16 日 目 大島そして帰宅 |
この日は旅行最終日。 このあと大島へ行くのだが、船の出発まで時間があるので、その間に、前日、日曜が定休のために入れなかった、うどん店「綿谷」へ向かった。ホテルの朝食を捨てるようなものだが、やむを得ない。 この日は営業していたので入店。 |
この店の看板メニューは肉ぶっかけのようで、牛肉、豚肉、スペシャルとあるので、スペシャルにしよう。つゆは、ひや、あつ、あつあつとあるので、あつあつにしよう。 |
店内。写真真ん中の窓口で注文し、天ぷらをビュッフェ式にとって、右側の窓口で注文したうどんを受け取る。 すでに、つゆをかけて、トッピングもしてあるので、前日に行った「一福」とは仕組みが違う。代金はここで払う。 店の雰囲気は「一福」よりも少し落ち着いた感じ。 |
スペシャルぶっかけうどん。 |
別にとったげその天ぷら。2つに見えるが、くっついていて、これで1つ。 さぬきうどんの店の販売の仕組みには3つあることがわかった。 1つめは、前日の「一福」のように、つゆをいれるまで徹底してセルフ。2つ目は、この店のように、天ぷらを選ぶ部分がセルフで、うどんは並んで注文の品を受け取る。3つ目は、琴平で入った店のように注文の品をテーブルまで運ぶ店。(日本中、香川以外じゃ、3つ目の仕組みの店が普通だが。) |
ホテルに戻り、まだ朝食時間だったので、コーヒーとデザートだけいただいた。右下の、あん餅雑煮も。 このあと、荷物をまとめてチェックアウト。1週間滞在したホテルともお別れ。このあと、大島に行ってから、帰宅するので、荷物を預けておく。 |
検温、リストバンドを受け取るのは他の島と同じ。大島への船に乗るには事務所で手続がいるとのことで、事務所へ。でも、直接、船乗り場へ、という掲示があり、船へ。 大島は、1909年にハンセン病の療養所がつくられ、他と隔離された島になった。中四国地方の患者が集められ、1996年まで隔離が続けられたのにあらためて驚く。 現在は、もと患者はみな治癒したのだが、身寄りのない人も多く、療養所として存続している。患者ではなく入所者とよばれている。瀬戸芸には2010年から参加して、社会への啓発をしているとのこと。 |
乗場に行くとすでに船がとまっていた。高速船でもフェリーでもなく、普通の客船だ。手続っても注意書きを渡されるだけで、乗船。 施設の開放時間を考慮すると、11時15分の船で行って現地発13時25分か15時の船で帰るか、14時5分の船で行って現地発16時30分の船で帰るいずれかとなる。このあと帰宅なので、11時15分の船で行き、13時25分の船で帰るので、忙しそうだ。 |
乗客は下の船室に入る のだが、窓の位置が高くて、景色を見ることはできなかった。 |
大島に到着すると、港のそばの広場で島での注意事項の説明があり、そのあと、希望者はツアー形式で案内するということで、案内のほうにも参加した。 広場付近の松は「墓標の松」。源平の屋島の戦いで敗れた平氏を葬り、そこに松を植えたという。木の下からは遺骨や刀が出土している。 |
説明を聞いた後で、島内を見て回った。 リングワンデルング。瀬戸芸参加である。 1933年に入所者によってつくられた「相愛の道」という散策路を2019年に復活させたもの。1.5kmあり、ほぼ一周した。 下左 「相愛の道」の碑。 下右 眺めがとてもいい。道を造った入所者はこの島から出られないのでどんな思いだったのだろう。 |
「風の舞」という火葬場を中心にしたエリア。火葬場はきれいに改修されていたが、入所者は島にくれば火葬場で焼かれて一生を終えるものだった。火葬場の写真はのせる気持ちになれない。 現在、国立療養所で火葬場があるのは大島だけだという。偏見がなくなり一般の火葬場で火葬されるようになったのだろう。ここは島のため残っているんだろう。 |
かつて居住棟として使われた建物が一部残され、瀬戸芸作品の展示に使われていた。 |
建物内。1軒1軒の仕切りは取り払われている。入所者の生きた証としての瀬戸芸作品。 左下にボートが写っているが、当初は逃走防止んため認められていなかったボートの所有が認められるようになり、入所者がもっていたボートだということ。 |
瀬戸芸作品の中には、現代アートだけではなく、ハンセン病患者として差別されてきたことを訴えかけるようなものもあった。 |
木製便器。 上の予防服とあわせて、作者が入所者から聞いた話を作品化しもの。 |
瀬戸芸とは別に、かつて使われていた解剖台が展示されている。 解剖室は1980年ごろに解体され、海岸に埋められていたが、2010年に掘り出されて展示されるようになった。 |
宗教地区があって、キリスト教会、仏教寺院、神社、金光教会などがあった。 これはキリスト教霊交会という入所者の団体の教会。米国の団体からの寄付で建てられた。 自分が驚いたのは、この教会の設計者がヴォーリスだったことだ。大島を訪問する3週間前に、自分は京都にあるヴォ―リス設計の旧駒井邸を訪問したばかりだからだ。 |
納骨堂。1400人の遺骨が納められているとのこと。手を合わせて慰霊した。 下 3つの石碑。左は、1909年から1936年までの死亡者の遺骨が納められている。真ん中は生まれてこれなかった胎児の慰霊碑。右は入所者から人望のあつかった園長の小林医師の碑。 |
社会交流会館。 かつての居住棟を改修して歴史展示などをおこなっている。 |
展示の冒頭部分。このあと大島の歴史を語る写真などが展示されていたが、残念ながら船の時刻の関係で駆け足での見学になった。 |
船に飛び乗り高松へ戻る。ホテルで荷物を受け取って高松駅へ。 |
岡山行き快速「マリンライナー」に飛び乗る。 最初は瀬戸大橋を渡った後の児島で下車、児島から帰りの切符を買うつもりだった。 児島からがJR西日本で、しかも児島はJR西日本の管理駅なので、JR西日本の株優券5割引が使えるため。でも、面倒くさくなり岡山まで乗車。 |
岡山で株優券を使い、切符を購入。 岡山はICカードを使ったが、児島で下車して買うより300円ほど割高になった。 |
岡山発15時53分「さくら」に乗車。5分後に「のぞみ」があるが、新大阪まで逃げ切るようだ。 |
乗車する「さくら」入線。 下左 出発直後、ベネッセ本社が見えた。いまや岡山に本社がある企業では最大になった。(大原家のおこしたクラレほうが規模は大きいが東京に本社をうつしたので除く。) 下右 山陽新幹線の普通車に乗るときは、いつも2列席だけの普通車指定席にしている。 |
新大阪到着。ドア横の表示はすでに変わっていた。折り返し「みずほ」鹿児島中央行きになるようだ。 瀬戸内海の旅、終了。瀬戸芸の秋会期にまたきてみたいし、しまなみ海道の歩かなかった橋も歩いてみたい。 |
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