3 日 目 大久野島と竹原 |
7時から朝食。前日と比べて、生卵が目玉焼きになっているのと、3つのおかずが並ぶ皿で2つが違うようだ。 |
この日は大久野島に向かうので、食後はすぐに尾道駅へ。 呉線の広行きで忠海まで行くのだが、尾道の次の糸崎でも、その次の三原でも乗り換えられる。でも、糸崎で乗り換えるほうが便利そうだ。 |
尾道から糸崎までは黄色の113系で移動。糸崎で下車して、同じホームの反対側から呉線広行きに乗車。 227系電車で、広島地区では大量に投入されている。Red Wingのロゴが前面や側面にある。座席は転換クロスシート。 |
忠海駅到着。 |
港へ向かう。途中、常夜灯があり、このあたりが昔の港だったと思われ る。 |
大久野島行きの船乗り場の切符売場。この中に券売機がある。 下左 切符売場の前にあるピンクのポスト。字がいろいろ書かれているが、正式なポストだ。 下右 往復を買ったら、片道券2枚がつながってでてきた。 |
大三島行きのフェリーで大久野島に立寄る。これに乗船。 下左 船内。 下右 20分ほどで大久野島に到着。 |
船に合わせて、800mほど離れた休暇村まで無料のシャトルバスが利用できる。休暇村に泊まらない人も乗れる。 |
休暇村の200mほど手前にビジターセンターや毒ガス資料館があるエリアがあり、無料バスはそこで下りることもできる。 下ろしてもらい、まずビジターセンターへ。島の自然環境や島で利用している自然エネルギーについての展示が中心。 |
幹部用防空壕の入口。 |
屋根付きで屋外展示されている陶器製の毒ガス製造設備の一部。 |
毒ガス資料館。撮影は禁止だった。 |
休暇村。あとで、昼食をここでとることにして、立寄らずに進んだ。 |
いたるところでうさぎを見ることができる。エサをもらえると思っているのか、逃げることはない。 |
あまりにもかわいいので、見ていると時間がどんどん過ぎていく。 |
毒ガス研究施設だった建物。コンクリート造りだったので壊されずに残った。休暇村ができた当時は宿泊用に使われたという。 |
毒ガス貯蔵庫跡。ここは「イペリット」というガスが液体でタンクに入れて保管されていた。タンクは腐食しないように内部は鉛が張り付けられていた。 |
日本庭園跡。毒ガス工場内に日本庭園があったとは驚きだ。 |
毒ガス工場のトイレ。和式便器らしきものが写っている。 |
毒ガス貯蔵庫跡。大久野島の毒ガス製造は1929年から1944年まで行われ、主な製品は「イペリット」や「ルイサイト」だった。 1946年から処理が行われ、火炎放射器で焼却したので、内側の壁が黒くなっている。 |
北部砲台跡。このほか中部と南部の砲台があった。これらの砲台は毒ガス工場とは関係なく、日露戦争のころにつくられたもの。 このあと、島を一周することも考えたが、休暇村のレストランで昼食をとりたかったので、ここから引き返した。島を3分の2周ほどした。 |
うさぎを見ながら休暇村へ。 |
休暇村のレストラン。 |
竹原名物の魚飯(ぎょはん)を注文。大久野島はいまは竹原市に属している。 魚飯は、焼魚や魚の天ぷらなどの具材をご飯にのせて、魚からとった出汁をかけていただく。竹原だけで見られる料理らしい。 |
ご飯にのせる具材。 鹿児島には鶏飯があるが、鶏飯の鶏肉を魚にかえたような料理だ。鶏飯は奄美が本場だが、広い地域で見られるのに対して、魚飯は竹原だけで食べられる料理で、少し離れた尾道では見かけない。 |
ご飯に具材をのせた状態。この上に出汁をかける。 |
食後は港に向かい、忠海行きの船に乗船。この船に接続する連絡バスはなく、歩いた。 港に着くと、出発直前で、港近くにある発電所跡を見る余裕がなかった。帰りはフェリーではなく、旅客船だった。 |
船内。 |
忠海港と駅の間には、アオハタジャムの本社、工場の広い敷地がある。 見学施設があるのでいってみたら、見学は中止になっていた。 |
忠海から竹原まで乗車した227系電車。 |
竹原駅に到着。切符売場は閉鎖され、駅員は時間を決めて配置される駅になっていた。 |
20分ほど歩いて、道の駅「たけはら」へ。 道の駅は多くが都市郊外にあるが、ここは市内ににあり都市型の道の駅だとうたっていた。町並み保存地区の入口に位置している。 竹原の第一の特産はたけのこ。旬の時期だけあって直売コーナーでは筍が売られていた。 |
レストランでは魚飯もあった。「竹原バーガー」があり、食べてみた。 特徴はたけのこの照り焼きが狭まれていたこと。また肉のかわりに牛肉コロッケだった。 |
道の駅を出るとすぐに町並み保存地区に入った。 最初に竹鶴酒造へ。竹原を代表する酒造メーカー。朝ドラ「マッサン」でモデルになった、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴正孝はの生家はここ。 この中は資料館になっているのだが、コロナ禍のため、ずっと見学は停止になっていた。 |
松阪邸。江戸から昭和まで塩田の所有で財をなした松坂家だが、市に寄贈されて公開されていて見学した。 |
この保存地区では電線などが地下に埋設され、すっきりした風景になっていた。 |
竹原市歴史民俗資料館。昭和初期の洋風建築でここの保存地区では異質な建築。もとは図書館だったという。行ったのは月曜で、月曜休館で入れなかった。 |
資料館の横の広場には、竹鶴正孝とリタの像があった。 |
白壁の蔵が並ぶ路地。 |
森川邸。ここも塩田で財をなした森川家の邸宅。かつては、この付近が浜であったという。 写真は襖を開けると、とても大きな広間になる部屋。 |
森川邸の近くに常夜灯があった。かつては、町並み保存地区のすぐそばに港があったのだ。 |
竹原から三原、糸崎で乗り継いで尾道に戻った。 駅前に「鳥の一徹」という店があり、この日の夕食はここにしようと思った。 下左 ホテルに戻り、1時間ほど休憩後、駅前の店に向かった。店内。 下右 生ビール。 |
お通しは、キャベツ。上に塩昆布がのっている。 下左 ねぎま。 下右 手羽先。 |
つくね。 下左 清酒「竹鶴」。 下右 先ほど見てきた竹原市の「竹鶴酒造」製。 |
生カキ。 |
豆腐と牡蠣の煮込み。 |
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