2 日 目 久 慈 ・ 北 山 崎 ・ 田 老
久 慈 へ |
この日は、本八戸を6時すぎのJR八戸線の始発、久慈行きに乗車したが、2駅乗って陸奥湊で下車。ホテルは6時で出て十分に間に合った。 陸奥湊の駅前の朝市で朝食をとるためだ。 |
この日が日曜なら、かなり大規模な舘鼻岸壁朝市が出るのだが、残念ながら火曜日。平日は、陸奥湊駅前朝市となる。 朝市と言っても、駅前の市営市場以外には魚屋がポツポツと開いているだけで、人もまばらで寂しい。かろうじて、市場の中が活気がある。 |
刺身のパックを売っている店はたくさんある。どこも安い。思わず、2つの店で4パック買ってしまった。買ってから、買いすぎかなと考えた。 |
ご飯、みそ汁、焼魚などのおかずの売場。他の店で買った刺身と合わせて食べることができる。 |
市場内。通路の左側にテーブルがあり、買ったものを食べるスペースになっている。 |
ご飯とみそ汁は200円、さんまが250円。 |
左上がさざえ200円、右上がしめざば100円、左下がたこ220円、右下がひらめ220円。 朝から満腹になった.。 |
約1時間後の鮫行きに乗車。これは通学の高校生で満員だったが、つぎの白銀でほとんど下車。 八戸から鮫までは、列車本数が多いのだが「うみねこレール八戸市内線」という愛称がついているようだ。 |
鮫に到着後、10分ほどで後続の久慈行きがやってくるので乗車。 下左 「鮫」とは珍しい駅名だ。一文字の生き物の駅名だが、八戸では鮫も漁獲されることからついた地名と想像できる。 下右 久慈行きに乗」車中「大蛇」という駅があった。読み方は「おおじゃ」と、”だいじゃ”でも”おおへび”でもないのが意外だ。 |
鮫から久慈まで50q少々。1時間20分ほどの乗車。 乗客はわずかだが、この列車と先ほど乗車した鮫行きだけは、ワンマンじゃなく車掌が乗っている。通学生徒がとても多く乗っているためだろう。 鮫をすぎると、しばしば海が見えてきた。このあたりが三陸海岸の北端だ。 |
久慈に到着。JRの駅舎だが、このすぐ左に三陸鉄道の駅舎がある。ホームは繋がっているのだが、駅舎は別々だ。 |
久慈ではJRと三陸鉄道の乗継がよくなく、1時間40分ほどの待ち時間。その時間を利用して街歩きしてみる。 「昭和のレトロ通り」という通りに行ってみた。昭和の建物がいくつか残っていることから名付けられたのだろう。 |
かつては主要な商店街だったようで、店舗が多い。でも、閉まっているところがほとんどだ。 |
太平洋戦争のとき、防空壕があるというので行ってみた。久慈駅の東側に川崎製鉄の工場があり、空襲が心配された。 防空壕は、降り口に柵がつけてあり、さらにさまざまなものが置いてあって、中に入れないどころか、様子もうかがえなかった。 、 |
すぐ横に案内用の看板がたっていて、中の様子がわかり、説明もつけられているのだが、入れなくしているのはとても残念だ。 写真で見ると、そこそこ大きい感じで、写真の通路の奥には空間があるのだろう。 下左 「ミニ公園」というのがあると案内板で知ったので、行ってみた。本当に小さな公園で、まさに「ミニ公園」だ。 下右 この公園には、昔の手押し式ポンプが置かれていた。昭和30年代まで使われていた。 |
巽山公園。長い階段を上がり公園へ。神社があり、広場には遊具がいろいろ置かれている。 高台なので、眺めがよく、市街地や海がよく見える。駅の方向を見ると、三陸鉄道の車両が止っている。 このあと、田野畑で乗合タクシーを利用するので連絡しておいた。 |
道の駅「やませ土風館」に立ち寄ったあと、「歴通路(レトロ)広場」という屋台街を歩いたが、朝のためかまだ開いていなかった。 久慈駅に戻った。JRの駅に隣り合って、駅前から見て、左側に三陸鉄道の久慈駅の駅舎がある。 |
