7 日 目  ア グ リ ジ ェ ン ト

 

流線型の気動車でアグリジェントへ
 パレルモ滞在を終え、次に向かうのはアグリジェント。4時すぎに起きて朝食をとり、5時に部屋を出た。例によって、真っ暗な階段をスマートフォンの明かりをたよりに、重いカバンをもって下りた。

 早朝のため窓口は閉まっていて、券売機で切符を購入。5時42分発のアグリジェント行きに乗車する。アグリジェントでは、遺跡の見学のほか旧市街の街歩きもしたいので、始発に乗車することにしたのだ。9時ごろには宿に荷物を預けられるので、アグリジェントに泊まった場合なみの行動ができる。
   アグリジェント行きの気動車は流線型で、特急のようなスタイルをしているが、普通列車である。(ただし、乗車区間は140qほどあるが、小駅の廃止が進み、駅は10駅少ししかなかった、)途中駅で見た列車もほとんどがこのスタイルの車両だった。
 
 車内。リグライニングや転換はできないが、座り心地のよい座席で、チェファルーへ行ったときの車両より快適だった。出発時は自分以外の客は2,3人。そのうちに少しづつ増えたが、終点まですいたままだった。
 
 しばらくはチェファルーに行った時と同じ線路を走る。やがて、別の線路になり、次第に明るくなった。車窓から日の出を見ることができた。
 
 アグリジェントに到着する直前に旧市街がよく見えた。斜面にできた街で坂が多そうな街だとわかった。

 
 
 8時38分、アグリジェント着。

 驚いたことに、ホームから出口に向かうには、階段を、普通の建物なら1階から3階に上がるくらい上がらねばならない。重い荷物をもって上がるのは大変だった。エレベータはあったのか不明。
 
 駅舎。パレルモとの間は1時間ごとに列車があり速度も早いが、ほかの方面は本数が少ないうえに遅ぎて役にはたたなさそうだ。

 翌日はカターニアへ移動するが、バスを利用する。
 
 坂道を10分ほど上る。バスターミナルが見えてきた。その向こうのビルの1階にはバス会社のオフィスなどがある。2階以上は、貸しビルになっているのだが、4階の一部分が「デル・チェントロ」というB&Bになっている。

 翌日はバス移動なので、この宿を予約した。
 
 インターフォンで、B&Bによびかけると5分ほど待つように言われる。

 やがて、宿の人が下りてきて、一緒に4階に上がる。部屋に入れるのは14時からだが、チェックインの手続きだけはして、荷物を預かってもらった。
 
 
 上左  左側の入口が宿の入口。その右側が翌日にカターニアへ向かうバスの切符売場。時刻を確認しておく。切符は当日のみの販売。

 上右  近くのバールで朝食。

 右  バールでの朝食。
 
 朝食を終えて歩く始めたのが9時30分。

 遺跡に向かう道は下りなので歩いた。遺跡の入口にある博物館までは1時間ほどかかった。

アグリジェント考古学地区
 市街地から歩いて行くと、最初にヘレニズム期・ローマ期地区の入口があり、入ろうとした。

 すると、この地区から遺跡内を通って神殿の谷(遺跡の中心部)に行けるので、まず考古学博物館に行き、博物館を見てから、この地区に戻るようにとアドバイスを受けた。

 ガイドブックの地図を見ているとヘレニズム期・ローマ期地区は神殿の谷とは全く違う場所(1qほど離れている)にあるので、有料エリアが内部でつながっているとは思わなかった。
 100mほど歩くと考古学博物館があった。建物はすぐにわかったが、入口がわかりにくかった。写真の建物の手前で左折するのだが、表示がなく(あったかもしれないが、気づかなった)、建物の裏手に回って入口を探した。ようやく入口がわかり、遺跡との共通券を買って入場。13.5ユーロ。
 
