7日目  ソ ロ を 街 歩 き

 

路面気動車、王宮のパレード、豚肉料理に遭遇してラッキー
  前日は客が少なかったためか、朝食が定食だったが、この日はビュッフェになっていた。客も前日より、かなり多い。

 実は、ココナッツミルクで炊いたご飯があってナシ・リウェットが食べられるかもしれないと期待していたが、ご飯は白飯とナシゴレンだった。
 
 ブブル(粥)。粥そのものは鶏肉を入れて煮込んでいるブブル・アヤム。その上にさまざまなおかずをトッピングしてみた。

 下左  伝統デザート。焼バナナ、焼キャッサバ、殻つきピーナッツ。

 下右  フルーツと寒天のような菓子。
 
 
  上左  朝食後、チェックアウトして、荷物を預けて街歩きに出発。

 独立記念塔を目指して歩いたが、途中で市場らしきもの見つけ立ち寄ることにした。

 上右  ほとんどの店舗は閉まっていた。営業時間ではないというより、シャッター街になっていた。少数の店が営業していたが、機械関係、IT関係の店が集まる市場であった。

 左  建物の中は閑散としていたが、建物の前では、機械類の青空市場になっていて、多くの客が集まっていた。
 さらに歩くと中学校があった。校庭の様子が外から見えるのだが、何と牛を解体しているところだった。

 下左  続いて羊が連れられてきて、あっという間に首が切られて、血を抜いて、掘ってあった穴に入れられた。

 下右  次は羊の解体が行われるのだろう。

 何のために、牛や羊を解体していたのだろう。特別な行事があり、料理が生徒にふるまわれるのだろうか。
 
 
 モナス(独立記念塔)といえばジャカルタの名所の1つだ。でもモナスはジャカルタにだけあるのではない。ソロにもあるのだ。

 ソロのモナスは高さ10mくらいと、大きくはないが、そこそこ広い公園の真ん中に置かれている。

 下左  公園内では、先ほど、牛、羊の解体をしていた中学校だろうか、体育をやっていた。

 下右  解体をしていた学校は制服はなく、服装は自由のようだが、靴は同じものを履いていた。公園で体育をしていた学校の生徒もみな同じだった。このあとソロの街角で見た小中学生は男女ともみな同じ靴を履いていた。

 黒の布製のハイカットスニーカー。見かけないマークがついているので、国産のものなのだろう。各学校共通の制靴なのだろうか。

 
 
 カトリック教会があったので中に入ってみた。玄関のドアは閉ざされていたが、横から入るように言われ、横に回って入った。

 暑い中を歩いてきたので、しばらく休憩。礼拝堂には冷房は入っていなかったが、座っていたら涼しく感じる。教会の隣に、付属の学校があり、生徒が宗教音楽の演奏練習をしている以外、誰もおらず落ち着けた。

 下左  クデ市場。風格ある建物は駅舎のような感じだ。生鮮食料品が中心の市場で、観光客はほとんどやってこないようだ。

 下右  野菜、果物が目につくが、魚、肉も売っている。鶏の頭も売り物。

 
 
 
 
 
  みかんは木箱に入っていた。日本でも昔は木箱だったことを思い出した。でも、もはやダンボール箱ばかりで木箱は何年も見ていないな。

 下左  ソロ市庁舎。伝統建築風になっていて、1階部分は市民が入れるようになっている。

 下右  バステンブルグ要塞の門。固く閉ざされていて、中は広場があるくらいしかわからなかった。

 このあと、右手にあるトイレを利用して、さらに右手に行くと、どこかで見た景色。前々日に夕食をとった屋台村ガラボだった。
 
 
 ガラボからカスナナン王宮のほうに向うには、ジャラン・スラメッ・リヤディを横断する。道路わきには線路がある。

 横断しようとしていたその時だが、警笛らしきものが鳴った。ひょっとして、列車が通るのではないか? と思い、道路わきで待機した。

 間もなく、列車がやってきた。路面電車ならぬ路面気動車である。国鉄の一部区間が道路上にあるようだ。都市内交通を路面気動車がになっているのではなく、郊外路線の一部が道路併用になっているために、路面気動車になっているようだ。
 
 サボには、BATARA KRESNAとあり、これが列車名なのだろう。ジョグジャからソロまで乗った普通列車同様で、普通列車だが名前がついているのだろう。

 区間はソロのプロウィサリ駅からウォノギリまでのようだ。
 路面気動車は目の前を通りすぎていった。

 路面電車は道路の端よりも真ん中を通る場合が多いが、この路面気動車は道路の端を通っていく。

 この2時間ほどあとに、また気動車が通るのを見た。とても運がよかったと思うが、ほとんど列車が通らないのではなく、少ないながらも1日に数往復しているのだなと思われた。

