3 日 目 広 島 ・ 本 島 |
![]() 瀬戸芸に参加していない広島をちょこっと見て、丸亀に戻ったあと、うどんの有名店で朝食。そのあと、本島に向かう。 この日は土曜で、フェリー乗場は本島に行く客でにぎわっていたが、少し離れた広島をへて手島に向かう高速船を待つ客はわずか。 |
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![]() 上右 がらがらの船内。 左 下船後、海岸沿いに江の浦の集落へ向かう。 |
![]() 校庭で「丸亀製麺」のキッチンカーを発見。車内で麺を造り、調理できるようだ。 |
![]() だから「丸亀製麺」の車を見つけてびっくり。広島も丸亀市なので。 早速、ネット検索して事情がわかった。この車は「笑顔うどん号」といい、現地からの求めに応じて、各地でボランティアとして、うどんを提供しているようだ。 丸亀製麺は、丸亀市と、2022年春に提携関係を結び、今回は島民からの求めがあり、島の食材も加えて提供したようだ。 |
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![]() 案内所はまだ閉まっていたが、掲示を見ると、広島は瀬戸芸に参加していないが、瀬戸芸秋会期に合わせて、独自にアート作品の展示をしているようだ。 さらに、島を探訪するガイドツアーもあって、この日も開催日だった。特に目を引いたのは、昼食として「丸亀製麺のうどん」が提供されるということ。 時間があれば、ツアーに参加してみたいが、そうなると本島をあきらめることになる。そして、翌日に本島へ行くとすれば、屋島は今回あきらめることになる。迷ったけど、今回は広島から去ることにした。 |
![]() 島独自のアート企画といい、「丸亀製麺」つきのツアーといい、臨時便の運航といい、事前の調査が甘かった。いづれもわかっていれば、広島で1日とるとか、本島と広島を結ぶ船を使うとかしたんだけど。 |
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![]() 下左 船内。高速船と違って、広いし、揺れも少ない。でも、所要時間は長い。 下右 丸亀到着。かなり多くの客が下船。時間帯から考えて、観光客じゃなく島民がほとんどだろう。 |
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![]() 丸亀港はこんぴらさん詣の船でにぎわっていたので、参詣客向けの宿などかな。 |
![]() 住宅地の中にある平凡な建物で、大きな看板もなく、わかりづらい。駐車場がたくさんあり、人気のほどがうかがえる。 |
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![]() 下左 げそ天。 下右 店内。倉庫の中にテーブルを並べたような感じ。人気店だけあって活気がある。 |
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![]() うちわが、丸亀の伝統工芸品だとは知らなかった。 |
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![]() 下左 乗船券。 下右 本島に向かう人は多く、混雑していた。 |
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![]() 上右 乗車したバス停。瀬戸芸秋会期中だけの臨時バス停。 左 1日券。春に買ったガイドブックでは秋会期の島についての情報が少なく、このバスについても記載されていなかった。本島では、歩いて回るつもりだったので、買う方がよいか検討する間もなく買うしかなかった。 |
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![]() 上右 ロープを使ってボートを形づくった作品が3つ並ぶ。 左 この海岸からは瀬戸大橋が見えた。 |
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![]() 左 古民家が集まる保存地区の笠島へ。歩いても1kmないのだが、1日券を買ったので、バスを待った。歩いても、着く時間には変わりがないのだが。 このバス停そばで、弁当を売っていた。丸亀で食べたうどんがまだお腹に残っていたので、買わなかった。保存地区の見学を終えて、やってくると売り切れだった。でも、この時、弁当を買っていたら、歩いている間に弁当の中が形崩れしただろうし、なかなか難しい。 |
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![]() この旧家は、塩飽大工がつくったもので、部屋も庭も豪華だった。築百年をこえるが、柱や梁のゆがみなどがないという。 下 欄間には刀の"つば"が埋め込まれている。 |
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![]() テレビ番組「なんでも鑑定団」で鑑定の結果、本物だと判定されて、1500万円の値がついたという。 |
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![]() 上右 鶴瓶が「家族に乾杯」の番組で突然やってきたとのこと。 左 明治時代の来客用のトイレ。 |
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![]() 鏝絵は、民家や土蔵の壁につけられた凹凸のある、漆喰による絵。壁の漆喰を塗るための鏝(こて)を使って、色のついた漆喰を盛り上げてつくる。 |
![]() 最も有名なのは大分の安心院(あじむ)だということで行ってみたい。ちなみに安心院はワイン産地でもあり、湯布院に泊まった時にいただいた。 |
![]() かつての塩飽水軍の伝統が評価されてのことだ。いくつかの民家には咸臨丸の水夫の生家跡だと書かれていた。 |
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![]() 上右 弁当を買いに行ったが売り切れ。古民家利用の「フィム」というカフェに入った。 左 カステラ風のケーキとアイスコーヒー。 下左 シャトルバスで甲生口へ。 下右 塩飽大工の技術を伝承するために作られた建物。 |
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![]() 左 途中、瀬戸芸作品を見ながら、勤番所にやってきた。 塩飽諸島は江戸時代を通じて、船主などの有力者である人名(にんみょう)650人による自治が行われ、どの藩にも属さなかった。戦国時代に独自勢力で大名に匹敵した塩飽水軍の実力に配慮して、全国でここだけで自治が行われ、勤番所はその役所。 |
![]() ここと中庭をはさんで写真左手には牢屋跡もあった。 下左 勤番所の内部。 塩飽水軍の資料などが展示されている。信長、秀吉、家康から与えられた自治を認める朱印状もあった。 下右 勤番所バス停からいったん港に戻る。 |
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![]() 港に戻ったのは、出発の直前で、なんとか間に合った感じ。 |
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![]() 上右 急いで乗船券を買って船に急ぐ。 左 乗ったときには座席は満席で、丸亀まで立ったまま。 下 座れなかったので、出発の際の見送りを見ることができた。小笠原に行ったときの見送りを思い出した。 |
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![]() 左 丸亀に着き、前日に引き続き、骨付き鳥の「一鶴」に立寄った。この日は土曜日だけあって、かなりの行列。 駅中のスーパーで惣菜を買って部屋食に変更。 下左 ビール。 下右 宿の無料うどんもしっかりいただいた。 |
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