 1階の床をなくして、地下から1階の天井までを使って、巨大な像が展示されている。

 ゼウス神殿にあった人像柱「テラモーネ」。人柱とすると別の意味になるので、人の形をした柱と書くのがいいか。これが実物で、遺跡にはレプリカがあるという。

 下左  水浴するヴィーナス。

 下右  アグリジェントの青年像。
 
 
 1時間弱、博物館を見学した後、ヘレニズム期・ローマ期地区へ戻った。

 アグリジェントは古代ギリシャの植民都市で、主な遺跡はギリシャ時代のものだが、のちにカルタゴ、そしてローマの支配を経験した。
 
 このエリアでは、四角く区切られた建物跡が一面に広がっている。規模の大きな街が作られたことがわかる。

 もっともローマ時代の遺跡でよく見かける闘技場の跡や浴場の跡などの巨大建築がなく、物足らない感じはする。
 
 床のモザイクが残されているところもある。

 このエリアの見学後は入口から外に出て、車道を通って神殿の谷に向かうこともできるが、有料エリア内の小道を歩いて神殿の谷に向かった。
 
 15分ほど歩くと、オリーブ林の向こうの丘の上にコンコルディア神殿が見えてきた。

 小道はコンコルディア神殿の近くに出たが、ここは後回しにして、神殿の谷の中の大通りを東に向かい、ヘラ神殿をめざした。
 
 ヘラ(ジュノーネ・ラチニア)神殿。

 神殿の谷の東端で丘の上に建つ。ここからスタートして西へと歩くことにした。

 紀元前5世紀の神殿だが、カルタゴの侵攻で焼け落ちた。
 
 別方向から撮影。神殿の大きさがわかりやすい。

 内部の柱には、焼け落ちたときの炎で、赤くなっている部分もあった。
 
 ヘラ神殿のある丘から西を見る。神殿の谷を東西に横切るメインストリートがあり、ここを西へと歩いた。真中に見えている建物はコンコルディア神殿。
 
 15分ほど歩いてコンコルディア神殿まで戻る。アグリジェントの遺跡では最も完全な形のままで残っている。

 柱は、前面が6本、側面が13本で、ヘラ神殿と同じだ。ここも紀元前5世紀に造られた。
 
 神殿の前のほうに、なぜか現代彫刻が置かれている。
 
 海岸にある街とその向こうの地中海が見えた。
 
 10分ほど歩いて、柱が8本だけ並ぶところにやってきた。ヘラクレス(エルコレ)神殿だ。

 紀元前6世紀の建造で、その後、地震で倒壊したが、20世紀になってから柱が復元された。
 
 
 上左  倒壊したままの柱などが残っている。

 上右  遺跡地区の南側に見える「テローネの墓」。紀元前1世紀にカルタゴと戦ったローマ兵の記念碑らしい。

 左  ゼウス(ジョーヴェ・オリンピコ)神殿。ここは、ほとんど倒壊したままで、ガレキの山のようだ。
 
 人の形をした柱「テラモーネ」のレプリカも横たわっている。

 ゼウス神殿は、紀元前5世紀に造られ、この遺跡の神殿群の中でも最大の規模だったが、紀元前5世紀末に未完成のままカルタゴに破壊され、さらに地震で倒壊した。
 
 神殿の谷の最も東側に到着。ここにはディオスクロイ(カストール・ボルックス)神殿がある。

 柱が4本だけが残っている。
 
 ディオスクロイ神殿の裏手に広がるのが、「デメテルとコレの至聖所」。 建物は残っていないが、ここで神々に捧げるための儀式が行われた。
 
 ヘラクレス神殿まで引き返し、出口を出た。博物館に入場したのが10時30分、出口を出たのが15時30分で、5時間、遺跡を見学していたことになる。見ごたえのある遺跡だった。

 出口を出たところのバールで、バスの切符とビールを購入。
 
 ビールは、セメドラートという銘柄。

 飲み終えて、バス停に向かうとすぐにバスがやってきたので、ラッキーだった。
旧市街街歩きと復活祭前日の行列
 遺跡からバスターミナルまで10分で戻れた。バスを下車して、宿の入口まで1分。インターフォンで入口を開けてもらって、宿まで2分。

