2 日 目  相 馬 ・ 山 元(中浜小学校) 

 

相馬では中村神社と松川浦へ
 部屋からは東北新幹線と在来線が見える。

 この日は、福島県の浜通り北部と宮城県の南部の沿岸部に行くが、昼間は曇りで、夕方以降に雨が降りそうな予報が出ている。曇りなのは、暑くなくてかえってうれしいのだが、雨は困る。なんとか夜まで降らないでほしい。
 
 朝食は和朝食か洋朝食を選ぶようになっていて、和朝食にした。

 下左   飲物とデザート類は取りに行くようになっていた。

 下右   レストランの様子。
 
 チェックアウトし、仙台駅へ。今まで雨だったり、夜だったりして、まともに見ることができなかった仙台駅。ペデストリアンデッキの上から撮影。

 この日は、午前中に相馬に行き、午後は仙台方向に逆戻りして、中浜小学校に行く。そして南相馬で泊まる。
 
 原ノ町行きに乗車するのだが、その次に同じホーム方出るのは利府行き。同じホームから、逆方向の電車が出発している。隣のホームも同じく逆方向の電車が続いていた。もう少しわかりやすきならないかなぁ。第一、危ないと思うのだが。
 原ノ町行き。

  下   側面の行先表示。南相馬市ができる前の市の名は原町市(はらまちし)で、公的なものは原町で統一されていたが、日常的には原ノ町も使われていたようで、駅名は原ノ町駅で存続している。



 
 
 上左   車内。

 上右   出入口とトイレ。

 左   浜吉田〜駒ヶ嶺は、津波で線路が流され、山側に新線を建設した区間だ。その中には、写真のように高架になった区間もある。トンネルもあった。
 
 相馬で下車。武家屋敷風の駅舎だ。

 あとで松川浦に行くのでバス乗場を確認してから、中村神社に向かった。

 相馬といえば相馬野馬追で有名だが、その出陣式が行われるのが中村神社。

  この神社は中村城跡にある。中村の名は、藩主の中村氏、藩の中村藩からきている。中村藩のあった時代から中村氏が中村神社を建てたようだ。
 
 
 上左   駅から城跡までは1.5qほど。経路はいろいろあるが、たまたま歩いた経路には外堀があった。城壁はなく、単に土でできている。

 上右   四辻の四つあたり。

 左   中村城の大手門だが、小さいのでここでよいか心配だった。中村神社とは別に相馬神社もあるようだ。相馬中村神社とよばれることもあるが、他の中村神社と区別するため。相馬中村城という言い方も同様。
 
 
 上左   相馬野馬追に関係して、参道には馬の像がある。

 上右   ようやくたどり着いたかと思うと、本殿は石段の上だった。

 左   本殿に参拝したあと、相馬神社や本丸跡も見たいのだが、松川浦に行くバスの時刻がせまっていて、バス乗場に急いだ。
 
 
 上左   松川浦行きの福島交通のバス。観光客も地元民もバスはほとんど利用しないようで、ほかには2、3人の乗車。

 上右   松川浦へは20分ほど。バスの末端区間がループになっていて、松川浦をすぎてさらに少し行った原釜で下車した。

 写真の港は相馬港で、大型船の入る貿易港。

 左   ここには伝承鎮魂祈念館が設けられている。小さな祈念館で10分ほどで見終わった。
 
 祈念館のそばには相馬市の震災慰霊碑がある。この原釜地区と隣の尾浜地区に犠牲者が特に多い。

 現在は海岸近くは防災緑地として公園のようになっている。すぐ背後に高台があり、住宅は移転している。
 
 祈念館から海岸を2kmほど歩いて松川浦大橋にやってきた。

 松川浦大橋は、松川浦の集落の側と松川浦の湾を取り囲むように伸びている砂州とを結ぶ橋。夜のライトアップがきれいで、プランニングのときには松川浦で泊まることも検討した。
 500mほどの橋なので、対岸まで渡ろうかとも考えたのだが、対岸に何かあるというわけでもないので、真ん中まで行ってみた。

