5  ザルツブルクへ 

ザルツブルク移動
 
 上   ザルツブルクへ移動。ミュンヘンを9時29分発。

 この列車は、はるかブダペスト行きでQBB(オーストリア国鉄)の列車のようだ。

 左 7番ホームは、くし型のホームの前方にあり、100mほど前方に移動。
 
 乗車の1週間ほど前に乗車券をネット購入。早割のようで、安めの運賃だったが、指定をとろうとしたらとれなかった。

 満席を覚悟して乗車したが、わずかに指定されていない席があり、そこで着席。
 
 この列車は、ザルツブルクまでノンストップ。そのため、ほかの列車より少し早く、11時に1時間30分でザルツブルクに到着。
 
 機関車は特別塗装で、FOOTBALL CROSS BORDER と書かれている。「サッカーは国境をこえる」ってことかな。

 この駅で、どこからやってきたウィーン空港行きの編成が連結され、長い列車で出発。
 
 ザルツブルクHbf。写真からはわからないが、とても新しい駅で最近改修されたのだろう。

 駅でトイレを使ったが、有料でしかもキャッシュオンリーだった。50セント。
ザルツブルク旧市街へ
 いったん宿に立ち寄り、荷物を預けて、旧市街に向かった。

 丘の上にホーエンザルツブルク城が見える。
 
 インフォメーションで、ほとんどの施設が無料になるザルツブルクカード48時間券を購入。35€(約5300円)。

 さっそく大聖堂に行ったが、ここはここは5€が、3.5€に割引だった。
 
 内部はバロック様式だったが、そんなにこてこてではなかった。

 モーツアルトはこの教会のオルガン奏者をしていたという。
 
 大聖堂付近から見たホーエンザルツブルク城。右端にケーブルの線路が見える。
 ケーブル乗場に向かう途中、シュニッツェルの定食を出している店の看板が目に付き、急に食べたくなった。昼食抜きのつもりだったが、予定変更。「H.ナスバウマー」という店のようだ。
 
 店内。
 
 一番安かった白ワイン。
 
 定食にはスープがついていたが、ポタージュにした。
 シュニッツェル。かなり大きなのが2枚。

 きゅうりの下に写っているのがジャムで、ジャムをつけて食べるのはびっくり。昔、ウィーンにきたときにも食べているが、どうだったか思い出せない。
 
 大きいけど、薄い。

 とんかつとは違って、唐揚げ粉のようなのをつけて揚げている。

 定食11.9、ワイン3.8で、計15.7€(約2400円)。
 
 ケーブルに乗車。ホームドアがあり、車両はよくわからない。
 城に到着。
 
 城内の展示。おもちゃの博物館と武器の博物館があったが、どちらも興味持てず。
 一番高いところから城の中心部を見る。
 
 ザルツブルクの街並み。中心が大聖堂。

 城の中や城の周囲をかなり歩いた。1時間以上滞在。
 サンクト・ペーター教会。ここにはカタコンベがるというので行ってみた。
 
 きれいな装飾の変わった墓を見ながら、カタコンベの入口へ。カタコンベは地下墓地のことなので、すっかり地下に下りるのだと思っていたら、ここは階段を上がった先にあった。
 
 見学後、下から見ると崖に窓がついているところまで行った。洞窟墓地といったほうがよい感じ。 
 
 モーツアルトの生家。1階が土産物などの店、2階に受付があり、3,4階が展示。
 
 モーツアルトの使ったピアノのレプリカ。現在のピアノと、鍵盤の白黒の配色が逆でびっくり。 
 宿へ30分ほど歩いて戻る。「メイブルク・ザルツブルク・トリビュート・ポートフォリオ」。

 「トリビュート・ポートフォリオ」は、マリオット系で、日本では京都などにわずかにあるが、かなり高級な宿だ。そのイメージでいたら、ここはやや高級なビネスホテルで、日本での印象とは全然違う。
 
 フロントはバーのカウンターと続きになっている。

 UGはなく、朝食無料か追加ポイントを選べたので、朝食無料にしてもらった。ラウンジはなし。

 エレベータ内の案内で各階の部屋数が同じだったことと、部屋の扉の案内図で自分の部屋と少し大きめの、おそらくベッド2つの部屋の2タイプの部屋があることがわかった。もともとUGされるような部屋自体がなかったようだ。
 
 部屋に入る。ビジネスホテルと考えれば、広くて、ベッドも大きいが、先日、フランクフルト空港で泊まったマリオットにははるかに及ばない。
 窓側から撮影。
 
 昼食に食べたシュニッツェルがまだ腹に残っているけど、夜中にはお腹がすきそうなので、夜食をスーパーに買いにいった。

 ザルツブルクHbfのコンコースに大きなス―パーがあるのを到着時に見つけていて、駅へ。
 
 夜遅くになってから夜食を食べた。

 ビールはミュンヘンの醸造会社のものだった。
 
 サンドイッチとフルーツ。
 

 

 

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