4 日 目  大 槌 ・ 釜 石 

 

廃止間近の浄土ヶ浜観光船
  宿の朝食。旅館の朝食ではよくある普通の和定食だ。

 この日は、まず宮古で最大の見どころである浄土ヶ浜に向かい、観光船に乗船する。

 下左   チェックアウトのさいにタクシーを手配してもらった。5分ほどでやってきて乗車。

 下右   駅まで出てバスに乗るのが面倒で宿から直行することにしたのだが、タクシーにしたおかげで、観光船の切符売場に直行できた。バスだったら、バス停がわかっただろうか。
 
 切符売場の写真で、右端に入口が見えているが、これが浄土ヶ浜ビジターセンター。

 切符売場は丘の上にあり。ビジターセンターは、丘の上の4階に入口があり、展示を見ながら1階まで下りると、海岸に出る。

 ビジターセンターでは展示を見たほか、これから訪問する三陸各地のパンフレットを仕入れた。
 ビジターセンターの1階出口を出ると、3分ほどで観光船の乗場に到着。

 浄土ヶ浜は宮古で最重要な観光地で、陸上からは見にくい名勝も観光船からはよく見える。観光船は宮古で最も人気のある観光地なのだ。

 ところが、この観光船も老朽化し、乗組員も高齢化し、2021年1月11日の運航をもって廃止されるという。

 東日本大震災のときには、3隻あった観光船のうち2隻が破壊され、唯一残った1隻で運航を続けてきたものの、船も乗組員ももう無理だということらしい。この日は金曜日なのだが、観光船は金土日の運航になっているため、金曜にこの観光船に乗船できるように旅行日程を組んだ。
 
 青の洞窟。ここはボートでないと入洞できないが、イタリアの青の洞窟と似た雰囲気のようだ。

 観光船乗場のすぐそばにあるのだが、陸上から歩いてはいけない。

 写真の左端には、直線状の建造物が写っている。一方、観光船の写真の右端にも直線状の建造物が写っている。この2つの写真の建造物は同じものなのだ。
 船が出発するとともに、うみねこの群れがとんできた。このあと船が移動するのを追いかけてくる。

 船ではうみねこの餌も売っていて、餌付けができる。うみねこも船と一緒に飛べば、餌がもらえることを知っているようだ。
 
 中には船の手すりや床に止まるうみねこもいる。これも餌をもらうためのようだ。

 うみねこの中には、茶色いものがいるが、茶色は子供らしい。よく見ていると茶色いのは、客が持っている餌をうまく取れない鳥もいる。

 
 
 ローソク岩。

 水成岩を火成岩が突き破ってできたという。
 
 潮吹き穴。

 類似のものは各地で見られるが、ここが最大規模だという。
 
 一部だが、外海に出る区間があり、かなりの波があり。大きく揺れた。
 船は40分で出発地点に戻った。

 ビジターセンターの中を通って、船の切符売場の前にあるバス停へ。バス停名は、宮古ビジターセンター。

 少し待って、宮古駅行きに乗車。20分ほどで宮古駅着。写真は宮古駅に到着時。
鵜住居(うのすまい)と大槌
 宮古駅には駅そばがある。ローカルな駅で駅そばは珍しい。改札外にあり、利用しやすい。


 前日の宮古到着時に見つけていたのだが、早々と店じまいの時刻だったので食べられなかったのだ。このあと三陸鉄道に乗車するまでの間に急いで食べることにした。

 
 
 
 下左   14時30分で閉店なのだ。そのため前日は食べられなかったのだが、今日は食べよう。

 下右   「宮コロッケ」が面白そうだ。宮古のコロッケで「宮コロッケ」のようだ。

 左   価格表には、そうめんもできると書いてある。そうめんといえば、普通は冷たいものだが、ここでは温かいものだろう。にゅうめんと呼ばれることもある麺だろう。

 「宮コロッケそうめん」を注文。値段は460円。
 
 できあがった「宮コロッケそうめん」。

 下左   宮コロッケは、コロッケというよりは、わかめが大量に入った魚肉練天という感じ。

 下右   大急ぎでいただいて、切符を券売機で買う。行先が、〇円区間じゃなく、駅名が記載されているのが特徴。
 
 
 宮古駅の改札口。上部にある行先表示板は、左が三陸鉄道、右がJR。

 このとき10時すぎだったが、JRの次の列車は14時台。山田線の宮古・釜石間が、JRから三陸鉄道に変わって以後は、宮古駅は三陸鉄道の駅でJRは間借りしている感じになった。
 乗車した列車。この列車で鵜住居に向かう。

