4日目 オ タ ワ へ 移 動
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トロントからオタワへ鉄道で移動 |
![]() 飛行機やバスも検討した。早いのは飛行機で、安いのはバス。鉄道はバスほどではないが時間がかかり、飛行機ほどじゃないが、バスより高い運賃が必要だ。それでも、ゆったりとした旅がしたいと思い、鉄道にした。 この日は、第1区間、トロントからオタワまで乗車する。8時35分発で、7時30分にホテルを出て、ユニオン駅に向かった。 |
![]() 下左 地下通路からホームに上がるようになっているので、地下へ。すると、長い行列があり、これかなと思った。 |
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![]() 左 列の最後に並ぶと、ほどなく改札がはじまる。ネット予約の場合は送信されてきたメールかそれを印刷した紙を見せる。バーコードを読み取る改札だ。 そしてホームに上る。上ったところが、自分が乗車するモントリオール行きのビジネスクラスの車両だった。 |
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![]() これを朝食とするために、朝は何も食べずに列車に乗り込んだ。 |
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![]() ここで気づいたのだが、オタワ到着の少し前に5分ほど運転停車(客扱いをしない停車)があった。そのときに、オタワ行きの52列車を切り離していたようだ。52列車は、この62列車がモントリオールに向け出発したあとに、到着するのだろう。 |
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![]() 自分の立っている背後にバス停があり、しばらくすれば街の中心に向かうバスがやってくるようだったが、それには乗らなかった。 |
![]() 残念ながら、駅の中には入れなかった。試運転と見られる電車が走ってはいたので、開業間近だろうが。 |
![]() 下左 バスに乗り継ぐ客は、すでに前のバスに乗ったので、このバスは自分だけ乗車。 下右 途中、試運転中の路面電車が見えた。多くの区間が専用線のようで、ここも一般の鉄道のような駅があった。 |
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![]() ようやく、2泊するマリオット系の「デルタホテル・オタワ・シティセンター」に到着。チェックインして部屋へ。 |
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オタワ散策のあとビュッフェレストランで夕食 |
![]() 向かったのは、カナダ戦争博物館。ガイドブックで18時まで開館というのを確かめていたのだが、この日は16時で閉館だという。着いたのがちょうど16時で入れなかった。 |
![]() よく言われることだが、カナダの首都がオタワに置かれたのは、英語圏のオンタリオ州と仏語圏のケベック州の境界の街だからということ。まさに、オタワ川に架かる橋を渡りながら、実感した。 |
![]() 途中、川向うに国会議事堂がきれいに見えた。 |
![]() なお、カナダで人口1位はトロント、2位はモントリオール、3位はカルガリーで、オタワが4位。なお、州は違うが、オタワとガティノと合わせて1つの都市圏とみるとオタワが3位になる。 |
![]() 先住民族の歴史から始まり、英仏の植民地時代の歴史を、わかりやすく展示している。 見ごたえがあり、18時の閉館ぎりぎりまで、見て回った。 |
![]() 1995年のケベック独立の住民投票は、賛成と反対がきわめて僅差で決まったようだ。もし、独立していたら、米国の本土とアラスカの間にカナダがあるように、カナダは本土と大西洋岸諸州の間にケベックがある国になっていたのだろうか。 |
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![]() 1939年から1966年の移民は、英国とその他の欧州でほとんどを占めていたが、2002年以降はアジアが圧倒的に多く、アフリカもそこそこ多い。英国はゼロに近く、その他の欧州も少ない。ただ、中南米がわずかなのが米国と大きく異なる。 左 オタワ川に架かる橋。ここを渡り、オンタリオ州側に戻った。 |
![]() 下左 ノートルダム聖堂。オタワ最古の教会。 下右 内部が見られるのは18時までとガイドブックに書いてあったが、中に入れたので見学した。 |
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![]() ビュッフェ方式のレストラン。 |
![]() 下左 メニューはとても多かった。全部を試すのは無理。 下右 飲物はダークビールを注文。 |
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![]() ローストビーフだけは、並んで切り分けてもらう。とても美味しい。付け合わせも、何にしようか目移りする。 |
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![]() ビュッフェだけだと約22カナダドルなのだが、ビールを入れて、税・チップを含めると約41カナダドル(約3600円)。 このあと、30分くらい歩いてホテルに戻った。 |