 気動車化されたのはいつ頃だろうか。ひょっとしたら、以前は蒸気機関車牽引の客車列車が路面を走っていたのかもしれない。
 このあとカスナナン王宮へ。前々日に行った際には、入れなかった広間に入場できた。どんどん進み、奥の方にある、おそらく儀式が執り行われる建物(ただし壁はない)まで行けた。

 何かの儀式が行われていたようで、それが終わり、パレードが出発したところだった。

 下左  パレードの行列はかなり長く、ここが最後尾。

 下右  普段は入ることができない広間。中に入ることができてよかった。
 
 
 
 上左  パレードが王宮の外へ出ていったあと、王宮の見学に向った。前々日と同じく、王宮のメインエリアには入れなかった。儀式が行われたからなのだろう。

 上右  再び、王宮の玄関に戻ると、パレードが戻ってきたところだった。

 左  タレ幕を持った人たちが集まっていたが、何を主張しているのかはわからずじまい。

 下左  八角の塔は珍しい。このエリアに入場できなかったのは残念だった。

  下右  演技は10分ほど続いて終了。王宮のメインエリアには入れなかったが、普段は入れないエリアには入れたし、パレードや演技を見られたのでよかった。
 
 
 上左  次に向ったのは、クレウェル市場。バティックの店が見え、内部も衣類や生地の店が並んでいるのだろうが、中には入らなかった。

 上右  クレウェル市場のすぐ北側に大きなモスクがある。このモスクは壁がない。
 
 ジョグジャもソロも王宮の建築の特徴として壁がない建物が多いことがある。モスクも同様で壁がないものが多いのだ。

 左  風通しのよいモスクの礼拝室では座っている人、寝転んでいる人がたくさんいる。
 
 昼食場所を求めて、ぶらぶら散策。小学校の前での風景だが、気づいたことが2つある。

 1つは、学校の前にお菓子やおもちゃを売る露店がよく出ている。ここだけじゃなく、よく見かけることだ。

 もう1つは、この学校は制服だが、足元を見ると、ほかの学校でも制靴になっている黒のハイカットスニーカーが制靴になっていること。
 
 昼食をとりたいような店がなかなか見つからず、歩き疲れてきたころ、目に入ったのは豚の絵の描かれた食堂。垂れ幕には、BABI=豚 とあり、豚肉料理の食堂だ。

 インドネシアは、ヒンドゥーの優勢なバリ島やキリスト教が優勢な一部の島を除くと、イスラムが優勢であるため、豚肉料理の店は普通見かけない。それでも、華人の集まっている中華街などでは、豚肉が食べられるし、ビールも飲める。でも、ここは中華街ではない。普通の住宅や店舗の並ぶエリアだ。ともあれ、ここで昼食にしよう。
 
 
 上左  店内。壁にも豚の絵が描かれている。

 上右  トレイに数種類の豚肉料理がはいっている。この中から、選んで入れてもらう。

 このとき、少し失敗したのは、おかずをご飯の上に載せてナシチャンプルにするものとばかり思ったこと。あとで、運ばれてきたのは、一皿ずつ盛られていて、量が多く、全部食べるのに苦労した。

 左  Chasiu。チャーシューがインドネシア語化していたことにもびっくり。酢の混ざったタレをつけて食べる。
 
  Oseng Babi。脂身のついた部分のソテー。ちょっと脂が多くて量が思ったよりも多かったこともあり、最後のほうは食べるのがつらくて、少し残した。

 下左  黒はNyuk Piang。いもの中に豚肉が混じっている。

 白はBabi Tim Telur Asin。豚肉入りの茶碗蒸しみたい。

 下右  飲物は、Es Cincau Mattya。抹茶ラテ。

 合計69000ルピア。(約555円)

バリ島とキリスト教エリアのタナトラジャ以外のインドネシアで豚肉料理を食べたのは初めてでよい経験になった。
 
 
  豚肉を食べたあと、再び、ジャラン・スラメッ・リヤディの南側に行くために、通りに近づいたら、また警笛が聞こえた。路面気動車がやってくる! 急いで、道路の端の少し高くなっているバス停にあがった。

 すぐに、路面気動車がやってきた。1日に2度も見られるとはついていた。
 
 走り去っていく路面気動車。
 
 
 上左  カディボロ市場へ。

 上右  食料品中心の市場というが、午後だからか、すでに閑散としていた。

 左  お菓子の屋台。キャッサバに砂糖を入れてつくった菓子とクレボン。クレボンは米粉の団子の中に砂糖が入っている。
 
 20000ルピア(約160円)だして買っている人がいたので、自分も20000ルピアだして、入れてもらったら、かなり量が多くて、一度には食べられず、夜にも持ち越した。
各駅停車の急行でジョグジャに戻り夕食へ
 
