17 激寒のミュンヘン |
再度のミュンヘン街歩き |
とても寒く、冷たい小雨が降る。そのせいもあって、宿から出発するのが10時をすぎてしまった。 2週間前にした旧市街街歩きを再度することにした。前回、行かなかったところを回ってみる。 旧市街には、ゼンディンガー門から入る。 |
門を入ると歩行者天国になっているが、カールス門から入った歩行者天国ほどのにぎやかさはない。 |
まず、アザム教会へ。工事中で目立ったので、すぐにわかったが、そうじゃなかったら通り過ぎてしまいそうだ。 |
壮麗なバロック様式で、見とれてしまう。ただし、それほど大きくない教会だ。 |
続いて、ミュンヘン市博物館へ。入口がわからず、周囲をうろうろして、やっと入口がわかったが、リノベーション中で休館。 |
ヴァクトアーリエンマルクトでは、いろとりどりのフルーツはじめ、野菜、花、肉などを売る店がたくさん出ている。 |
やはり目立つのはアスパラガス。 |
テーゲルンゼア・タール・ブロイハウス。 寒いとお腹がすく。ここで昼食。 |
大きなホールだが、昼は客はわずか。 下左 メニュー冊子にはないが、黒板に「アスパラガスのクリームスープ」とあるので、これにした。 下右 この店の自家製ビールのドゥンケル・ヴァイス。ドゥンケルは黒ビールでヴァイスは本来は白だが、透き通ってないという意味で使われているのだろう。前日もドゥンケル・ヴァイスを飲んで、そう思ったが、この店でも同じなので、自信をもってそういえる。 |
アスパラガスのスープ。 「ミット・ヴァイス・ブロウトクラフフェン」とあるので、パンがついてくるのかと思ったら、パンを刻んでクルトンのようにしていた。 |
アスパラガスは小さいのが3本分くらい小さく切って入っていた。 スープ9.5、ビール5.8、計15.3€(約2300円)。 |
陰鬱な気分のミュージアム |
NSドキュメントセンター。 NSとは、ナチスがかかげた国家社会主義の略。ナチス時代の記録の展示をする博物館だ。 場所は、アルテ・ピナコテークの1つ南のブロック。 |
この博物館の場所には、かつてはナチスの本部の建物が建っていた。 英仏が宥和策をとったとされる1938年のミュンヘン会談も、ここにあったナチス本部で行われたようだ。 |
ナチス時代のさまざまな写真が展示されていたが、ショックだったのは、ミュンヘンの象徴のような新市庁舎の塔にもハーケンクロイツが掲げられていたこと。 ニュルンベルクでナチスの大会が開かれたときの写真はよく見たし、戦後の軍事裁判もニュルンベルクで行われたので、ナチスの本部はニュルンベルクだと思っていたのだが、この博物館でミュンヘンにあったことをはじめて知った。ホーフブロイハウスでヒトラーが演説した話は知っていたが、ミュンヘンがナチスの本拠地になったのだ。 |
上 ミュンヘンで行われたナチスの式典。 神殿風の建物が2つあるが、左の建物の背後にあるのがナチス本部で、今は博物館が建つ場所。 左 神殿風の建物のうち左側の現在。土台だけが残っている。 |
左側の神殿風の建物のさらに左に大きな建物があるが、フューラ―ハウス。総統の執務室だったのだろう。 今はクンストホッホシューレ(芸術大学)があり、ピアノの練習の音が聞こえていた。 |
ナチスの式典が行われた広場。 広場には神殿風の建物が3つあり、自分の想像だが、ナチス以前からあったので、再建されたのだろう。 博物館では、英語の説明をよく読んだし、この付近の現状を見るため、うろうろしたので、この付近だけで2時間ほど要した。 |
ナチス時代の話はドイツでもタブーな感じだと聞いたことがあり、こうした遺跡も積極的には公開していないのだろう。ガイドブックにも、博物館について少し説明があったので、行ってみたが、現地で初めてナチスの心臓部だったことを知った。今回、雪のために旅程変更したために、ナチス本部のあった場所にこられてよかった。 ただ、陰鬱な気分にはなった。29年前には、ダッハウに行ったが、今回は、もう知っていることもあり、陰鬱な気分になりそうで行かなかったが、かわりにここで陰鬱さを感じた。宿に戻ると16時。 |
安くついた部屋食 |
夕食は、寒い中、遠くに出かけるのが嫌で、近くのスーバーで買い出しして部屋食。 |
買ってきたもの。 |
今回、全部で6.6€(約1000円)と安くついてびっくりした。 レシートを見るとバナナ約40円、オレンジ約100円、冷凍の照り焼きご飯約300円、ポテトサラダ約180円、アップルジュース約200円、ワイン約150円、袋約40円、計約1000円。 税は、食料品の多くは7%だとわかる。ただし、ジュースとワインと袋は19%。 |
250mlのワインを売っていたのだが、0.99€と安い。 |
照り焼きご飯は、電子レンジが部屋にあったので買った。チキンがわずかに入っていた、 ポテトはやはり酸っぱかった。 |
16へ ドイツ・オーストリアトップ ユーラシア紀行トップ 18へ |