 預かってもらっていた荷物を受け取って、部屋に向かった。
 
 部屋はきれいで、何よりバストイレが寝室の横にあるのが便利だ。

 このあと、30分ほどの休憩をして街歩きに出かけ、戻ってきたのは深夜で、翌朝は早朝のバスに乗車したので、この宿は寝ただけというのが惜しい。
 
 17時前に街歩きに出発した。まず、駅まで行き、駅前の広場から遺跡方面を眺めた。

 望遠を最大にしてカメラをのぞくと、コンコルデォア神殿がきれいに見えた。
 
 ホームの横の崖上から見た駅舎。

 駅舎の写真の反対側が正面で、そこから遺跡が見える。

 ホームを1階とすれば、3階の位置に駅前広場があることがわかる。ホームと出入口の間に高度差があるのだ。
 
 
 上左・上右  駅は旧市街の一番低いところにあり、向かった教会はかなり高いところにある。だから、途中は階段や坂道ばかりで、とても疲れた。

 左  旧市街のメインストリートであるアテネア通り。

 この通りを歩いて、夕食をとる店を決めたのだが、、、。この通りは同じ高さのところを通るので、歩きやすい。
 
 サント・スピリト教会にようやく到着。真中の入口から教会に入れるはずだった。午後の開いている時間帯だったし、休みの日でもないが、、、復活祭の前日のため開いていないのかな。左側の入口からは修道院にが入れるはずだったのだが、こちらも開いていなかった。
 
 
  上左  右側の入口は修道院で作ったお菓子の販売所だ。ここも閉まっていたのだが、インターフォンを押して、お菓子を買いたいというと開けてもらえた。

 上右  販売しているお菓子の看板。

 左  中に入って、しばらく待った。
 
 お菓子を見せてほしいというと何種類か見せてもらえた。もっとも可愛かったのが、このお菓子だが、持ち運びにくいのでやめた。

 下  ほかに数種類のお菓子を見せてもらい、買った者。教会の前の広場のベンチでいただいた。
 
 
 ピスタチオのクスクス。

 クスクスとピスタチオを混ぜて蜂蜜で甘くしたもので、お菓子の材料になるのだが、これ単独でも売っていたので買った。こちらは、旅行中、少しづついただいた。
 
 旧市街の一番高いところに位置しているドゥオーモにやってきた。

 ガイドブックでは修復中と書いてあり、入場できないだろうけど、外観だけでも見ようと思ってやってきた。入ることができた。
 
 聖堂内。たくさんの人が着席している。まもなく18時なので、これから復活祭前々日のミサがあるのだろうと思った。旧市街の街歩きも終わったので、ミサを見ておこうと、この時は思ったのだが、、、
 
 18時になり、聖職者が入場してきた。はじめは白い服を着た人たちで、続いて赤い服を着た人が入場。特に、白い帽子をかぶった人は、ここの教区で最高位の司祭かもしれない。
 
 ミサがはじまった。
 
 やがて聖体拝領の儀式がはじまった。聖体拝領は、ミサのさい、キリストの身体になったとされるパンとワインをいただくこと。一般の参列者はパンだけを口の中に入れてもらう。1

 聖体拝領が行われるミサに参列したのは初めてで、列に並んでパン(薄いせんべいのような感じ)を口に入れてもらった。
 やがてミサが終わり、聖職者が退場。1時間30分ほどあったので、夕食に向かおうと思ったら、聖歌隊が出てきて、合唱が始まった。同時に祭壇の部分に、何か置かれたりもしている。
 
 合唱が終わると、続いて、祭壇でいなびかりのような光線が光り、大きな音が鳴る演出がなされた。キリストの復活を表しているのだろう。

 やがて、光っている棺が祭壇から入口の方に運ばれてきた。この棺の中にはキリスト像が入っている。この時点で21時だった。
 
 光る棺はドゥオ−モから出て、ドゥオーモの前の階段をおろされる。階段はものすごい数の見学者で埋まっている。
 
 とてもゆっくりとしたスピード(時速1qくらい)で、神輿のように街中を光る棺が練り歩いた。沿道はものすごい人出。
 
 遅々とした行列なので先に夕食を食べようと、さきほどアテネア通りでみておいた店へ。でも、片付け中だった。行列がアテネア通りも通るので店を閉めるのだろう。

 やむを得ず、ローカルなファストフード店へ。

 下左  アグリジェントバーガー。生野菜が多くはいっているのが特徴かな。

 下右  飲物は、なぜかドイツのビール、ベックス。
 
 
 しばらく待って、アテネア通りでも行列を見学。こちらもすごい人出。
 
 光るキリストの棺に続いて、マリア像が進む。

 行列はこのあと、ドゥオーモに戻るのだろうが、もういいかと思い、駅の広場で遺跡のライトアップを見てから。宿に戻った。ちょうど日付が変わるころだった。

 復活祭の前々日にたまたまドゥオーモに行ったら、ミサと行列を見ることができ、とてもよかった。
 

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