4日目  葬 儀 参 列 と ロ ン ダ

 

 

ボルの水牛市場
  ランテパオの宿で2度目の朝。朝食は、前日と同じウェスタンスタイルのセットにした。前日とは選び方を変えて、パンはトースト、卵料理はスクランブルエッグ、フルーツかジュースかはフルーツ、飲物は紅茶にした。前日のコーヒーはカップに入れて出されたが、紅茶はポットで出された。

 食事が終わると、まだガイドと約束の時間ではなかったが、ガイドがロビーで待っていたので、いったん部屋に戻ったあと、すぐにロビーに戻った。
 
 このあと、ガイドとドライバーとともに、ランテパオの北東部であるボルの水牛市場に向った。

 コースを決めるにあたって、葬儀を最初から最後まで全部見るか、一番最初にある生贄の水牛を殺すところは見学を省いてかわりにこの日に市が開かれるボルの水牛市場に行くか、どちらがよいか聞かれた。それで、水牛を殺す場面を見るよりは、水牛市場に連れていってほしいと希望したので、まずは、葬儀会場とは方向が反対側であるボルにやってきたのだ。
 
 水牛市場は広場の周囲に水牛舎が円形に並び、その真ん中の広場で水牛の取引が行われるようだ。行ったときには、まだ取引は行われておらず、広場では水牛を洗って準備しており、トラックで次々と水牛が運ばれてきていたころだった。

 下左  うられていく水牛。

 下右  水牛市場の建物から出て、歩いていると、市場にやってきた水牛たちが列をなして歩いていた。
 
 
 
 水牛市場のそばに規模は小さいが豚市場もあった。ここの豚は全部が黒豚だ。豚たちは、竹に身体をくくりつけられ、手足もくくられて、身動きできないようにされていた。中にはなんとかして紐をはずそうとして暴れている豚もいるが、無駄な抵抗で、やがて疲れて動かなくなっていった。自分がこの先、どんな運命になるのか予想している感じで、悲しげなうめき声をあげている豚が多い。
 
 豚市場の隣には鶏市場もあった。豚市場よりさらに小規模だが、ゲージに入れられた鶏や人に抱かれた鶏が集まってきていた。

 1時間ほど滞在して水牛市場をあとにした。
葬儀に参列
 
 上左  水牛市場を見た後、葬儀会場に向った。途中、ランテパオの街のスーパーに立ち寄った。

 上右  葬儀の親族に渡すお供えとして砂糖を買った。

 左  ランテパオとマカレの中間で、前日に行ったレモの近くから、西に向かう山道に入った。20分ほど山道を走ったあと、車を止めて、あとは歩き。葬儀に関係する車以外は葬儀会場には乗り入れらないようだ。山道を15分ほど歩いた。
 
 
 上左  山道を道なりに歩いていくと行き止まりに小さな集落があり、そこで葬儀があった。

 故人はランテさんらしい。亡くなったのは半年前で、防腐処理がなされて保存されていたという。葬儀は7〜9月に多く、それまで遺体を保存するらしい。

 上右  道端では、料理に供せられる豚が竹にくくりつけられて置かれていた。中には暴れていた豚もいたが、無駄な抵抗であった。

 左  葬儀会場の広場に到着した。
 
 トンコナンの形をした屋根がついた棺桶。いかだのように組まれた竹の上に置かれている。屋根はトタン製である。

 下左  故人の親族が集まっていたトンコナン。故人をしのぶプレートが置かれていて、その後ろに放送席があり、案内放送が行われていた。

 下右  広場にはすでに解体された水牛が散らばっていた。タナトラジャの旅行記を見ると、葬儀の最初に行われる生贄の水牛を殺す場面が必ずといっていいほど取り上げられている。自分も見るつもりはしていたが、ガイドに水牛を殺す儀式を見るか、生贄の儀式が終わってから見るか言われて、終わってから葬儀を見る方を希望した。
 
 
 
 
  葬儀会場になった広場。左端の建物が弔問客が休憩するスペースがあった建物。自分もこの中で休んだ。入るときに供物の砂糖を故人の親族に手渡した。これで見ず知らずの者でも葬儀に参列が許される。

