7 日 目  南 三 陸 ・ 女 川 ・ 石 巻 

 

南三陸で念願のうに丼を食べる
 
 上左   前夜の夕食とろうとやってきたら、夜の営業は停止になっていたレストランで朝食。

 上右   窓からは気仙沼駅が目の前に見える。

 左   今まで泊った宿の朝食が豪華だったせいか少し品数が少ない気もしたが、これでも十分だ。
 上左   気仙沼駅のホームから、BRTで大谷海岸に向かう。

 上右   大谷海岸着。

 左   かつての気仙沼線のホームが残っているという旅行記を見て立寄った。すでにホームや線路敷の跡は防潮堤の工事によってなくなっていた。

 次のBRTまで1時間あり、手持無沙汰になった。停留所のそばに道の駅があったが、小規模のもので、アッという間に見終わって、することがなかった。
 
 次のBRTがやってきて乗車。

 路線バスでは、病院への通院客の利便を考えて、病院の玄関に立ちようることがよくあるが、このBRTの場合も、南三陸の病院の玄関に立ち寄った。BRTになって、こういったきめ細かな運行が可能になった。もっともそのために所要時間が増えたのだが。
 南三陸の停留所「志津川」は、さんさん商店街のすぐそばにあるのだが、まだ開店準備をしている店が多く、先に震災遺構を見て回った。

 まずは高野会館へ。ブライダルセンターだった。震災時には屋上(4階)のすぐ下まで津波が襲った。屋上に避難した人たちは無事だったが、生きたここちがしなかったことだろう。
 屋上と3階の間に見える青い表示を拡大。海岸に近いこの場所ではここまで浸水。これを見たときはあまりに深く衝撃的だった。
 
 高野会館から少し山側に行ったところで、防災庁舎の遺構を中心にした公園の整備が行われていた。工事のため、防災庁舎には近寄れなかった。

 この周囲には建物が多く、町役場の庁舎も防災庁舎以外にもあったが、防災庁舎だけが遺構として残されている。
 
 防災庁舎は鉄骨だけが残されている。

 避難を呼びかける放送を津波到来の寸前まで行って犠牲になった職員の話を震災後知ったのだが、この庁舎から行われていたのだと思うと、胸が詰まる。犠牲者の出た建物は遺構として残されない場合が多いが、ここは保存されることいになった。
 
 震災前の南三陸町。さんさん商店街に掲示されていた写真を拝借。

 川の右側に高野会館や防災庁舎があった。街が一瞬にして更地になってしまった。
 
 
 上左   さんさん商店街。津波で更地になった場所に、被災した商店が集まりつくられた商店街。

 上右   モアイ。イースター島の石で作られて贈られたもの。目が入っているモアイは世界で2体しかないという。

 左   商店街の様子。徐徐に開店する店が増えていたが、まだまだ人が少なかった。
 この旅行に出てから、一度はうに丼を食べたかったのだが、この日まで出会わなかった。9月に入ると、うには食べられないのかなと思っていた。

 さんさん商店街では、何軒かの店でうに丼を出していた。店を見比べ「しお彩」に入店。
 
 
 上左   うに丼、3000円。

 上右   生ビール。

 左   うに丼を拡大。うにだけが広がるうに丼をいただいたのは、礼文島以来で13年ぶりだ。美味しい。言うことなし。ゆっくりとかみしめながらいただいた。
 
 地元の写真家で写真店経営の方が写真展を開いていた。

 震災以前から街を撮り続けていて、震災後と比較できたり、震災後の年月がたつにつれての変化がわかる写真が多数あって、ゆっくり見た。内部では撮影禁止。

 安倍前総理やAKB48なども訪問していた。
 
 防災庁舎を中心とした整備中の公園とさんさん商店街の間には川があるのだが、橋で結ばれて行き来できるようになるようだ。

 南三陸には2時間ほど滞在したあと停留所に向かった。
女川町と石巻市門脇地区の被災地
 志津川停留所にはプレハブ建ての事務所があり、切符も販売していた。BRT停留所で係員が配置されているのは、鉄道駅でもあるところを除くと、ほかに陸前高田、本吉があるようだ。
 
 BRTと鉄道の連絡切符を購入。発駅名にBRTとある以外は、JRの通常の機械発券の切符と同じ様式だ。
 
 BRTの柳津行きに乗車。撮影している自分の背後に切符を買った事務所がある。

 下左    気仙沼線が道路を越えていた橋のようだ。この部分では一般道路を通っていた。

 下右    鉄道のときのトンネルも通る。
 
 柳津着。柳津は特に見るべきところがなく、単なる乗換地点。ただ、一部のBRTは前谷地まで運行されている。

 BRTを下車して進行方向に進むと、鉄道のホームがある。線路がこの駅から始まっているのもわかる。
 
 
 上左    柳津から前谷地まで乗車の気動車。

 上右    前谷地から女川までは直通列車があり、石巻では乗り換えずに女川に向かえた。

 左    2つの気動車は配色は違うが、どちらもキハ110系。座席は片側は1人席が向い合せになっていて、通路が広いのが特徴。
 女川駅。

 震災地に、女川ではJR車両も被災している。駅は高台に移された新しい駅だった。

 駅舎の中には温泉があって、時間があれば入浴したかったが、1時間30分ほどの滞在なので、駅の近辺を歩けば、入浴の時間はなかった。
 
 港に向かって進む。高台の先端まで商店街が作られていた。でも、閉店している店が多く、人出も少なかった。
 
 高台から下りたところに残されていたのが、震災遺構の女川交番。土台から倒されて横になった状態で、左が1階、右が2階。

 下左   女川港。

 下右   駅とは別の高台に町役場が移設され、役場の玄関前に女川町の慰霊碑があった。細長い慰霊碑だ。

 女川町は、東側が海だが、北。西、南は石巻市だ。石巻市の中に孤立している状態だ。平成の大合併で、石巻周辺の町が石巻市に合併されたが、女川町は女川原発による潤沢な財政があって、合併を拒否したと容易に想像できる。
 