 真ん中から湾を撮影。左に半島がのびて邪魔になっているが、その向こうに松川浦の湾が広がる。右側にみえる集落が松川浦の集落。
 
 松川浦漁港。

 福島県の漁港としては南部の小名浜に対して、北部の松川浦という感じのようだ。

 松川浦は海苔の養殖が盛んだったのだが、震災後どうなったのかよくわからなかった。

 下   松川浦の湾。汽水湖(海水と淡水が混じている湖)である。棒が見えるが、海苔を養殖しているところ。
 
 
 
 上左   斎春商店で昼食。

 上右   店内。

 左   土産物屋、魚屋も兼業だった。もともとホッキを食べるつもりでやってきたのだが、生の姿は初めて見た。
 
 ホッキ飯定食。

 ホッキ飯は炊かれたホッキがコリコリしていて食感がよい。

 メニューに刺身付きと書かれていたので、ホッキの刺身と想像してたのだが違っていた。
 
 ホッキの刺身。

 生のホッキも食べてみたかったので、ホッキの刺身も注文。生か湯通しするか聞かれたので、生を注文。

 食中毒の危険がある貝は寿司でも湯通ししてある。ホッキもそうなんだろう。ここは水揚げした漁港なので、ここでないと生は食べられないと思ったのだ。

 ホッキ飯のホッキとは違った食感だ。シコシコした感じだが、イカのようでもない。
 
 
 上左   松川浦のバス停。先ほど原釜まで乗ったバスの2時15分後のバスに乗る。

 上右   2時間15分後といっても、1本あとのバスだ。行先表示が「松川浦・原釜循環」になっている。先ほど下車した原釜も通り、20分で相馬へ。

 左   相馬駅の改札口。
 
 仙台行きの電車。
震災遺構中浜小学校と常磐線旧線跡
 午後は、震災遺構として、この日が公開初日の中浜小学校に行く。

 11時から式典があり、そのあとで見学開始だ。式典も見ていたら、昼ごろからの見学になり、そのあとで相馬の観光が難しくなるので、先に相馬の観光をすませてから中浜小学校の最寄りの坂元で下車した。式典のときには報道陣もいて、混雑しているだろうこともある。
 
 坂元駅の駅名標。

 常磐線は宮城・福島県境付近で津波のために線路が流され、山側に新線が建設された。距離も新線の方が0.6km長い。

 線路が流出したのは大船渡線、気仙沼線でもありBRT化されたが、幹線である常磐線は新線になった。新線区間でも標高の低い部分は高架になった。坂元駅付近が高架だ。
 
 高架駅である坂元駅の駅舎。建設費を抑えるためだろうが、高架区間もあるこの駅は待避線なしの片側ホームだけの駅になっている。

 中浜小学校は駅から2.5kmほど離れていて、本来なら結構な距離を歩かねばならないのだが。この日だけは、駅の近くから無料のシャトルバスが運行されるので利用した。

 また、シャトルバスは、旧線の線路脇を1kmほど走り、旧坂元駅跡のそばも通過すると予想できたので、旧線や旧駅も観察できると期待していた。
 
 
 上  駅から5分ほどで、シャトルバスの乗場がおかれた「ふるさとおもだか館」に着いた。 役場分庁舎に公民館が合体したような施設だった。

 左  バス乗場。
 
 シャトルバス。山元町のバス。

 乗車したバスの客は自分だけだったし、中浜小からの帰りのバスに自分1人だった。でも、小学校に着いてみると、初日ということでかなりの見学客がいた。ほとんど全員が自家用車でやってきたということだろう。
 
 車内。

 感染対策で窓側だけに座るように書かれていた。この日に限っては必要ない措置だったかもしれないが、町民バスとしても使用されているようなので、普段は必要かもしれない。
 
 常磐線の高架を過ぎると、ほぼ建物はなく、草原の中を走っていく。中浜小学校は草原の中にポツンと建っていた。
 
 旧常磐線の線路跡はかさ上げされたうえで、県道の建設工事が行われていた。

 写真で横方向の道路がかつての常磐線の旧線跡。かさ上げされているので、横断する道路もその部分では高くなっている。

 
 
