5日目  ソ ロ へ 移 動

 

普通列車でソロへ
 朝食はナシ・グドゥだが、おかずは変えて飽きがこないようにしていた。

 下左  この日のフルーツはスイカだけだった。

 下右  ホテルをチェックアウトして、トゥグ駅に向かう。写真はホテルを出た付近の路地。

 トゥグ駅からはソロ行きの列車に乗車する。
 
 
 
 上左  ジョグジャ到着日に調べていた切符売場でソロ行きの切符を購入。

 普通列車だが、PRAMEKSという列車名がついている。

 上右  ソロまでは約70km、1時間半ほどかかるが、値段は何と8000ルピア(約64円)。安っ!

 左  改札口。切符を渡し、バーコードが読み込まれる。これで駅の中に入れる。
 インドネシア国鉄は、以前、ジャカルタのガンビル駅からバンドゥンまで往復を乗車したことがあり、2回目の利用だ。

 前回の利用時にびっくりしたのは、ガンビル駅は高架駅なので違うが、バンドゥン駅はかなりの大駅なのに、駅構内の移動は、線路を横切って移動することだった。そのため、構内の連絡通路の部分でホームが切れていたことにも驚いた。

 トゥグ駅も大駅だが、構内の移動は線路を横切る通路を使う。地下道も跨線橋もない。

 たまたま。停車中の列車があって、通路は渡れない状態だった。
 
 やがて、停車していた列車が発して、連絡通路を通ることができるようになった。
 
 駅構内図。この駅の特徴は、メインの駅舎が、3本の線路の間にあること。HALLと書いてあるところが、駅舎玄関である。こういう構造の駅はめったにない珍しい駅だ。
 
 まもなく乗車する列車がホームに入線するというので、ホームで待った。左手の小さな建物が駅の南口。
 
 乗車列車。ほかの駅からやってきた列車で、この駅での下車も多かったが、下車しなかった客も多く、着席できるかできないかといったところ。
 
 非冷房車かもと思っていたのだが、その心配は不要で、きっちり冷房が入っていた。冷やしすぎということもなく快適。
 
 乗車列車の中。ぎりぎり着席できた。

 普通列車といっても、駅は多くはなく、トゥグ駅を出てすぐ駅があり、そのあと空港駅、プランバナンの近くの駅のあとは、長い駅間距離で2駅あって、その次はソロのプルウォサリ駅、そしてブラパン駅だ。

 プルウォサリ駅で半分以上の客が下車し、ガラガラになった。
 
 ソロのブラパン駅に着いた列車。数分遅れての到着。

 下左  KA PREMEKS のサボ。

 下右  連絡通路が乗車した列車にふさがれている。

 
 
 
 ソロのブラパン駅の駅舎。つい最近、新装されたという感じだ。明後日には、ここからトゥグ駅まで乗車するので、時刻と切符売場を調べておいた。
2つの王宮と名物料理
 ソロでは2泊する。ソロの最大の繁華街はジャラン・スラメッ・リャディ付近などで、ホテルもその通りに多くある。今回は、鉄道でジョグジャカルタとソロの間を往復するつもりだったので、バラパン駅の近くのロジホテルを予約しておいた。駅から10分ほどで到着。
 
 今回の旅でも、一番安いホテルで、1泊2000円未満であった。写真ではきれいにみえるのだが、かなり古いホテルで、トイレとシャワーに入るドアが開閉しにくく、アリが結構多く出ていたのにはまいった。2泊できりあげてよかった。
 
 1時間ほど休んだあと、街歩きに出発。最初に、翌日はチュト、スクー、サンギランを回るので、その車をチャーターをするために旅行会社へ行った。

 チュト、スクー、サンギランは自力で回ろうとすれば、路線バスだけでは回れず、一部はオジェック(バイクタクシー)を利用しなければならないうえ、1日で3ヶ所を回るのは厳しそうなので、車を手配した。
 
 ソロ市内の最大のみどころは2つある王宮だ。ジョグジャカルタとソロの王家は、もともと1つだったものが分裂してできた。さらに分裂して、ソロには2つの王家ができた。

 17年前の旅のときは、ジョグジャを出発点にして、チュト、スクー、サンギランとソロ市内の2つの王宮を1日で見て回った。チュト、スクーの印象が強烈だったために、ソロの王宮はあまり印象に残らなかった。今回はしっかり見ようと思う。

