13 日 目 斜 里 |
朝食。 小鉢がいろいろあって、一通り試してみた。 |
つぎに海鮮丼。ご飯は少しで、しっかり海鮮を盛った。みそ汁は、よそう直前にあさりがどばっと入れられた。 |
デザートとコーヒー。 |
10時24分発の釧路行きに乗車。細岡だけを通過する快速「しれとこ摩周」だ。 10時少し前まで部屋でくつろく。もう少し早い列車があればいいのだが、この1本前は6時41分発だし、1本後は、一昨日に乗った15時10分発。 |
乗車した釧路行き快速「しれとこ摩周」。 3番線から発車するのだが、改札口から入った1番線からは階段を上がって、下りなければならない。大きな荷物があるので、エレベータなしはつらかった。 |
車内。集団見合い型の座席。中央部にだけは、向かい合う座席の間にテーブルが設置されている。 |
11時8分、知床斜里着。 もとは斜里駅だったが、知床観光の玄関であることをアピールするために改称された。 |
待合室。 下 駅舎。平屋建ての細長い駅舎。 |
駅から1分の「ルートイン 知床斜里」に2泊する。荷物を預ける。 下 200mほど離れたところにある道の駅「しゃり」へ。 |
道の駅の一角にあるラーメンと豚丼の店「知床くまうし」に入店。 |
店内。 下 ラーメン豚丼セットを注文。ラーメンは塩味にした。豚丼は、これでも「小」だという。 |
20分ほど歩いて「北のアルプ美術館」に向かう。歩いている人はおらず、車もたまに通るだけ。 |
「北のアルプ美術館」に到着。木の多い敷地内に建っている。 昔、「アルプ」という文芸雑誌があり、1958年から1983年まで25年間、300号まで発刊された。内容は、山に関する紀行、評論などが中心。その記憶を残すために造られた美術館で、博物館的な美術館だった。 |
上 300号を数えるアルプを集めた部屋は圧巻。 左 この美術館は故・串田孫一氏が個人でてがけたもの。氏は、詩人、哲学者、翻訳家で、登山を好んだという。彼と親交のあった人たちの協力で「アルプ」を創刊し、廃刊後に美術館をつくったという。 この部屋は、串田氏の書斎を、死後に移設したもの。 |
お茶まで出してもらい恐縮する。 |
10分ほど歩いて、斜里町立知床博物館に向かう。並木道で気持ちいい。 |
知床博物館到着。 |
廃線になった根北線のコーナーもあった。終端であった越川駅の駅名標。 |
延伸工事も行われていて、一部建設された高架橋の廃墟。 |
ケガをしたオジロワシを保護する活動もしているとのこと。 |
敷地内には高山植物園もあった。 |
40分ほど歩いて以久科(いくしな)原生花園に到着。 入口の看板は完全に文字が消えている。 |
晴れていたので、この付近から知床連山の斜里岳がよく見えた。 下 ここからが遊歩道。小清水やワッカ原生花園の遊歩道のように整備ざれておらず、雑草が多くて歩きにくい。 |
はまなすをはじめ、咲いている花は小清水やワッカと同じ。 |
杭があって、遊歩道のコーズはわかるのだが、草の中を歩く感じ。 最終区間はループになっていたのだが、その案内もなく、戻ることができるのかと少し不安だった。20分ほどで終端で、往復40分ほど。 |
入口そばに、砂丘を上り、オホーツク海側に下りられる箇所があったので、行ってみた。 下 波打ち際にはウミネコがたくさんやってきていた。 |
宿に戻り、荷物を受け取り、部屋へ。 |
窓側から入口側を見る。 |
窓からは、すぐ下に知床斜里駅が見えた。斜里岳もきれいに見えた。 3階を超える建物は、あるのかどうかといった感じで、この宿が斜里ではダントツに高い建物だ。 |
2時間ほど休憩して、夕食に出かけた。事前に調べていた店は、軒並み閉店は、あるいは営業していても満員。 ラーメン店「来々軒」にやってきた。 下左 店内。 下右 瓶ビール。 |
醤油ラーメン。 |
餃子。思ったよりも大きな餃子で、5個か8個か選べたので、大きさがわかっていれば5個にしたと思う。 満腹になって、コンビニに立寄って宿に戻った。 |
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