   上左  15時40分発の急行でジョグジャに戻りたいので、15時前にホテルに立寄って荷物を受け取り、バラパン駅に向った。

  上右  15時に駅に行けば十分かと思っていたが、切符売場にはかなり長い行列ができていた。

  左  10分くらい並んでようやく窓口に。15時40分の急行の次は16時台に普通列車が時刻表の上ではあるのだが、どうも間引きされて、次の普通列車は18時。急行の切符を買うことはできたのだが、何やらインドネシア語で言われた。それが、何のことなのかは、すぐにはわからなかった。
 
 
 駅員が何を言っていたかは、切符を見るとすぐにわかった。急行列車は座席指定なのだ。当然、席番が書いてあるはずなのだが、書いてない。長い行列だったことと合わせて考えると、日本でいう「立席」なのだろう。駅員は、「立席になります」という意味のことを言って、席番なしの切符を売ったのだろう。

 値段は30000ルピア(約240円)。70km乗って240円は激安だが、往路の普通列車が8000ルピア(約65円)だったのに比べると4倍近い値段というのも、すごい差だ。

 切符は2枚目があって、2枚目にバーコードがついていた。改札で切符を渡すと、バーコードを読み込んで、改札を通過。
 
 駅の中央の連絡通路が乗車する列車によって遮られている。一見して、ソロにくるときに乗車した普通列車よりも新しくてスマートな車体だ。
 
 サボにはSOLO EKSPRES
とある。
 
 ホームの高さとドアの高さが違うので、移動式の階段が設置してある入口もある。でも、全部の入口に設置されているわけではない。
 
 乗車。座席も普通列車よりは良い席だとわかる。指定席がとれなかったので、空いていた席に座った。

 1駅目のプリウォサリ駅で多数の乗車があり、座っていた席の主も現れた。席をかわり、まだ空いていた席に移った。そこには主が現れなかったので、ジョグジャまで座り続けた。

 この列車は、所要時間こそ1時間10分ほどで、往路の普通列車の1時間半より短い。

 でも、停車駅は全部の駅なのだ。急行だけど各駅停車だ。日本でも、私鉄で、急行の末端区間が各駅停車になるケースは多いが、この列車は、もともと全区間、各駅停車だ。それでも、停車時間を短くして、速度を上げて、20分早めているのも、驚きものだ。
 
 定刻にジョグジャカルタ、トゥグ駅に到着。70kmを1時間10分だから、そこそこ速い。しかも各駅停車なのに(笑)。

 先頭部も速そうなスタイルをしている。
 
 インドネシア語やマレー語では、英語からの外来語の表記で「X」は「KS」と書く。だから、この列車名は「SOLO EKSPRES」で切符やサボはそう表記されていたが、列車先頭の上部だけは「SOLO EXPRESS」だった。
 
 トゥグ駅に到着後、駅の中にある線路を渡る連絡通路を通って出口へ。

 駅の外に出た後は、ホテルに向った。 
 
 ジョグジャ滞在後半は、トゥグ駅に比較的近いバティック・ジョグジャカルタ。コテージタイプだということで、この門から入る。
 
 フロントがある棟。チェックイン手続きをして、キーをもらうとまた外に出て、自室へと向かった。

 下左  プールもあり、敷地は結構広々としている。

 下右  自室のあった棟。この左半分が自室だった。
 
 
 室内。そこそこ広く、ジョグジャ前半で3泊したホテルよりも安いのに広かった。ただ、設備が古く、快適度では劣るし、朝食もイマイチで、総合的には前半に利用したホテルのほうがよかった。

 2時間ほど休憩したのち、夕食をとりにマリオボロ通りへ向かう。
 
 
 上左  マリオボロモールに入って、フードコートに向った。

 上右  ここの支払い方法はわかりにくい。まず、カウンターで料理を注文し、発行されるレシートに記載されている額を、写真右端の緑色のキャッシャーでお金を払う。支払い済みのレシートと交換に注文した料理を受け取る。

 左  ロテック。
 
 
 上左  マリオボロ通りを歩いていると、ミーバクソ(現地の発音ではミーバッソ)の店がオープンと書いてあったので、入ってみようかとなった。店内はカフェ風の明るい感じ。

 上右  カウンターで麺の種類や具を指定して注文する。麺はどれも同じ値段だが、具の種類や数で値段が変わる。

 左  ミーバクソだが、麺は小麦麺、具はバクソ(牛肉ダンゴ)以外に、練り天のようなものなどを入れてもらった。