 下左   三陸鉄道と天竜浜名湖鉄道が提携したのを記念したサボだろうか。共通点は何なのだろうか。単に第3セクターというなら、たくさんある。

 下右   車内。旧山田線の宮古〜釜石は三陸鉄道の中でも、比較的、客が多い区間だった。
 
 旧山田線の区間は、トンネルがほとんどなく、カーブも多い。久慈〜宮古や釜石〜盛は、トンネルで一気に駆け抜ける感じが強いので、対照的。

 鵜住居に到着。反対側のホームには、団体専用の車両だろうか、内装もちょっと違う車両が行き違いで停車していた。
 
 上左   鵜住居(うのすまい)の駅名標。愛称はトライステーションとある。復興スタジアムで有名になり、読める人が増えたと思うが、難読駅名だ。

 上右   ホームの両側に線路がある。写真左下に148とあるが、どうも盛岡からの距離のようだ。JRから三陸鉄道になっても、距離は盛岡からのものを踏襲しているのか。

 左   駅から10分ほどで、鵜住居復興スタジアムがある。自由に中に入れるので入ってみた。
 
 スタンド。

 2019年のラグビーワールドカップのために新設された。2試合が予定されていたが、1試合は台風のために中止になって残念だったことをよく覚えている。

 震災の前は、ここには小中学校があった。その敷地跡に建設された。震災時、生徒は全員無事だった。
 
 イスは地元の森林資源を利用した木製というのが1つの特徴。

 ラグビーに限らず、いろいろなスポーツで使えそうだが、スタンドの最前列がフィールドに近い。ラグビー専用のスタジアムはこうなるのかと知った。
 
 スタジアムのすぐそばには水門があり、その向こうは海。だからスタジアムの標高は2m。

 海と山に接した自然豊かなスタジアムだ。一方、緊急用ヘリポートが設置され、避難経路もあちこちに表示されていた。
 
 駅前に戻った。駅前には諸施設があり、合わせて「うのすまいトモス」と呼ばれる。

 まず「釜石祈りのパーク」。釜石の犠牲者の慰霊碑がある。鵜住居に設置されたのは、鵜住居が釜石での犠牲者が最多だった地区だから。

 広場の周りに犠牲者名を彫った石碑、盛土の上に慰霊碑がある。
 
 
 慰霊碑を見に上に上って、駅とは反対方向を見る。

 被災者の新たな住宅が集中するエリアがあり、その上に小中学校があった。復興スタジアムの場所にかつてあった小中学校が移転したようだ。
 
 
 上左   「いのちをつなぐ未来館」。震災の伝承施設。じっくり見て回った。

 上右   残された日本選手権優勝の記念サイン入りのラグビーボール。どこで飾っていたのだろう。

 左   慰霊碑のある場所には、かつて市役所の出張所があった。出張所には避難者がやってきていたのだが、2階建てだったため、津波の高さには及ばず、多くの犠牲者を出した。
 
 「鵜の郷交流館」。食堂、土産物店などが入っている。道の駅のような感じ。

 下左   土産物店。ここで「さんてつサイダー」を見つけた。

 下右   「さんてつサイダー」。普通のサイダーと変わらないのだが、ここ以外では見かけることはなかった。
 
 
  鵜住居から1駅、宮古の方向に引き返し、大槌へ行った。引き返すことで、鵜住居と大槌の両方を2本の釜石方面行の列車で訪問できるから。

 写真の列車は鵜住居から大槌まで乗車した宮古行き。駅舎の屋根はひょうたん型をしている。駅舎には食堂がある。
 
  大槌では町庁舎で犠牲者が多く出た。その庁舎を撤去するか遺構として保存するか、町民の中で意見が分かれたが、最終的には撤去された。

 町の中心に庁舎が撤去された跡地があった。草地になっていて、慰霊の地蔵が置かれている。ここが、町庁舎跡だという表示はなかった。
 
  草地の中に入って、地蔵のそばまで行ってもよいのかわからなかったので、草地の外から合掌した。

 旅行中に震災遺構をいろいろ訪問したが、ほとんどは犠牲者が出ていない建物。犠牲者が出た建物は、遺族の気持ちを考えると、撤去が妥当だろう。
 
  歩いて、ひょっこりひょうたん島のモデルになったといわれる蓬莱島をめざした。

 列車の時間の関係で、現地へ行くのは最初から無理だとわかっていたので、写真を撮れる場所まで行きたかった。何とか峠のような場所で、撮影できた。
 
 まさに、ひょっこりひょうたん島。

 歩いて渡ることもできるそうで、もう少し時間があれば島まで行けたのだが。

 「ひょっころひょうたん島」の原作者、井上ひさしは「吉里吉里人」の作者でもあるが、吉里吉里は大槌の1駅、宮古側の駅。
 
 
 