 
 女川から石巻に到着。石巻駅の駅舎。洋館風の建築。震災で被害を受けず、大正時代の建築のまま残っている。

 石巻は40年ほど前に訪問しているが、その当時は仙石線のホームが現在とは少し離れた場所にあり、駅舎も別にあったが、平成の時代に仙石線も同じ駅舎に統合された。
 
 
 駅前にイオンがあるのだが、スーパーは1階だけで、2階以上は石巻市役所。

 中に入ってみると、1階はどこにでもあるスーパーだったが、エレベーターの行先説明版には、市の各部署の名が書かれていて、市役所だとわかった。
 
 市の南部の海沿いの津波による被災地域である門脇地区に向かう。

 途中、マンガロードを通る。石巻漫画館もあったが、今回は立ち寄る時間がなかった。石ノ森章太郎は石巻市の北隣の登米市の出身であるが、今は漫画館のあるところにかつてあった映画館に通っていて思入れがあったことから、石巻に漫画館ができたようだ。

 下   駅のある中心街と門脇地区の間には日和山という丘がある。日和山の頂上に立寄る時間はなかったが、山の南側は急崖になっていて、海岸がよく見えた。

 海岸近くはほとんど何もない更地になっていた。石巻でも津波の大きな被害を受けた門脇地区の一帯だ。
 
 
 日和山から急崖を階段で下りたところにあるのが震災遺構の門脇小学校。整備中のため公開されておらず、離れた所からの見学。

 窓は3階まで窓の穴だけが開いている。生徒は校舎裏手の日和山へ避難して無事だった。

 門脇地区住民も日和山へ避難した人が多かったが、それでも人的被害が多かった。なお、大震災の人的被害を市町村別にみると一番多かったのは石巻市だった。(2番目が陸前高田市で、死亡率では陸前高田市が一番多かった。)
 
 上   門脇地区は更地状態になっていて、慰霊のための公園の造成中だった。

 左   公園の造成工事の現場にあった「がんばろう!石巻」の大看板。

 このあと、再び来た道を引き返した。震災時には、この階段を上がって避難した人が大勢いたと思いながら、日和山の中腹に上り、ホテルに向かった。
 
 石巻で泊まるのは「石巻グランドホテル」。
 
 建物の外観やロビーの立派さに比べて、部屋は普通のビジネスホテルなみだ。ちょっとバランスがとれていないような気もする。
 
 この日は2食付きで予約している。夕食は和・洋・中から選べたので、洋食にした。

 このところ、夕食は居酒屋でとることが多くなっているので、変化を求めた部分が大きい。

 1階にはレストランエリアがあり、和・洋・中とカフェレストランがある。
 
 洋食をとったのは「ラ・ロレット」。

 洋食はイタリアンで、カフェレストラン「トラットリア・アゼリア」でとるものと思っていた。カフェ兼朝食会場であるとともに、イタリアンでもあるので。ところが、案内された「ラ・ロレット」はフランス料理の店なのだ。それで、隣にイタリアンの店があるのに、フランス料理店でのイタリアンとなった。
 
 カフェレストランが開放的でロビーとの間に壁がないのだが、こちらは、重厚な感じ。滅多にない場所での食事となった。

 下左   イタリア産白ワイン。メニューの一番上に書いてあったもの。

 下右   天使の海老とイタリア産生ハムのサラダ仕立て。
 
 
 
 上左   南瓜の冷製クリームスープ。スープの入った器の下に氷水が入ったカップがある。

 上右   パン。温められていて美味しい。

 左  真鯛のポワレ。鯛は石巻産、ソースも石巻産アンチョビで作ってあるという。
 
 
 
 上右   ワインはメニューの2番目に書いてあったフランス産の白ワインに変えた。

 上右   パンのおかわりはガーリックトースト。

 左   牛腿肉のタリアータ。タリアータって何?って思っていたら、ローストビーフと同じようなものだった。細かくは違うのだろうけど。
 
 次にパスタが出されたのだが、これはメニューにはなく、タリアータの付け合わせという位置づけのようだった。

 そういえば、イタリアでも料理とは別に付け合わせを選ばされたことを思い出した。
 
 デザート。

 左はバナナとナッツのタルトケーキ。右はマロンのアイスクリーム。

 
 
 コーヒー。

 1時間30分かけて、しっかりいただいて満足。部屋に戻り。1日終了。
 
 部屋に戻り、テーブルの上に青いボトルがあった。ミネラルウォーターだったが、みたことがないものだった。

 レアル・マドリードの公式ミネラルウォーターの「ソラン・デ・カプラス」だという。冷やしておいて飲んだが、他のミネラルウォーターとの違いはよくわからなかった。

 

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