6 日 目 陸 前 高 田 ・ 気 仙 沼
盛で三陸鉄道を全線乗車し、昔乗った岩手開発鉄道を見学 |
サンルートは2泊したので、朝食も2度とった。よく工夫していて、半分以上のおかずは2回で違っている。全体的にもビジネスホテルの一般的な朝食としては上出来。 下左 鍋ものと焼きながら食べるベーコンエッグ。 下右 レストラン内。 |
ホテルをチェックアウトし、駅に向かう途中、釜石製鉄所内の火力発電所(かつては高炉があった場所)の良く見えるところにさしかかると、盛からやってきた三鉄の列車が通りかかった。 |
乗車した釜石発盛行き。 釜石駅の中では、ほかのホーム群から離れた場所に盛行きのホームがあった。 |
釜石の駅名標。愛称は「鉄と魚とラグビーの街」で、特徴ある場所として、橋野鉄鉱山が描かれている。 盛方面の隣駅の平田は書かれているが、宮古方面の隣駅は書かれていない。このホームは盛方面専用で、宮古方面は離れた場所にあるのだ。 |
盛行きのホームから宮古行きの三鉄列車を見る。かなり離れている。 宮古行きはしばらく前まではJR山田線であり、JRのホームから宮古行きはは発着していた。山田線が三鉄に変わっても、ホームはJRのホームを利用しているので、こういう状態が生じている。 |
車内。乗車していたのは自分だけだった。盛の2、3駅手前までは、乗客は自分だけで、盛の少し手前で2,3人が乗車してきた。 |
釜石から盛行きの切符。 |
盛に到着。盛は三陸鉄道の終着点で、ここで三陸鉄道を全線乗車。5日がかりだった。 盛の駅舎の手前はBTSのホームで、線路はなく道路になっている。 |
盛駅の駅舎。右がJR,左が三陸鉄道。 このときは、三鉄を下車して、ホームからBTSが通る道路を横断して、駅舎を出たら、なぜかJRの駅舎だった。 |
40年以上前、かつての国鉄大船渡線、盛線を乗車したが、その際、盛を起点にして岩手石橋まで旅客営業していた岩手開発鉄道にも乗車した。 貨物はメインの会社だが、わすかに旅客営業もしていたが、その後、貨物専業になり、現在では旅客営業をしていない。 かつて、駅があったところへ行くと、何と、旅客駅のホームが昔のまま残っていた。 |
かつての旅客ホームの横の道を通ることができたので、ホームの待合室をそばから見ることができた。 自分が乗車したのは1978年。旅客営業が廃止されたのは1992年。その後も、旅客用のホームを整備し続けてきたようで、びっくりした。ひょっとしたら、旅客営業再開も考えているのだろうか。 |
踏切を挟んで、南側にかつての旅客ホームがあったのだが、北側には車庫があり、この写真のすぐ右側には岩手開発鉄道の本社があった。 写真の左側の線路は岩手石橋に向かう線路。かつてここをしたんだと感慨にふけった。 |
BTSで陸前高田の”奇跡の一本松”へ |
盛は大船渡市にあり、三陸鉄道とJR大船渡線の接続駅。ここからは、JRになるのだが、大船渡線・気仙沼線には震災で修復が困難な部分もあり、BTSが導入された。 BTSはバス代替なのだが、単なるバス代替じゃなく、約半分の区間は鉄道線路を道路化した部分を走ること。だから渋滞などでの遅れがない。ただし、約半分の区間は一般道路を走る。 古い時刻表を取り出して、かつての大船渡線とBTSを比較した。途中駅は鉄道では10だったが、BTSでは盛から気仙沼への直行部分が17、ほかに枝線に6。 本数は、鉄道では10往復だったが、BTSでは直行バスが往復で違うが13〜15。ほかに、盛〜陸前高田では枝線に入るバスもあり、平日で12、土日で7往復が直行に追加される。BTSの本数はかなり多いが、朝夕時間帯に高頻度で運行されるのが特徴。 所要時間は、鉄道で1時間前後だったのが、BTSでは快速で1時間15分、停車が多いバスで1時間25分ほど。 |