 まずは、旅行会社に近い、マンクヌガラン王宮へ。このとき13時半。15時までに王宮を2つとも回れるだろうか。
 
 入場券を20000ルピアで買うとガイドの女性がやってきて、一緒に回る。入場券を買った際にチップを渡すように念をおされた。

 王宮の中心になる大広間。壁はなく、ここでダンスが行われ、時間があえば見学できる。ここは上に上がることができた。

 このあと、儀式の行われる場所などを見学したが、撮影禁止であった。
 ソロの王は、今も特別州知事として政治的な力をもつジョグジャカルタとは異なり、政治的にな力をもたない。資産家であり、文化的な面での後援者といった感じだ。

 王家の家族が生活するエリアの一部は撮影ができた。

 20分ほどで、一通り見てまわった。30000ルピアのチップを渡して、見学終了。

 17年前にも見学しているのだが、ようやくある程度思い出した。
 
 
 上左  続いてカスナナン王宮へ急ぐ。15時までなのだが、すでに14時半。

 ソロは緑の多い街だ。

 上右  道路に線路が敷かれている。引込線か、かつて使われていた線路だと思った。でも、翌々日にここを列車が通るのを見て、そこそこの本数が通る線路だとわかった。

 左  カスナナン王宮に到着。儀式の会場らしき建物があり、現地の人がそのまわりで休んでいたし、一般人の車も多く止まっている。こちらの王宮のほうが開放的な印象だ。
 
 王宮まではやってきたものの入口がよくわからない。うろうろしたが、尋ねてようやくわかった。いったん、王宮の外側の道路に出て、壁沿いに5分くらい歩いたところだった。

 すでに14時45分。入場券を求めると、あと15分しかないことを言われ、それでもいいのでと、売ってもらって入場。15000ルピア。

 中庭と博物館は見られたのだが、一番見たかった儀式の行われる場所や塔などへは、通路にカギがかかっていて、入れなかった。このときは、この日はもう時間がないので、入場できなかったと思ったので、翌々日に再度、訪問することにした。(実は、しばらくの間、ずっと入場できなかったのだが。)
 
 15時で閉まる王宮を2つ見て、ようやく遅い昼食。向ったのは、カスナナン王宮の南の王宮南広場のさらに南のソト・アヤム・ガディン。

 着いたところ、片づけをやっていた。ガイドブックを見ると、15時30分までだった。念のために尋ねたら、やはりダメとのこと。ただ、支店があって、そちらはまだ営業していると聞き、支店の方に向った。

 さらに南へ進んで、支店に到着。無事、営業していた。
 
 こちらでいただいたのは、ナシ・ソトアヤム。ソトアヤム(チキンスープ)にナシ(ご飯)が入っていて、雑炊のようなものである。

 すでに、プランバナンに行ったときに、たまたま入った屋台風の店で、1つしかない料理がナシ・ソトアヤムでびっくりしたのだが、今度はソロの有名店で食べることができた。プランバナンで食べたものとの違いは麺が米麺だけで、小麦麺は入っていないことか。あとは同じだ。
 
 
 上左  ご飯をすくったところ。これはうまい。15000ルピア(約120円)。

 上右  飲物はエステ(アイスティー)。5000ルピア(約40円)。

 左  店内。こちらは片付ける様子もなく、まだまだ営業していくようだった。
 
 
 上左  ナシ・ソトアヤムを食べるために、かなり南のほうまで歩いた。北の方へ向かいそうなバスがやてきそうな、バス停で待った。ジョグジャのトランスジョグジャのように少し高い位置から乗るようになっている。

