺跡。西の日光とも言われた大寺院だったが、明治の廃仏毀釈のときに完全に破壊されて、今はその様子を知ることはできない。 下 内山永久寺の絵図が掲示されていた。 |
桜井・天理間の山の辺の道の終点、石上(いそのかみ)神宮。 もとは物部氏の氏寺だったという古い神宮。 |
境内では鶏がたくさん放たれていた。暑さのためが、地面にへたりこんでいる鶏が多かった。 |
天理教教会本部と環濠集落めぐり |
上 石上神宮を出ると、天理教の施設がたくさん見えてくる。施設内の煙突は何だろう。 これらは「おやさとやかた」と呼ばれ、信者詰所、病院、大学・中高、博物館などの建物がある。 左 山の辺交番。天理教の施設をイメージしたデザインだ。 |
上 天理教教会本部。南画にある神殿。この付近一帯が「ぢば」。この一帯にいくことが「おぢばがえり」。 北には教祖殿があり、東西は廊下でつながっている。一周すると数百m。 左 左下の靴置場に靴をおいて入場。参拝の仕方がわからず、歩いて一周しただけだが、15分ほどかかった。内部は撮影禁止。 |
教会本部から天理駅近くまでアーケードのある商店街が1kmほど続く。 下 7月末から8月初めに「こどもおぢばがえり」があるようだ。神殿を中心とする一帯で、子供向け行事が開催される。 |
すでに14時。天理スタミナラーメンで昼食にする。 |
「こくまろつけ麺」というのがあり、限定というのにひかれて注文。普通のラーメンは暑くて食べたくないし、普通のラーメンより安いのもよい。 下 運ばれたきた"つけ麺"。なるほど、チャ―シューは切れ端でフレーク状だ。普通のラーメンに入っている野菜はない。このあたりが安い秘密か。2玉なので、食べきるのに苦労した。 |
アーケードを歩き、天理駅へ向かう。 下 天理から平端へ。平端で乗換て、筒井で下車。 環濠集落3ヶ所を見て、郡山駅まで歩く。 |
上 筒井城跡に立寄り。 筒井城跡はただの平地で何もない。しかも、金網があって、その敷地内にも入れず、金網の外から平地を見るだけで、期待外れもいいところ。周辺の宅地も城跡に入るとのことだが、範囲は不明。 左 番条環濠集落にやってきた。 |
上 集落のそばには佐保川が流れているのだが、人工的な環濠は確認できなかった。見落としたのか、埋立てられたのかは不明。 左 少し歩いて、若槻環濠集落へ。 |
若槻では環濠が残されているのを確認できた。 |
稗田環濠集落へ。 集落を取り囲む環濠が完全に残されている。しかも、護岸工事が行われている。かといって、観光化させよという目的でもない。 |
売太(めた)神社。祭神は稗田阿礼。 |
稗田集落の中。 |
郡山駅に戻り、散策終了。 |
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