 真ん中が親族が使っていた建物。右端が葬儀のために新設されたもので、葬儀の途中で棺桶が赤い階段を引き上げられ、2階の部分に安置された。

 下左  やがて葬式が始まった。キリスト教式で行われ、牧師が聖書を読み上げたりする。伝統的な葬儀の中にキリスト教の儀式があるとは思ってもみなかった。
 
 
 
  上右  葬式の中では聖歌がいくつか歌われた。そのための聖歌隊もいた。生贄の水牛が解体された前で聖歌隊が歌うのが不思議な感じだ。

 左  白い服装をしているのが故人の遺族で、葬式会場の中心にあらわれた。30分ほどでキリスト教式の儀式は終わった。
 
   キリスト教式の儀式のあと、建物の裏手に回ってみると、竹筒に肉や米を香辛料ととも詰めて焼く料理であるパピオンを作っていた。前日にレストランでいただいたパピオンはこうやって作るのかと納得。

 下左  こちらでは豚の丸焼きが焼き上がり、これから解体というところだった。

 下右  できあがった料理が招待客の休憩所へ運ばれていく。
 
 
 上左  観光客向けの休憩場所に戻る。

 上右  トラジャコーヒーがふるまわれていたので、いただく。

 左  出されていたお菓子。

 下左  続いて昼食がふるまわれた。野菜と焼魚で、美味しくいただいた。パピオンと豚の丸焼きは招待客にだけふるまわれたようだ。いやいやそんなことを考えるのはあつかましい。

 下右  前日にも飲んだアブラヤシからつくられる酒。灯油を入れるようなポリタンクから注がれた。
 
 
  やがてトンコナン型の棺桶がかつがれ始めたので、近くに行ってみた。棺桶の前面には赤くて長い布がとりつけられている。

 下左  まるで祭りの神輿のようにかつがれ、上下左右に大きく揺さぶられている。

 下右  赤くて長い布にひっぱられる形で、集落の入口まで棺桶が向った。このまま集落の外まで向うのかと思ったのだが、入口のところでストップ。ここで向きを変えて広場に戻っていった。
 
 
 
 上左  集落の入口まで行ったときに気づいたのだが、一般の参列者用の売店まで出ていた。

上右  棺桶は広場まで戻った。広場まで戻ると、トンコナン型の屋根が外されている。

 左  屋根がとりはずされたあと、棺桶は、これまたトンコナンの形をした建物の2階部分に引き上げられた。
 
 下左  棺桶が引き上げらたあと、その前で白い服装をした故人の遺族が記念撮影。
 
 
 
 下右  続いて親族が集まっての記念撮影。こうしてみると、葬儀ということで親戚が各地から集まり、交流するのが大きな意義をもっているようだ。亡くなってすぐの悲しさにうちひしがれている時期じゃなく、半年、1年とたってから葬儀をするので、悲しさはあまりなく、お祭りのようににぎやかになるのもわかる。一部の女性はベールをかぶっていて、イスラム教徒であることがわかるが、これもインドネシアの他のところや国外からやってきている証のように思う。

 左  地面に放置されていた解体されていた生贄の水牛をさらに細かく切っていた。そして、放送で肉の部位ごとに案内が行われ、販売されていった。好みの部位があると、その場でお金を払って買っていた。
 
 広場には円陣がつくられ、やがてダンスが行わられた。とはいっても、激しい動きを伴うようなダンスではなかったので、逆に拍子抜けだった。
 
 建物の2階に上がって円陣を撮影してみた。動きはあまりなく、掛け声をかけて、手を上げ下ろしするような、動きの少ないダンスだった。

 下左  2階から下をみると、何やら行列が動き出そうとしていた。招待客をもてなすための行列のようだった。

 下右  飲食物を持った人たちが招待客の休憩場所に向っていった。
 

 
 葬儀が終了。集落の入口のところにはトンコナン型をした棺桶の屋根が移動されて置かれている。

 ここから15分ほど歩いて、車をとめてある場所まで戻った。この旅行のメーンイベントである葬儀をしっかり見ることができて満足だ。
ロンダの洞窟墓と闘鶏
 葬儀のあとはロンダへ。ここには洞窟墓がある。集落の入口で入場料を払って村の中へ。洞窟の入口にやってきた。洞窟の外側の絶壁には棺桶がぶら下げられたりしている。またタウタウも置かれていた。
 