 上右  バスがやってきたので、行先もわからないまま乗車した。北の方に向ったのだが、ジャラン・スラメッ・リヤディで右折したので、下車。

 左  バス車内。運賃はジョグジャよりも高くて5000ルピア、っても40円なのだが。
 
 バスを降りて少し歩くと、ソロで食べようと思っていたお菓子のスラビを屋台で売っていたので、さっそく購入。

 下左  焼いているところ。

 下右  ピサン(バナナ)にした。ほかにチョコレートやコーンなどがあった。

 白いのは、米粉をといた中にココナッツを混ぜたもの。2000ルピア(約16円)。

 このあと、ホテルまで戻り、しばらく休憩。
 
郷土料理ナシ・リウェットと屋台村ガラポ
 .1時間半ほどホテルで休憩のあと、夕食のために外出。最初に目指したのはナシ・リウェットの店がたくさんあるエリア。

 ナシ・リウェットは、ソロの郷土料理で、ココナッツミルクを入れて炊き込んだご飯の上におかずをのせたもの。

 下左  入った店はゴザの上で食べるようになっている店だった。

 下右  飲物はエステ。
 
 
 ナシ・リウェットにも、いろいろなメニューがあり、鶏の部位ごとに指定できるようになっているが、急なこともあって、一番上に書いてあるものを注文。paha atasはもも肉の上等のようだ。

 鶏肉のほかに、漬物のようなものと卵半分がついていた。スプーンにはカレーのような香辛料が入っていたので、かけていただいた。

 かごにバナナリーフを置き、その上に盛り付けられていて、見た目もきれいだ。ココナッツ味は、かなりするが、くどくない。おかずの上の白いのは、ココナッツミルクをペースト状にしたもの。
 
  paha=鶏のもも  atas=上等
 bawah=並み  dada=鶏の胸
 sayap=鶏の翼
 kepala=鶏の頭
 brutu=鶏の尻
 ati ampela=砂肝
 suwir=細かく切った
 telor=卵  utuh=全体
 setengah=半分
 bacem=煮て揚げた
 
 次に向ったのは、ガラボという名の屋台村。
 
 最近できた屋台村なのだろうか。1つ1つの屋台が画一的な形、色をしている。清潔感があるのはよいが、面白みには欠ける。十数軒ある屋台のメニューには似たものが多く、食欲をあまりわきたてない。
 
 ガドガドを注文。

 ガドガドはインドネシアでは各地で食べられる料理。温野菜や蒸したキャッサバ、厚揚げ豆腐のようなもの、ゆで卵などにピーナッツソースをかけたサラダ。えびせんが必ず置かれるとは限らないが、インドネシアらしい。

 写真はないが飲物はエステを注文。あわせて30000ルピア。
 
 ガラポで食べるエリア。テーブルとパラソルが置かれている。フードコートともいえる。

 夕食時だというのに、とても空いていて寂しかった。果たして利益はでているのだろうかと心配になる。
 
 食べ終わり、ガラポを後にしようとしていたころ、生演奏の準備が行われていた。この客の少なさでは、演奏していてもやりがいが感じられないだろうな。
 
  ガラポを出たあとはホテルへ戻っていったのだが、途中でちょっと変わった屋台に出くわした。

 ミー・ボリーズという店名なのだが、タレ幕が現代っぽい絵柄になっていたのと、食器が日本の漆器に似たものであったため、ちょっと食べて行くことにした。
 


 メニューには、Mie Bories Paha、Mie Bories Dada、Mie Zeboなどとあった。

 店名を麺の名前をつけているのは、この店の創作料理なのだろう。PahaやDadaは鶏肉の部位を表す言葉なのだが、Zeboとは何なのだろうと思い、Mie Zeboを注文した。Zeboは調べても意味がわからなかったのだが、鶏肉のミンチのようなものが具として入っていた。

 この麺は、汁なし麺なのだ。底には濃いスープが入っていて混ぜて食べるのだが、インドネシアではあまり見かない汁なし麺だ。汁なし麺だからか、スープがついていた。容器が日本の漆器に似ているので、すまし汁を連想するが、入っていたのはチキンスープだった。
 
 タレ幕には、メニューが描かれている。器が普通の白い器で描かれているが、行ったときには日本の漆器ににたものだった。また、スープは描かれていない。

 麺は、小麦麺のようだが、あまり黄色くなく、普通の小麦麺ではなさそうだ。タレ幕には自家製麺であることも書かれているので、特別な麺なのかもしれない。

 食後はホテルに戻り、ソロ初日を終えた。