 かつての常磐線の線路敷の部分につくられた県道。完成しているようだが、この付近ではまだ供用されていなく、バスは横を並行して走る旧道を走った。

 ここは旧坂元駅があった場所なのだが、駅や線路の痕跡は全く残されていない。
 
 中浜小学校に到着する少し手前の区間だけは、かつての常磐線の線路敷に造られた県道をバスが走った。

 左側に写っている旧道よりも少し高くなっていることがわかるだろうか。
 
 中浜小学校に到着したシャトルバス。

 下   校舎の全景。海岸から200mほどのところにある。

 2階の天井近くまで浸水したが、生徒や教職員、避難してきた地域住民は屋上に逃れて無事であった。三角屋根の部分が倉庫で、夜は倉庫で明かし、寒さをしのいだということだ。
 
 
 
  上   ここは入場料が必要なのだが、公開初日だけは無料であった。それでも、無料入館券が必要とのことで、受付で交付してもらい入館した。

 左   1階の職員室。壁がなくなってしまっていた。
 
 
 
 上左   校舎の右上部分の青いものは浸水の深さを示す。2階の天井近くまでの浸水だった。

 上右   浸水の深さを示す標識を拡大。

 左   この学校は改築の際にかさ上げ工事をしていた。写真の左半分の学校敷地と右半分の学校の外側で高さが違うのがわかる。この学校では屋上に避難したが、かさ上げ工事をすたので、屋上で無事だったことがわかる。
 
 どこかから流されてきた鉄骨が柱をぐるぐる巻きにしている。こんな現象がおこるのかとびっくり。

 下左  2階の資料室にある屋上への階段。ここを通って屋上への避難が行われた。生徒たちの多くは、この階段のことを避難の時に初めて知った。

 下右   屋上。真ん中の青い標識が浸水の位置を表している。青い標識があるのは、2階の天井の少し下。
 
 
  屋上に入口がある倉庫の中。生徒、教職員、地域住民はここで一夜をすごし翌朝の救助を持った。

 下左   震災前の地域の様子。左上に小学校がある。灰色は住宅、緑は木を表す。

 下右   震災遺構がつくられるときに設置された掲揚台。高さは津波による浸水の深さを表す。
 
 
 
 校舎のすぐ横をかつては常磐線が通っていた。いまは、かさ上げされて高くなっていて、すでに工事がほぼ完成している県道が走っている。

 下左   中浜小学校の見学を終え、シャトルバスで乗車地点に戻る。少しの区間だけ、常磐線の線路敷だった道路を通った。

 下右   シャトルバスから見た坂元駅。
 
 
  バスで「ふるさとおもだか館」まで戻り、歩いて坂元駅へ。このとき、わずかだが小雨が降ってきていた。

 原ノ町行きに乗車。先ほど街を歩いた相馬も通りすぎ、原ノ町まで乗車。この日は原ノ町で泊まる。
 
  原ノ町まで50分ほど。

 駅舎は城をイメージしたものだ。

 相馬と原ノ町を比べると、街は相馬の方が大きいし賑わいもある。でも駅は原ノ町の方が大きくて、運転上の拠点にもなっている。
 
 泊まるのは、駅舎と相対している「丸屋グランデ」。駅舎を出て30秒で到着できる。

 しかし、この時小雨が降っていた。もっと強く降れば、夕食のための外出が難しくなるかもしれないと考え、近くのコンビニで夕食を買っていくことにした。
 
 コンビニで食料を仕入れてからホテルチェックイン。残念だが、この日は居酒屋での食事は中止。

 部屋の様子。翌朝まで12時間、この部屋ですごす。

 落ち着いてから部屋食をした。
 
 左左   一番絞りで、「清澄み」という缶ははじめて見たので買った。

 左右   前回の旅で、一ノ蔵が出しているスパークリング清酒を飲んだので、同じメーカーの一般的な銘柄をいただくことにした。
 
 
 食べたのは、焼豚、タコ、しめさば。

 たまにはコンビニで買っての部屋食もいいかな。

 部屋で食べるため、19時のNHKニュースを見ることができた。

 この日、菅総理が、福島第1原発を訪問し、そのあとで1週間前にオープンしたばかりの双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」も訪問したという話題だ。この伝承館へは、翌日行くつもりなのでびっくりした。

 続いてのニュースは、この日行った中浜小学校が震災遺構としてオープンしたという話題。自分の旅に関係した話題が全国ニュースで2つ続いたので驚いた。

 

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