 絶壁がオーバーハングになっているところに棺桶がぶら下げられていた。

 下左  洞窟の中に入るにはアセチレンランプを持った、この洞窟専用のガイドを雇う必要があった。

 下右  洞窟の中には、至るところに棺桶が置かれていた。写真のように棺桶が朽ち果ててしまい、棺桶の底部だけが残り、その上に遺骨が見えているものもあった。
 
 
 洞窟から出たところ。棺桶が絶壁の岩のすきまに押し込められている。洞窟のガイドには50000ルピア(約430円)渡す。ロンダは前日に訪問したレモやケテ・ケスに比べると規模も小さく、少々物足らなかった。

 下左  ロンダのすぐ近くの村では闘鶏をやっているとのことで、見に行くことにした。トンコナンが並ぶ村の中心に人々が集まっていた。

 下右  戦う鶏がまず引き合わされ、興奮させられる。  
 
 
 戦う鶏の足の指の1つに刃物が取りつけられている。赤いケースを取ると刃物だ。刃物は簡単に取れないように糸とビニールテープでしっかり取りつけられる。

 下左  戦いの直前に鶏同士が顔を合わせ、再び興奮させられている。

 下右  戦いが始まり、刃物で傷つけられ倒れた鶏が敗者となる。
 
 
 敗者となった鶏は、生きている場合でも、羽根が切り取られ、首が切り落とされる。

 闘鶏が命がけの戦いで、こんなに残酷なものだとは知らなかった。
 
 闘鶏の試合は何試合も行われていて、そのたびに賭金が飛び交っていた。金を集まて、敗者に賭けた金は、勝者の鶏に賭けた人に分配されていた。金を集めている人は、誰がかけたのかということをよく覚えているものだと感心した。

 闘鶏のあとホテルに戻ったころには、あたりはまた真っ暗になっていた。ホテルのロビーでガイド料や車やドライバーの料金合わせて、2日分として190ドルを払った。ガイドは翌日も雇ってもらいたさそうにしていたが、翌日以降は自力で観光したい旨を告げ、引き取ってもらった。
伝統料理パラマッサンを食す
 少し休憩した後、夕食をとりに外出。前々日、前日とホテルのすぐ前のレストランで食べたので、ランテパオの街の中心へ出かけた。ホテルは市街地の南の端にあるので、1kmほど歩く。

 途中、大きなプロテスタント教会があり、その上にも十字架が輝いている。丘の上の十字架だが、なかなか素敵な感じだ。
 
 丘の上の建物と十字架がライトアップされ、十字架の色は赤、黄、緑、青、白とライトが変化していく。TORAJA UTARAとあるが、UTARAとは「北」という意味なので、トラジャ北部ってことだろうか。

 建物は教会ではなく、展望台のようだ。見晴らしはよさそうで、ランテパオがよく見えそうだが、滞在期間中に上がる時間はとれなかった。
 やってきたのはランテパオの中心部にある観光客向けレストランのカフェ・アラス。

 下左  店内。ほどよい混みようであった。

 下右  インドネシアで第2のシェアをもつアンカービールがあったので、アンカーを注文。値段はビンタンと同じ40000ルピアだった。
 
 
 料理はバビ・パラマッサンを注文。ライス付きで60000ルピア。アンカーと合わせて100000ルピア(830円)。

 パラマッサンは、もともとは木の名で、この木からとれる香辛料もパラマッサン。料理名もパラマッサンだが、パラマッサン自体は辛くはなく、ほのかに香りがする程度だ。色は真っ黒なのだが、胡椒や唐辛子のために少し辛い程度で刺激は少ない。

 バビは豚で、豚肉のパラマッサン炒めということだろう。同額で牛、鶏、魚もあった。最初は魚を注文したが、売り切れということで豚にした。
 タナトラジャの伝統料理では、前日に食したパピオンと並んでパラマッサンが有名なようだ。2種類とも食べることができて満足だ。

 食後はホテルまで1kmほど歩いて戻った。ガイドを雇っての2日間が終わり、翌日からは自力での観光になるので、回り方などをよく検討しておいた。