 
 上左   とても高い防波堤が作られていて海はあまり見えない。

 上右   大槌の駅名標。両隣の駅が、吉里吉里、鵜住居であることもわかる。愛称は「鮭とひょうたん島の町」。

 左   乗車した釜石行きの列車。15分ほど遅れていた。


釜石到着
  釜石着。ホームから地下道にいったん降りる。地下道の中で、三陸鉄道の駅員が、移動すべき経路を案内している。JRの出口に出てしまわず、三鉄の出口に出るようにするためだ。

 三鉄の出口を出て、駅舎を撮影。「イオンタウン釜石駅」の看板もある。ネーミングライツなのかな。JR釜石駅は、この駅舎の左手にある。
 
 駅舎を出、駅前広場を横断し、バス停へ。

 駅前広場の向こうには、たいていの街の場合、ショピングセンターがあったり、商店街があったりする。

 駅舎に相対しているのは、日本製鉄の工場だ。「NIPPON STEEL 東日本製鉄所 釜石」とある。以前の、新日鉄が新日鉄住金の時代を経て2019年、日本製鉄になった。

 釜石製鉄所ではなく、「東日本製鉄所釜石」とある。2019年、日本製鉄の製鉄所の再編が行われ、釜石は君津、鹿島などとともに、東日本製鉄所となり、その釜石地区になった。日本製鉄の製鉄所は、他には、瀬戸内、関西、九州、室蘭になった。

 右側の建物には「ようこそ!鉄と魚とラグビーの街」とある。

 
 
 
 上左   駅前からバスに乗車。

 上右   バスはすいてたが、少し乗ると、市役所前など釜石の中心があり、そこから客が増えた。

 左   20分ほど乗車して「釜石観音入口」で下車し、さらに少し歩いて「鉄の歴史館」へ。
 
 名前の通り、釜石の製鉄の歴史について展示する施設だ。

 翌日訪問する「橋野鉄鉱山」の模型。ここで見ていたので、翌日役だった。

 下   大橋にあった鉄鉱山と先ほど見た製鉄所を結ぶ鉄道路線図。

 1880年に開通で、「日本で3番目」に開通した鉄道と説明があった。ただ、社内の専用鉄道だったので、一般的には、同年に開通した北海道の鉄道とされているように思う。
 
 
 
  釜石の製鉄の歴史が時代順に説明されて、わかりやすかった。

 写真は、最後のパネルで、1989年に高炉が全廃されたことなどの説明。その後は、釜石は線材製鉄所になり、さらに今はかつての高炉跡につくられた火力発電所での発電が重要な事業になっている。
 
 
 
 
 上左   敷地内からは釜石観音がよく見える。

 上右   かつての専用鉄道で使われた蒸気機関車が保存されている。

 左   鉄の歴史館からの帰りは、駅前まで向かわずに街の中心の「釜石中央」で下車。駅までは1km弱ある。泊まるのは「サンルート釜石」。
 
 チェックインすると、朝食券以外に、21〜22時のみ使えるミニラーメンの食券を渡された。でもこの日は、夕食で満腹になり、ラーメンは食べられなかった。

 部屋は普通のビジネスホテルだが、気持ち広いかなという感じはする。
 
  部屋で2時間弱、休んだ後、夕食に出かける。ホテル近くに居酒屋が何軒かあったが、チェーン店は避けて、地元の人の経営してそうな小さな店「誰そ彼」に入った。

 下左   メニューを見ると、コース制のみのおまかせ料理のみだった。一番安かった3000円コースを注文。

  最初に、煮魚、サラダ、大根炊きの小鉢3種が出てきた。

 
 
 
 
 
 上右   飲物は生ビール。

 左   店内。カウンター席のみで10人入れば満員になるくらい。

 
 刺身盛り合わせ。

 これが絶品だった。新鮮で、魚の種類も多いうえ、それぞれの切り身が普通の店の倍くらいある。これだけで普通なら2000円ほどするのじゃないだろか。

 下左   3000円コースには含まれないが、サービスとし一口かつがでてきた。
 
 
 
 
 上右   「釜石よいさ」の冷酒。

 「釜石よいさ」は高炉の廃止後に街を盛り上げるために始まった夏祭り。震災で2年間休止ののち再開されたが、2020年は感染症対策で休止。

 左   カレイの煮つけ。
 
 みそ汁とご飯。

 店主は物静かな、口数の少ない人だったが、震災での苦労、店の再建、そして感染症対策での苦労と、直接お話を聞けてよかった。

 3000円とは思えない充実した食事になり、ホテルに戻ったあとのラーメンは食べられなかった。

 

 3日目 三陸海岸のトップページ 全体のトップページ 5日目