上左 BTSの乗車券は、券売機でも鉄道とは別扱いになっている。もっとも、ほとんどの停留所から乗車するときは、下車時に現金を払う仕組みだ。 なお、Suica及び相互利用できる各種ICカードも使えることが乗車時にわかったので、この後は、切符が買える場合には買った停留所もあったが、多くはICOCAを使った。 上右 車内は、一般的なワンマンの路線バスと変わりはない。 左 専用のバス道路は、いわば単線なので、写真のような待避所が設置されている。 |
バス専用道路と一般道路が交差する場所には、両方に信号があるほか、バス専用道路の側に踏切が設置されている。鉄道とは大きな違いだ。 |
陸前高田の停留所。ターミナルになっている。かつての陸前高田駅の場所じゃなく、かなり内陸側に設けられている。 下左 陸前高田から海岸近くまでは、更地のような何もない状態。その海岸近くに、奇跡の一本松停留所がある。 下右 奇跡の一本松停留所。この停留所の裏側に震災の伝承館がある。 |
上 奇跡の一本松停留所で見たBTSの路線図。かつての大船渡線は、陸前矢作と上鹿折を結んで通っていた。 奇跡の一本松を通るルートはBTSになって新設されたルートで、当然、一般道路を走る。 時刻表の索引地図では、枝線を含めて一本の線で描かれているので、とてもわかりにくいが、この図はわかりやすい。 左 東日本大震災津波伝承館の入口。停留所のすぐ裏手にある。 |
伝承館近くの気仙大橋が流され、道路の下の部分。 下 左はかつての気仙大橋。青い部分が流され、破損したものが展示されている。 右は震災後の陸前高田の航空写真。伝承館があるのは高田松原と書かれたところ。 |
流された消防車。 伝承館では、ビデオ上映で時間がかかった。 真ん中の通路を挟んで片側が伝承館だが、もう片方は、道の駅高田松原になっていた。 |
海岸方向に歩き、海岸の建設し終わった防潮堤の上に上った。 |
かつての陸前高田ユースホステルが震災遺構として残されている。 遠方に奇跡の一本松も見える。 |
奇跡の一本松。 高田松原には、1kmほどにわたって松が並んでいた。津波によって、松の木は倒されたのだが、この一本だけが倒されずに残っていた。それで、奇跡の一本松と呼ばれる。 |
ユースホステルや奇跡の一本松のあるすぐ西側には気仙川が流れ、その向こうにあるのが、旧・気仙中学校。 ここは震災遺構として公開のための工事が行われていた。 下 防潮堤の上から見た広田湾。 |
上 防潮堤の上から伝承館の見る・白く細長い手てものがあるが、上部だけが見えていて、1階部分は見えていない。白い三角形の通路や、そこにある木で1階の高さがわかる。 真ん中より右側が伝承館、左側が道の駅。 左 旧・道の駅高田松原。ここも震災遺構として公開するための工事が行われていた。 |
約1時間30分後のBTSに乗車。1時間30分で伝承館と奇跡の一本松を見るのは大忙しだった。 奇跡の一本松停留所を出発して、すぐに、先ほど旧橋の残骸を見た気仙大橋を渡り、対岸から眺めた気仙中学校の横を通り、気仙沼に向かった。 |
気仙沼の観光船と震災遺構の気仙沼向洋高校 |
BTSが気仙沼に到着。 ここはJR気仙沼駅の中で、一関方面の大船渡線の鉄道もあるのだが、バスターミナルのような雰囲気。かつての鉄道のホームでバスを乗り降りする。 |
気仙沼駅舎。駅舎に入り、改札口を入ると、バスの乗場がある。 |
灯台のある駅前広場を挟んで、駅舎に相対しているのが、ホテルパールシティ気仙沼。 この日はここに泊まる。駅前にあって交通至便なので選んだのだが、繁華街からは離れていて、食事するには困った。 荷物を預かってもらい、身軽になって出かけた。 |