1日フリー乗車券があったが、ほぼ往復に近いくらい乗らないと元が取れない。と思ってみていたら、期間限定で、訪問時には、設定期間をすぎていた。売っていないのを掲示するのは残念。 次は、田野畑まで向かうので、田野畑迄の切符を購入。 |
北 山 崎 |
三陸鉄道に乗車、 三陸鉄道は久慈から盛まで163qの日本一長い第3セクター鉄道だ。三陸鉄道としては、初乗車だが、久慈〜普代、田老〜宮古、宮古〜釜石、吉浜〜盛は40年ほど前の国鉄時代に乗車しており、2度目の乗車だ。 三陸鉄道として開業した区間は、普代〜田老、釜石〜吉浜で47qだ。この2区間は初乗車になる。もっとも三陸鉄道としての開業も30年ほど前で、かなり以前から営業している。 |
車内の様子。通常の定期列車は1両で、2両の場合もあるようだ。内部はこのような感じ。トイレがついているのが特徴。 難点は、寒さ対策で二重窓になっているのだが、外側の窓に霜がついて、ふき取ることができず、景色がよく見えなかったことがあったこと。 |
野田玉川と堀内(ほりない)の間にある安家川橋梁の上で列車は観光客向けのサービスのため1分ほど停車。 高さ33m、長さ302mで、三陸鉄道では一番高い橋だと車内放送で案内していた。 |
反対側の車窓からは国道が見える。2つの橋が見えるが、下のは東日本大震災以前からあったもの、上が震災後作られたもの。 |
続いて、堀内と白井海岸の間にある大沢橋梁でも、1分ほど観光停車。こちらは、高さ30m、長さ156mだという。 「あまちゃん」で道路橋で大漁旗を振ったシーンは、この防波堤から撮影したとのこと。 |
反対側には道路橋。「あまちゃん」ではこの橋の上で大漁旗を振ったとのこと。 2つの橋梁は、久慈〜普代の旧国鉄線区間なのだが、前回乗ったときは橋梁のことにはまったく気づかなかった。 普代をすぎ、三陸鉄道として開業した区間に入る。トンネルが非常に多く、駅だけがトンネルから出ているという感じだ。 |
田野畑に到着。駅前には何もなく、ただ駅があるだけだ。 下左 田野畑の駅名標。カンパネルラというのが、この駅の愛称のようだ。 下右 北山崎へ向かう乗合タクシー。利用者は自分だけだった。800円だったが、通常のタクシーなら3000円ほどだという。 乗合タクシーは海外では何度か乗車したが、日本では初めてだ。ドライバーによると、いつもなら忙しい時期なのだが、今年は客が少なく、予約がなくて運行しない日が多いという。 |
上左 途中、東日本大震災の津波で破壊された防潮堤が残されていた。 上右 20分ほどで北山崎の駐車場に到着。帰りの便の発車まで45分あるので、第1から第3までの展望台を全部回れるかもと思い、歩き始めた。 左 第1展望台からの眺め。木が邪魔して、少し見にくい。 |
上左 第1展望台から主に階段を下って、一部は上がりながら第2展望台へ向かった。10分ほどかかった。 上右 北山崎の探勝コースの略図。第2展望台が最も眺望がよかったのだが、第1への復路は上がり階段中心で、なかなか大変だった。 左 第2展望台からの眺め。第1よりも低い位置から、海に落ちるような急崖を眼前に見ることができた。 |
