2日目 井 波 ・ 砺 波 |
井 波 |
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![]() 下 東横インの朝食は、数年前まではしょぼい場合が多かったが、それは昔の話。最近は工夫されていることが多く、今回もなかなかいい内容だ。 |
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![]() 下 砺波をこえて、下車地の井波までの間は、散居村の景観がよく見られた。 |
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![]() 上右 街の中央の案内横にあった木彫りの塔。 左 浄蓮寺。ここの昔の住職が芭蕉の門弟で、芭蕉の墓から小石3個を持ち帰り塚をたてた。 |
![]() さらに2年後に、芭蕉の遺髪も持ち帰り、黒髪庵が建てられた。撮影している自分の背後に黒髪庵がある。 翁塚の横の建物は、さらに後年建てられた芭蕉堂。芭蕉の木像があるという情報があったが、のぞくと像でばなく写真が置かれていた。 |
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![]() 木彫りの工房と商店が続いている。 左 「若駒」で知られる若駒酒造。 |
![]() 井波だけが、この日の目的地なら、松屋や若駒酒造には入りたいのだが、午後は砺波に行く予定なので、入れないのが残念。 |
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![]() 真宗大谷派(浄土真宗のうち東本願寺を本山とする派)の井波別院。 下 本堂。北陸では最大の木造建築物という記述もみたが、根拠は不明。建物内は撮影不可。 |
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![]() 太子堂には2歳のときの聖徳太子の像もあった。 |
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![]() 井波城跡であり、瑞泉寺がもとあった場所でもある。戦国時代には、瑞泉寺を中心にした井波城は越中一向一揆の拠点であった。 |
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![]() 霊泉とされてきた。瑞泉寺の"泉"はこの泉からとったのだろう。 |
![]() 獅子や欄間など木彫り作品をいろいろ見たが、撮影禁止。 舌 屋外にあった超横長の十二支を表したもの。 |
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![]() 下 入口付近にある七福神の木彫り。 |
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![]() そば湯のサービスはなかった。 |
![]() 10段となるとなかなか壮観。ゆっくり食べていたら、溶けてくるので、急いで食べなきゃ。 最近、200円から300円になったらしい。200円は信じれらないが、300円であっても十分に安い。 |
砺 波 |
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![]() 上右 途中、散居村のそばをいくつも通る。 左 「太郎丸」バス停で下車。 |
![]() 学問的には「散村」だが、「散居村」が一般的にはなじみやすくて、使われているらしい。 |
![]() 下 散居村の空中写真。 |
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![]() 抑制栽培、促成栽培で可能。展示室は、温室ではなく、温度の低い室内だった。 |
![]() 下 促成栽培は、冷蔵庫で保存して、暖かいところに出す。 抑制栽培は、発芽前に冷凍庫に入れ、開花を遅らせる。 12月〜4月初旬は促成栽培、5月中旬〜11月は抑制栽培だそうだ。4月中旬〜5月上旬は普通の露地栽培。 |
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![]() そばにある砺波市美術館や砺波郷土資料館は月曜休館。 |
![]() 4月22日から5月5日の開催。2つ上の写真のあたりは、チューリップで埋め尽くされたようだ。 |
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![]() 散居村とチューリップが描かれている。 国鉄色のキハ40に乗って、高岡へ。 |
"たかまさ" |
![]() そんな中で、見つけた禁煙店が"たかまさ"。 |
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![]() 下左 清酒「成政」。 下右 ラベルは合掌造りの図柄だ。 醸造元は。南砺市の「成政酒造」。五箇山でなないが、五箇山に近いのでラベルに合掌造りが描かれたのだろう。 |
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![]() 美味しい魚で満腹になった。 |
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