駅前から観光船乗場に至る間に気仙沼でも一番賑やかなところがあると予想していたが、あまりにも閑散として、繁華街らしきところでも食事処がなく、びっくりした。 |
ショッピングセンターらしき建物があったので、食事処もあるかと思い近づいてみたら、何と市役所の分庁舎だった。本庁舎は、左手の坂道を上がったところに隣接してある。 |
食事処が見つからないまま観光船乗場までやってきた。 幸い、食事のできる店が10店ほど近くにあった。この周辺は人出があり、どこから人々が集まってきたのかって感じ。 その中で、港の見える「NINE ONE」に入店。 |
港の側が全面ガラス張りで明るい。外観も店内も結構おしゃれな店だ。 下 港の側がよく見える席に着席。観光船などの様子もよく見える。 |
飲物はクラフトビールの「DAYS OVER」。あっさりしていて、飲みやすいビールだ。 製造元は気仙沼市の会社だった。缶のデザイ ンは気仙沼湾と唐桑半島あたりの地図。 気仙沼湾は唐桑半島と島によって外洋と少し切り離されていることがわかる。気仙沼の津波の高さが、陸前高田や南三陸より低かったというが、このためだ。 |
スパイシーハワイアンポキ丼。 アボガドとまぐろの角切りに辛みのあるトマトソースがかけてある。確かにハワイ風のご飯だ。 |
気仙沼湾の観光船に乗船。 土日の運航なので今回の旅行の日程には制約があった。 浄土ヶ浜の観光船は金土日、橋野鉄鉱山へのバスは土日、ここの観光船も土日なので、それで回る行程がほぼ決まったのだ、 |
出港するとすぐにうみねこが船とともに飛ぶ。船ではうみねこの餌も売られていて、餌付けをする人が多いからだ。うみねこは船についていけば餌をもらえると知っているのだ。 |
大島大橋。この下を船が通った。 大島は気仙沼湾の入口にある島。東北地方の離島でも一番大きい島だ。 この島へ行くにはずっとフェリーで渡らねばならなかったのだが、2019年4月に大島大橋が完成し、フェリーを使わずに自家用車や路線バスで渡れるようになった。約300mで、歩道があり、歩いて渡ることもできる。実際、船から歩いている人が見えた。 |
船は外洋にでるところまで行って引き返す。航路の軌跡がわかるだろうか。 左は唐桑半島、右が大島。どちらも大きく、訪問してみたいと思った。このあと、港に戻った。 |
気仙沼駅に戻り、今度は気仙沼線のBTSに乗って、陸前階上へ。階上は「はしかみ」で知らないと難しい。 写真は、陸前階上に着いたBTS。 向かいの気仙沼行きのホーム側には駅舎もあるが、このときは駅舎には立ち寄らず、撮影している自分の背後にある出口から、震災遺構の旧・気仙沼向洋高校に向かった。 |
気仙沼線のBRTはヘッドマークがついていた。バスのデザインも大船渡線とは違っていて、慣れた人は間違えにくい。 下 気仙沼線BRTの路線図。 気仙沼市と南三陸町では病院に停留所がある。南三陸町の病院では、玄関先に停留所があり、高齢者の通院客に配慮されていると思った。 ただ、BRTになって、停留所数と本数が増えたのはよいが、所要時間はかかるようになったのは大船渡線と同じ。 |
30分ほど歩いて向洋高校が見えてきた。 でも、ここからが長かった。水路のために、校舎のそばを通る道路まで行かねばならず、その道路は校舎のそばを通っているものの、入口は校舎を通り過ぎ、さらに進んだところにあり、校舎へは引き返すような形になった。 |