上左 第2展望台。着いたときはホッとしたのだが、帰りが大変。 上右 第3展望台からの眺め。木のために良く見えなかった。木の合間から、急崖がかろうじてみえる。 左 ビジターセンターは入場しただけだったが、展示物は多くなく、すぐに出ることができた。 ちょうド時間通りに駐車場に戻った。ドライバーに、展望台を3つと行ったというと、びっくりしていた。第1だけしか行かない客が多いらしい。 、田野畑駅に向かう途中、ドライバーから重要な情報を得た。このあと、北山崎の観光船に乗り、海から急崖を見るというと、何と、この日は観光船が欠航だという。台風9号の影響で風が強いためだという。 観光船乗場に行く前に欠航を知ることができてよかった。急きょ、予定を変更して、もともとは翌日に行く予定だった龍泉洞に行くことにした。ドライバーからアドバイスがあり、前日に大雨が降ったので、洞窟内の水位が高くて、入洞できない可能性があるから、電話して聞く方がよいといわれた。 また、この日は羅賀荘に泊まることも言ったら、羅賀荘も、北山崎の観光船も村がやっているのだと教えてくれた。 |
たろう観光ホテルと田老の防潮堤 |
田野畑駅に戻る。本来は、つぎの駅の島越まで三鉄に乗り、観光船乗場に向かうつもりだったが、予定を変更して、岩泉小本まで行き、龍泉洞に行くことにした。 切符は珍しい硬券だった。 |
上左 駅前には津波がここまできたという石碑があった。かなり丘の上っていう場所だったので、津波の高さがわかり怖かった。 上右 ホームの待合室。 左 乗車した宮古行き列車。 |
田野畑を出てすぐのところに、河口の水門の上の建物が三陸鉄道の車両をイメージしたものになっていた。 下左 岩泉小本の駅名標。 下右 ホームから連絡通路を通って入った建物は役所の総合庁舎。1階には岩泉町役場小本支所が入っていた。 |
役所の総合庁舎。玄関を入り。2階へ上がって、連絡通路を歩くと駅。 龍泉洞へのバスまで1時間ほどあるので、その間に龍泉洞事務所に電話してみた。 今のところ入洞できるが、1時間に2cm水位が上がっていて、到着時間には閉鎖されている可能性があるとのこと。 龍泉洞はあきらめ、翌日に本来なら、龍泉洞とともに行く予定だった田老の震災遺構を見学することにした。 |
上左 田老に向かうことにしたので、さらに1時間、合わせて2時間待つことになった。乗合タクシーで情報を得たとき、すぐに判断して、龍泉洞もとりやめ、ドライバーがすすめてきた鵜の巣断崖への乗合タクシーを利用したらよかったと後悔。 岩泉町の地元産の飲むヨーグルトを飲んだりして時間つぶし。 上右 次の宮古行きに乗車。 左 2020年5月18日に開業したばかりの新田老駅で下車。これから向かう震災遺構のたろう観光ホテルは、以前からある田老駅よりも、新田老駅の方が近いので、新田老から向かうことにしたのだ。 |
上左 岩泉小本駅と同じで役所と駅が合わさっていた。ここは合併で、宮古市に編入されて、役所は宮古市田老総合事務所だった。そして、2020年5月18日に、この建物に移転した。役所と駅の同時オープンだったのだ。 1階の玄関を入ったところが住民窓口。 上右 総合庁舎の玄関。この裏手が駅。 左 偶然だが列車が通りかかって、2両編成の列車を撮影できた。 |
20分ほど歩いて、田老観光ホテルに到着。周囲は建物がほとんど流されたためか、遠くからよく見え、迷わずに行けた。 1,2階は鉄骨だけになり、3階は窓がなくなっているほか、右端の方は3階も壁がなくなっている。3階まで浸水したことがうかがえる。 周囲は柵で囲まれていて、中を見学する場合は手続の上、ガイドを雇って見学する必要があるので、外観だけの見学にした。 |
震災前の写真が掲示されていた。1,2階や玄関の様子がわかる。 |
別方向から撮影。 下左 ホテルの前は空地になっていた。震災前にはここも建物が立ち並んでいた。白く細長いのは建設中の新しい防潮堤。 下右 漁港に出てみた。新しい防潮堤の工事をしていた。 |
