4 日 目  屋 島 ・ 四 国 村
 東横インの朝食といえば、おにぎりにおかず5、6種類ってのが定番で、実際、今回も1泊目はそうだった。

 でも、この朝は珍しく、普通のご飯に、好みによってふりかけをかけるもの。ふりかけは、1泊目におにぎりについていたものと同じ。
 
 上   今回泊まった自室からは眺望がなかったのだが、非常階段から海の側が一望できた。

 2つの島は、前日に訪問した広島と本島。手前に丸亀駅。

 左   出発。駅に行く途中に猪熊弦一郎現代美術館がある。ここも瀬戸芸参加だが、中の見学はできなかかった。丸亀を朝にでて、夕方帰る毎日だったので。
 普通電車高松行きで出発。

 手前は、車両の右側がクロスシート、左側がロングシート。扉の向う側は右がロング、左がクロスの混合車両。

 この日は日曜で高校生の乗車が少ないのですいていて、クロス側に着席できた。
 
 坂出で快速「マリンライナー」高松行きに乗換え。この乗換は、同一ホームでできることが多いようだが、この時は運悪く、別ホーム。でも、すいていて、着席できた。日曜だからだろう。
 
 高松からは高徳線引田行きの普通気動車に乗り換え。少し乗継時間が長いがやむを得ない。

 車内は、手前は左がロング、右は転換クロス。扉の向こうは、左が転換クロス、右がロング。わずかな距離だが、転換クロスの空席を見つけて座った。
 JR屋島駅に到着。

 下左   JR屋島駅舎。

 下右   バス停。

 屋島は約40年ぶりで、前回は琴電屋島駅近くからケーブルで往復したが、ケーブルは約20年前に廃止されて、今回はことでんバスに乗車。
 
 
 屋島山上行きのバスに乗車。

 下左   水族館と源平合戦をうまく表現したデザインのバス。

 下右   琴電屋島駅で祭りのみこしに遭遇。
 
 
 屋島山上に到着。

 約40年前に乗車したケーブルの駅がどうなっているのか気になっているが、場所がわからないので案内所で尋ねた。

 思わず、無料ガイドで案内するといわれ、案内してもらうことにした。
 
 まず案内所そばにある血の池へ。

 別府の血の池地獄みたいなものだと思っていたら普通の池。源平合戦のあと、源氏が血の付いた刀を洗って、そのときは血の色でそまったらしい。
 
 
 上   屋島湾(いまはかなり埋立られている)をはさんで八栗山がある。

 源平合戦は主に屋島湾で行われた。史跡も残されている。

 八栗山もケーブルで上ったが、このケーブルは今も健在。動いているケーブルカーも見えた。

 左   ホテルの廃墟があった。
 
 かつてのケーブル山上駅に到着。かつていったはずだが、記憶には残っていない。
 
 ホーム跡。

 以前は車両もあったらしいが、今は山麓駅で保存されてるらしい。
 
 窓から駅舎の中が見えた。

 下左   駅名標も残っていた。

 下右   駅前の食堂などの廃墟。

 麓から歩いて屋島に上る場合は、ここに出るためか、トイレは整備されて現役だった。
 
 
 高松市側にあった屋島城の城門跡。屋島城は古代の城で、源平合戦のころにはすでに廃城だったとのこと。
 
 屋島寺の本来の山門。
 
 屋島寺を参拝。
 
 駐車場から歩いてきた場合に入る門。本来は裏門にあたるが、ケーブルの内現在、歩いて上る人以外は、この門から入ることになり、事実上、ここが山門。

 ガイドと別れる。ケーブル駅への行き方を知りたかっただけなのに、思わず無料ガイドをしてもらって感謝。
 
 
 上   高松港側が見える展望台。

 左   かわら投げをやってみたが、難しい。
 「やしまーる」(屋島山上交流拠点施設)。撮影できたのはごく一部で、同じような感じの建物が長く連なっている。撮影している自分もこの施設の中から撮影している。