校舎のそばの道路を歩いた。窓ガラスのない校舎など近寄ってみてはじえめてわかった。 下 ぐるっと回って、入口から入ると、校舎とは別に展示施設があることがわかった。校舎と合わせて、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」となっている。 ここは月曜が休館なので、気仙沼泊りだが、日曜なので、少し先にあるこの施設にやってきた。 ここは入場料600円必要だった。校舎内は撮影できたが、展示施設については撮影禁止だった。 |
3階以下は津波で水没し、教室内は物品が散らかっていた。 |
3階には流されてきた自動車がそのまま置かれている。 下左 4階は流れてきた冷凍工場がぶつかったため、外壁の一部が壊れている。 下右 外壁が壊れたところから入った、冷凍工場の緩衝材。 |
生徒は全員、校外の高所へ避難したが、校内に残った教職員や工事中だった作業員が屋上に避難した。 津波は屋上のすぐ下の4階の床から30pほどのところまで水没させた。 下左 中庭。 下右 津波時には3階のすぐ下まで水没している。 |
南側の校舎を外側から見る。窓は、壁に穴があるだけの状態になっている。 1時間ほどで一通り見て回った。 |
かなり広いグラウンドはパークゴルフ場になっていた。何と2020年9月1日にできたばかり。訪問したのは9月6日で、出来て最初の日曜だったので訪問者が多かっただ。駐車場に車がたくさん停まっていたいたので、伝承館の見学者が多いのかなと思ったのだっが、多くはパークゴルフ場の客だったようだ。 |
正門についていた校名標。 |
校門を出て、本来ならBTSの停留所の方に向かうのだが、龍の松を見たくて海岸方面に向かった。 海岸に出ると、防潮堤で海岸が固められていた。 |
さらに進んで、龍の松に到着。震災の津波で幹が大きく曲がったけれども、いくつかの枝とともにどうにか根づいたままで残った。その姿が龍に似ているので、龍の松と呼ばれる。 |
さらに少し進むと、岩井崎の先端に到着。 そこに潮吹き岩があった。浄土ヶ浜で見た潮吹き岩よりも規模は小さいが、見ていると面白い。 |
力士像があった。第9代横綱、秀ノ山雷五郎だという。 秀ノ山雷五郎は階上の出身で、江戸時代末期の1830〜40年代の力士。像は震災の津波にあったが、流されずに残った。よく流されなかったものだ。 このあと、BTSの停留所に戻る。向洋高校まで30分、されにBTSまで30分と合わせて1時間歩くうちに、あたりは暗くなった。 |
BTSの専用道路と交差する地点。BTSの側に遮断機がついている。 下左 陸前階上駅。 下右 乗車した気仙沼行きのBTS。 |
気仙沼駅前のホテルに戻る。荷物は部屋に運んでくれていた。しばらく休憩。 昼食のときは、港の方まで行かないと食事処がなかったので、この日はホテルのレストランで夕食をとることにした。 ところが閉まっていた。フロントで尋ねると、夕食時の営業はすでにしていないとのこと。 ほかの食事処のことを聞いた。ホテル近くにはとんかつ店があり、ここは開いているとのこと。しかし、居酒屋などは繁華街のほうや南気仙沼のほうに行かないとないとのことで、しかも日曜は閉まっている店が多いとのこと。 |
やはり、昼間寂しかった市役所付近の繁華街には開いている居酒屋もレストランもなかった。 それで、昼食に行った観光船乗場の近くに向かった。数軒の店が開いていたが、居酒屋風の店は閉まっていた。結局、ラーメン屋の「あたみ屋」に入店。 |
上左 餃子。 上右 生ビール。 左 ネギラーメン。 ここまで30分近くかかったが、ホテルへの帰りも暗い中30分近く歩いた。途中、人通りはほぼなく不気味な感じで、ホテルに着くとホッとした。 |
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