田老では、震災前には、防潮堤が二重に作られていた。1933年の昭和三陸地震津波で被害絵を受け、その翌年から防潮堤が作られた。三陸沿岸で大きな被害を出した1960年のチリ地震津波でも田老の被害はなかった。昔から防潮堤が整備されていたモデル地域だった。 上空から見るとXの字の形をしていて、Xの字の右側が海とすると、右側の防潮堤が破壊されて、左側の防潮堤は津波が乗り越えたものの、防潮堤は残った。 写真は、残った内側の防潮堤の上部。この上を歩いた。 |
Xの字の真ん中の線が交差する部分。右側に写っている内側の防潮堤は残り、左側に写っている外側の防潮堤は、交差部分が少し残っている。 さらに海側に新しい防潮堤が建設されている。新しい防潮堤の向こう側は海。 |
ホテル羅賀荘 |
防潮堤を歩いたあと、新田老より田老のほうが近いようだったので、田老駅へ向かった。 ここは40年以上,前に訪問している。当時は、宮古からの国鉄宮古線の終着駅で、宮古からやってきたあと、すぐに宮古に引き返した。 ホームの支柱などにはさびが目立ち、国鉄時代に開業した歴史を感じさせる。 この駅から、この日泊まる羅賀荘に電話して、田野畑駅に送迎を頼んだ。 |
田野畑駅で下車すると、羅賀荘の送迎車が迎えにきていた。 田野畑付近は駅のほかには建物がほとんどないのだが、羅賀荘は数少ない建物だ。思っていたよりも大きな宿だ。 チェックインの際に修学旅行生が宿泊することや大浴場が修学旅行生の貸切になる時間などを告げられた。 ほどなく修学旅行生のバスが到着。岩手県の奥州市の中学だった。岩手県なら中学の修学旅行は東京方面などが多いのだろうが、県内に変更になったのだろう。全国的には修学旅行が中止になった地域もあるので、実施されるだけでもラッキーだと思う。 |
部屋は和室。旅先で畳の部屋に泊まるのは久しぶりだ。8畳あり、狭いビジネスホテルよりゆったりできる。 下左 珍しく、トイレとバスが別室だった。滅多にないが、気持ちよく使えてよい。もっとも、この宿では大浴場を利用したので、部屋のバスは使わなかった。 下右 日本旅館にはつきものの茶菓子。 |
部屋からの眺め。奥に見える半島の先に、北山崎の断崖がある。 下左 大浴場へ。17時30分に着いたものの、18時30分から大浴場が中学生の貸切になるとのことで、急いだけれども浴場に着いたのは18時すぎで、大急ぎで入浴した。 下右 ラッキーなことに、ほかの入浴者がいなかったので、浴場を撮影できた。そこそこ大きいのだが、温泉ではない。 |
修学旅行生の貸切になる寸前まで、大浴場を独り占めして、入浴ができた。 大浴場で足を延ばして入浴するのは、気持ちいいし、疲れもとれる気がするのがよい。 |
部屋に戻ると、休む間もなく食事会場へ向かった。 日本旅館の食事は、好みのものが選べないし、作り置きの場合もある野が難なのだが、宿から出ずに食事ができてくつろげる点はよい。 この宿は、周囲に食事処がないので、必ず2食つきにしないと悲惨なことになるが、この旅ではほかにも2回、食事場所には困らない街で夕食つきで予約している。外に出ないでくつろげることに加え、GOTOキャンペーンの割引で、食事代込みのほうが有利になることもある。 下左 あわびの陶板焼と鴨肉の陶板焼。 下右 飲物は生ビール。 |
上左 船盛の刺身。 上右 冷酒「国華 薫」。遠野の酒造メーカーの酒のようだ。 左 うにご飯と澄まし汁。 |
そばと田野畑産のアイスクリーム。 食後、部屋に戻ると、布団が敷かれていた。日本旅館では普通なのだが、あっ、そうだったんだって思った。 |
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