 瀬戸芸作品の建物だが、出入口がわかりにくいし、あまり良いとは思えなかった。
 
 
 上   やしまーるの中で、「屋島での夜の夢」という「パノラマ館」を見た。

 実物は撮影できないが、解説の展示を撮影。

 曲線の壁に屋島合戦が描かれ、その前に様々な実物も置かれ、音響で屋島合戦を想像する企画。まあまあだが、パスポートでも800円の価値があるかは疑問。

 左   昼食は、やしまーるの中のカフェでとった、左がカフェ、右が通路。曲線で坂の上り下りもある建築といこともわかる。
 
 ハムサンド、チーズケーキ、アイスコーヒー。
 
 新屋島水族館へ。

 ウミガメのお腹にコバンザメがくっついて泳ぐ姿は初めて見た。なかなか面白くて、見入っていた。
 
 香川県の郷土料理、あん餅雑煮の上りがたっていて食べたくなった。「桃太郎茶屋」に入る。

 下   なかなか感じのいい店内。
 
 
 見た目、白みそ仕立ての普通の雑煮だ。
 
 餅はあん餅というのが珍しい。
 
 屋島山上バス停からJR屋島駅行バス乗車。

 下左   四国村で下車。40年前に屋島へきたとき、すでに四国村はあったのだが、屋島と同時に八栗山にも行く計画だったので、四国村にはきていないので初訪問。

 下右   四国村にも瀬戸芸作品がある。入口の建築も作品のひとつ。
 
 
 入場すると最初に。かずら橋を渡る。

 祖谷のかずら橋は行ったことがないが、どのようなものか体験できた。足元にある板の幅よりも板の間隔のほうが広いうえに、揺れるので、手すりを持たないと歩けない。ほとんどアスレチックで、びっくりした。

 本物よりも短くて、高さもたししたことないようだが、かずら橋がどんなものかはわかった。
 
 坂出にあった"さとう締め小屋"。

 中心に石臼が置かれてさとうきびを絞るための棒を牛がひいて回す。

 イタリア、アルベロベッロのトゥルッリにそっくりの円錐型の屋根。
 
 牛にひかせて、さとうきびをしぼる道具は奄美や沖縄で見たものと同じだが、あちらは青空のもとでしぼる。屋内にあるのは初めて見た。
 
 脇町の猪垣。イノシシが畑に入らないようにする垣根だが、簡単に乗り越えられてしまうような木がした。手前には落とし穴もある。

 ここは石垣だが、地域によっては土塀の場合もあって、複数の場所の猪垣が展示されていた。
 
 遊歩道沿いの数ヶ所に瀬戸芸作品も置いてあった。四国村は予想外に充実していたのだが、瀬戸芸作品はイマイチだった。
 
 四国村で期待していたものが大久野島の灯台だった。残念ながら修復中。

 大久野島は、春会期にあわせて、しまなみ海道方面へ行き、大久野島も訪問したから関心があったのだ。

 近くには、別の灯台の職員用の住居があり、中に入れた。
 
 久米通賢旧宅。

 初めて聞いた名前だったが、大砲や扇風機を発明し、坂出塩田の開発をおこない、一時は、坂出が全国の塩の生産の半分を占めたとのことに関心をもって見学した。
 
 明治時代のアーチ橋。金毘羅街道沿いにあったもので、道路拡張にともない撤去されることになり、四国村に移設された。
 
 昭和の終わりごろまで使われていた消防屯所。昭和戦後のポンプなどが入っていた。

 四国村は見学に時間がかかり、見終わったのは閉館間近い17時前。博物館のベンチで休憩していた時間も入れて2時間半ほどかかった。
 
 琴電屋島駅に向かう。途中で、ケーブルの山麓駅跡に立ちようどうかと思っていたが、雨だったこともあり、とりやめ。

 琴電の駅近くに「一鶴」の屋島店があったが、高松の別の骨付き鳥店に行く予定なのでパス。
 
 
 上左   レトロな琴電屋島駅。

 上右   駅名標。

 左   瓦町行きに乗車。瓦町で高松築港行きに乗換えて、1駅乗って片原町で下車。
 
 向かったのは骨付き鳥の名店「蘭丸」。

 店頭の机に置かれた紙に名前を書いて待つ仕組だった。ちょうど17時の開店時に入った人たちが出てくるころで、2、30分ほどで入れた。

 下左   店内。

 下右   瓶ビール。
 
 
 
 上左   お通し。一見ただのパスタだが、炒めてあってうまい。

 上右   はもの湯通しがメニューにあったので、骨付き鳥が焼きあがるまでいただいた。

 左   「おや」と「ひな」があり、「ひな」をいただいた。値段は同額。「ひな」のほうが柔らかいと思ってだが、この店では比べたわけじゃない。
 
 付け合わせのキャベツ。一鶴では、タレをたくさんつけて食べるのだが、この店はタレが少なくて、ドバッとタレをつけることができなかった。

 この店も美味しかったが、一鶴が一番おいしいと思った。春には、この店に近い「寄鳥味鳥」に行ったのだが、「寄鳥味鳥」と「蘭丸」は間をあけて、各1回の食事なので、比べにくい。
 
 高松駅に向かう途中でうどんを食べようと、店を探したが、19時半となるとなかなか店が開いてない。

 「うどん市場」というチェーン店が開いていたので入店。
 
 カレーうどんをいただく。
 
 快速「サンポート」琴平行きで丸亀の宿に帰る。

 

 3日目 瀬戸内海のトップ 全体のトップ 5日目