5 日 目 鞆 |
朝食。卵がいり卵、焼き魚がサバであるあたりに変化がある。 |
コーヒー。 このあと、チェックアウトし、ホテルをあとにした。4泊したが、なかなかいいホテルだった。 |
福山へ移動。227系だった。岡山地区の113系も置き換えられていくのかな。 ホームの屋根の支柱は古レールを使っている。こうした駅も今や少なくなってきた。 |
この日は、一日中、本降りの雨。ちょっと気乗りしない面もあったが、コインロッカーに荷物を入れて、昼までは鞆、午後は福山の観光にした。 |
鞆行きのバス。終点は鞆港、その1つ手前が鞆の浦で、どう回ろうか考えているうちに、着いてしまい、鞆港で下車。 下左 鞆港バス停。 下右 鞆の港。古くから潮待ちの港として利用され、鞆は港町として栄えた。 |
太田家住宅。七卿落ち遺跡と言われる。1864年三条実美ら七卿が、蛤御門の変のあと、長州に逃れる途中、ここに泊まった。修復工事中のため、入場できなかった。 |
いろは丸展示館。大洲藩所有の蒸気船を坂本龍馬の海援隊が運航していた。鞆の沖で紀州藩の船と衝突し、沈没した。近年引き上げられ、ここに展示されていた。 下左 土日のみの開館で入れなかった。 下右 常夜灯。 |
古民家カフェも閉鎖されていた。 |
鞆交番。白壁の土蔵風になっている。 |
保命酒という酒を製造、販売している店が何軒かあった。 保命酒は、鞆でつくられきた生薬入りの酒。 |
鞆も街並み保存地区になっていて、古い民家が並ぶ。 下左 少し高台になっているところに鞆城の石垣が残っている。 下右 石垣の上には鞆の浦歴史民俗資料館があった。開館中で入場。 |
上 歴史民俗資料館の前からは鞆港がよく眺められた。 左 港に戻り、古民家カフェ「汐の音」に入った。 |
「海」と名付けられた大福を店内でいただいた。薄く水色ががっていて、中にはサワークリームとレモンソースが入っていた。 |
いろは丸沈没事件をめぐって坂本龍馬と紀州藩の談判がおこなわれたところ。建物は当時とは違っている。 下左 福禅寺の対潮楼。朝鮮通信使が「日東第一形勝」と称賛した風景を眺められる。 |
この商家には坂本龍馬の隠れ部屋がある。金土日月の開館で行った日は残念ながら木曜で入れなかった。 下左 レトロな洋風建築も少し見られた。 下右 帰りは鞆の浦バス停から乗車。 |
バスで福山駅に戻った。駅舎の入口に麺類の店があり、福山ラーメンと書いてあるのが見えたので、福山ラーメンを試してみることにした。 |
福山ラーメン。 醤油味で、魚の出汁と尾道ラーメンに似ているが、背油が浮かんでいない点が違う。でも、どちらのラーメンも1店づつしか試していないので、これで違いといえるかどうかは不明。 |
福山駅の北側には福山城がある。写真の左のほうに石垣の中の公園に入る階段があって、上がった。 |
上に上がると、福山駅がよく見える。 新幹線の下が山陽線ホーム。左には新幹線の下ではない部分にもほーむがあるが、これは福塩線のホーム。 |
公園内に入ると天守がすっぽり覆われていて修復工事中だった。 |
城の隣にある「ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)」へ。 福山の郊外にある中世の草戸千軒遺跡の展示に力を入れていたが、あまり興味がない遺跡だったので、軽く飛ばして見学。 |
上左 この日の泊りは倉敷。福山から倉敷はそう遠くないが、この日は遠回りをする。第3セクターの井原鉄道に乗車するためだ。井原鉄道はまだ乗ってないので乗車。 福塩線で神辺へ。 上右 神辺駅。 左 井原鉄道の気動車。 |
上左 井原鉄道の車内。 上右 乗継時間に駅舎を見に行った井原駅。この鉄道で最大の駅だ。 左 駅の建物内は井原デニムの店舗がほとんどを占めていた。 |
上左 清音駅でJR伯備線に乗り換え。乗車したのは播州赤穂行き。 上右 倉敷駅に到着。 左 この日から2泊は「ドーミーイン倉敷」に泊まる。 最近ドーミーインによく泊まる。朝食がいいのと、温泉があること、それに夜泣きそばがあること。加えて、今回は、倉敷美観地区のすぐそばだということも考えて選んだ。 駅からは10分強、歩いたので駅からは少し遠い。 |
すぐに部屋に行って1時間ほど休憩。 |
ホテルの向かいにある居酒屋「ゆうなぎ」へ。 下左 お通し。 下右 サントリーモルツの瓶ビール。 |
さよりの刺身。 |
野菜蒸し。 下左 清酒「桃太郎 鬼退治」。 下右 岡山市の「板野酒造」製。 |
きのこの卵とじ。 ホテルに戻って、温泉に入り、忘れずに夜泣きそばをいただいた。 |
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