2  ルーブル再訪(1日目後半)

 

 

  今回は18年前に行ったところをいろいろ再訪してみようと思う。まずは、ルーブル美術館。前回はずいぶん駆け足だったので、今回は見たいものをある程度、調べてあって、それを主に見ようと思う。やはり有名なものが中心になる。

 ホテルのあるリヨン駅から、一番新しいメトロであろう14号線に乗車。自動券売機でカルネを買い、ホームへ。車両はもちろん、駅のホームの印象も、従来のメトロとは全然違う。また、駅間距離が長く、道路の真下ではなく地下深くを駅と駅を直線で結ぶ部分が多いことが地図からわかる。だから、RERなみに高速だ。

 難点を言えば、地下深くを走るので、エスカレータを使ってもホームまで時間がかかることだ。それでも、パリのメトロはエスカレータが設置されていなかったり、設置されていても片側だけだたりすることがよくあるが、さすがに14号線はエスカレータが多く設置されているようだ。

 
 リヨン駅と7号線への乗換駅であるピラーミデまで、途中駅はシャトレだけなのだが、平行している従来のメトロは5〜6駅あり、しかも線形が道路の下を通るため複雑にカーブしている。

 ピラーミデからルーブル美術館は歩くつもりだったが、二、三百メートルほどだけだが、7号線に乗った。この線は、車両が新しく、古い車両の場合はドアの鍵状のバーを引き上げてドアを開けるのだが、7号線の車両はボタンを押してドアを開けるようになっている。

 ルーブル美術館駅で下車すると、目の前にルーブルの建物があった。

 
 
 ルーブルの象徴のピラミッドは18年前にすでにできていたが、その当時は、今は3つある翼のシュリー、リシュリュー、ドノンのうち、リシュリューはまだ完成していませんでした。ピミッドの周りには長蛇の列。こりゃ1時間はかかりそう。それで、裏口に当たるポルト・デ・リヨンの入口から入場した。それでも20分ほど並んだがピラミッドの入口からよりはずっと短時間ですんだ。

 このあと見るポイントを考えてはいたが、迷子になったり、休憩したりしていて、11時から15時ころまで館内をうろうろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 世界で一番有名な絵画?である「モナリザ」の前にはものすごい人だかりがしていて、絵に近寄れない。18年前には別の場所に展示されていたが、人だかりはなく、注意していなければそのまま行き過ぎてしまうところだったのだがまた、前にはなかったのだが、「モナリザ」など有名作品は展示場所を矢印で案内するなどの工夫もしてあった。 
 
 この「ナポレオンの戴冠式」や「民衆を導く自由の女神」の前では設置されている椅子に座ってゆっくりと見るころができた。

 下左  「サモトラケのニケ」 サモトラケは発掘された島の名で、ニケは”勝利の女神”。頭部を復元した予想図もあって、興味深かった。

 下右  「ミロのヴィーナス」 これまた世界一有名な彫刻でこちらは意外と人はあまり集まっていなくて、すぐそばで見ることができた。

 
 
 今回、はじめて入ったリシュリュー翼での楽しみは、ナポレオン3世の居室。ナポレオン1世に比べて目立たない3世だが、パリの大改造を行っている。いくつかの部屋を見たが、豪華絢爛でヴェルサイユにも匹敵するものだった。

 ようやく15時ごろに館外に出て当初の予定では地下のフードコートで軽食をとるつもりだったが、満員で座る場所を見つけるのが難しそう。それで、外で遅い昼食。

 

 地上に出て、チュイルリー公園に面したブラッサリーに入った。ブラッサリーは、気軽に入れるレストラン兼カフェ、店によっては、兼バーって感じの店。パリ滞在中の食事は、主にブラッサリーでとった。 

 

 夕食タイムまでの時間も少ないことから、軽くすませることにした。

 タルタルなんとかいうメニューを注文。料理がやってくるまで、ワインとパンをいただく。

 ハウスワインを注文したが、分量がやや少なめ。少しづついただいていくことにした。

 

 タルタルなんとかいう料理。生サーモンをドレッシングであえたようなものだった。これは予想外だった。タルタルソースを使った料理かと思っていたし、サーモンとは書かれていなかったようにも思う。

 軽くすませるだけでも、店に入ると食事にはある程度、時間をみておかねばならない。これだけ食べ終わるにも40分くらいかかった。

 
 
  上左  ルーブルのあとは近くを散策。チュイルリー公園を歩く。もとはチュイルリー宮殿があった。フランス革命のさい、ルイ16世ガヴェルサイユからパリに連れもどされたあと、ここに居住したところだ。ナポレオン3世がプロイセンにやぶれたあと、民衆の焼きうちにあって、とりはらわれたが、再建の計画があるらしい。

 上右  チュイルリー公園の西端に観覧車がるあった。18年前はこんなのはなかったはずだが、と思っていたら、どうも移動式らしい。

 左  コンコルド広場のオベリスク。コンコルド広場は大革命のとき、ルイ16世やマリー・アントワネットはじめ大勢が処刑された場所。ここにそびえるオベリスクは、エジプトから贈られてルクソールから運ばれた。こちらの真ん中にエジプト旅行の際に撮影したルクソール神殿の入口の画像があるが、もともとは入口の向かって右側に建っていたものだ。

 
 マドレーヌ教会。ギリシャ神殿風の教会は珍しい。ナポレオンがギリシャ風の建築物の建設を命じ、教会に転用されたようだ。

 下左  マドレーヌ教会の内部。内部も普通の教会とはかなり違う印象。

 下右  17時をすぎると暗くなってくる。さらに散歩を続けると、ギャラリー・ラファイエットというデパートの前までやってきた。中にはドーム状の売場などがあって、興味はあったが、疲れたので中には入らずホテルに戻ることにした。

 
 
 18時にホテルに戻り、2時間ほど休んだ。ホテルのすぐそばには、ブラッサリーが何軒か並んでいて、半分ほどの店の店頭ではカキなどを置いていた。ひとつの店に入った。

 カキを食べようかなと思ったが、メニューを見ているうちにムール貝を食べたくなり、ムール貝を注文した。そのムール貝、あまりの多さに唖然。100個は食べたと思う。ワイン蒸にしてあって、日本のあさりの酒蒸しに似た味。

 
 小さな貝だが、これだけ食べると結構お腹が膨れる。それに、ひとつひとつ身をとっていくのには時間がかかり、これだけでも1時間以上かけてゆっくりいただいた。

 最後に残ったのが、格闘のあとの残骸。いやぁ。美味しかった。

  

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